よりどりインドネシア

2023年11月24日号 vol.154

現時点での大統領選挙と経済政策 ~インドネシア大学社会経済研究所の『白書』の紹介~(松井和久)

2023年11月24日 02:03 by Matsui-Glocal
2023年11月24日 02:03 by Matsui-Glocal

●大統領選挙をめぐる最近の動静

2024年2月14日投票の正副大統領選挙は、11月13日までに正副大統領候補ペアが確定し、14日に各ペアの標章番号が決定された。その結果、1番がアニス=ムハイミン組、2番がプラボウォ=ギブラン組、3番がガンジャル=マフド組となった。

正副大統領候補ペアと各ペアの標章番号。(出所)https://nasional.kontan.co.id/news/nomor-urut-capres-2024-kekayaannya-harta-prabowo-rp-2-triliun-lebih

この番号を見ながら、筆者はスハルト時代(1966~1998年)の総選挙を思い出していた。当時の総選挙は政党のみに投票する比例代表制で、毎回の選挙で常に、1番が開発統一党(イスラーム系)、2番がゴルカル(政府系翼賛組織)、3番がインドネシア民主党(民族主義系)だったからだ。そして、常に2番のゴルカルが圧倒的な勝利を続けていた。2番は真ん中で中庸であり、極端な変化を嫌う国民性を反映していた。

今回の標章番号もまさに、アニス=ムハイミン組がイスラム系、3番のガンジャル=マフド組が民族主義系と認知され、2番のプラボウォ=ギブラン組がその両者の真ん中に位置する形になる。ペア標章番号の決定自体はもちろん公正な手法に基づく偶然の結果であると信じたいものの、こうした数字自体に何らかの神秘性や象徴的な意味を見出す人々は決して少なくない。各種世論調査では実際、2番のプラボウォ=ギブラン組の優勢が伝えられている。

正副大統領候補ペアと標章番号が確定する前の11月7日、憲法裁判所のアンワル・ウスマン長官が「重大な規律違反を犯した」として長官職を解任された。これは10月16日の「地方首長やその経験者は40歳未満でも正副大統領に立候補可能」との憲法裁判所の新たな追加判断に関して、ギブランの叔父であり、ジョコ・ウィドド大統領の義弟である同長官がその判断に関わったことが問題視され、憲法裁判所名誉評議会(MKMK)が審査のうえ、解任を決定したものである。

この10月16日の憲法裁判断により、ソロ市長のギブランは36歳でありながら副大統領候補になれたのである。なお、司法の最高機関である憲法裁判所の判断自体は、新たな判断によって覆されない限り有効であるため、ギブランの立候補が取り消されることはない。有識者の間では、権力側が憲法裁判所を政治的に利用したとの批判が強まっている。

この一連の過程で、ガンジャル=マフド組を推す闘争民主党と、まだ闘争民主党の党員であるはずのジョコウィ大統領及びその長男であるギブランとの間の亀裂が深まってきた。ジョコウィ大統領もギブランも、闘争民主党から離党する意志を示していない。

闘争民主党からすれば、彼らの行動は党に対する裏切り行為であり、除名相当と考える党幹部も少なくない。他方でジョコウィ側は、与党第一党の闘争民主党や同党のメガワティ党首による政府への介入を強く警戒し、距離を置き続けてきた。同時に、闘争民主党以外の与党はジョコウィに取り入ることで闘争民主党の横暴を抑制し、政権内での存在感を高めてきた。

当初、ジョコウィはガンジャルを自分の後継者と考えていたふしがある。しかしガンジャルは、ジョコウィのように闘争民主党と距離を置くことを選ばず、メガワティ党首への忠誠心を示したため、ジョコウィはガンジャルへの支持はメガワティの軍門に下ることを意味すると考え、ガンジャルから離れた。そして、ジョコウィのシンパ組織が推し、ジョコウィ路線の継承を常に強調するプラボウォへと支持を乗り換えていった。プラボウォは自身の勝利を確実にするため、早くからギブランを副大統領候補とすることを画策し、最終的にジョコウィもそれに乗った形である。

今後の焦点の一つは、闘争民主党がどこまでジョコウィ批判に踏み込むかである。現在に至るまで、ジョコウィ人気は健在である。実際、ガンジャルがギブランやジョコウィに批判的な発言をし始めると、世論調査でガンジャルへの支持率が大きく低下した。政党別では闘争民主党への支持率がトップであるものの、ガンジャルによるジョコウィ批判が強まると、闘争民主党自体への支持率低下につながる危険が生じる。これまでの闘争民主党の高支持率もまた、ジョコウィ人気に支えられてきた面が強いのである。

もちろん、ジョコウィ側はそれを知っており、闘争民主党からの批判は十分かわせると判断している。そして、ガンジャルが大統領選挙で負けても、闘争民主党が与党から離脱しない、むしろ与党内に留まることを選択するであろうことも織り込み済みである。

一部報道では、ガンジャル=マフド組が水面下でアニス=ムハイミン組とコンタクトし、仮に決選投票となった場合に共闘し、プラボウォ=ギブラン組に対抗するとのコンセンサスを作り始めたと報じられている。しかし、ジョコウィ人気が高いままでは、ジョコウィ批判はむしろ逆効果となる可能性も大きい。

対するプラボウォ=ギブラン組は、いかなる手を使ってでも、決選投票に持ち込まずに圧勝するシナリオを描いている様子で、すでに公務員や軍・警察の中立性が疑問視されるような事例が頻出している。

現段階では、プラボウォ=ギブラン組が支持率を高め、場合によっては、決選投票に至らずに勝利する可能性があると見られる。人権侵害などの暗い過去を持つプラボウォが悲願の大統領になる、それも過去に強烈に批判した相手であるジョコウィと組んで勝利するとは、5年前には想像もつかない話だった。

あくまでもプラボウォ自身は、大統領に決まるまでは、熱烈なジョコウィ信奉者を演じ続けるだろう。しかし、その後もジョコウィを信奉し続けるかどうかは疑問である。ギブランはその意味で、ジョコウィにとってもプラボウォにとっても大事な人質と言えるかもしれない。

100人のエコノミストと大統領候補の対話

ところで、各大統領候補ペアは今後のインドネシアの経済政策についてどのような考えを持っているのだろうか。経済分析で知られる民間団体のINDEFと経済メディアのCNBC Indonesiaは共同で、11月8日、アニス、ガンジャル、プラボウォの3人の大統領候補を招いて、「100人のエコノミストとの対話」(Sarasehan 100 Ekonom INDEF)と題するイベントを開催した。

このイベントでは、各大統領候補がそれぞれ掲げるビジョン・ミッションとそこでの政策を発表した後、出席したエコノミストと直接に質疑応答を行なった。

「100人のエコノミストとの対話」(Sarasehan 100 Ekonom INDEF)ポスター。(出所)https://www.cnbcindonesia.com/news/20231108061657-4-487206/3-capres-blak-blakan-gagasan-ekonomi-di-sarasehan-100-ekonom

最初に登壇したアニスは、アニス=ムハイミン組が提示する「変化」とは現行の政策を止めて変えるのではなく、それを高めたり訂正したりすることである、と説明した。そして5.5%~6.5%の経済成長を目指すとした。政策では、格差是正と経済の平等化を重視するとし、投資が来ても失業が高いままという状態を例に挙げ、公正な最低賃金を経済の平等化のための施策の一つとした。さらに、すべての国民に教育と保健の機会を提供し、都市と村落が共栄し、生活費が安価で必需品が十分に用意されることを目指し、そのために民主主義の質の回復と汚職の撲滅を進めると述べた。

続いて登壇したガンジャルは、「新たな経済が市場と新たな機会を開く」と題し、自身が当選したら7%のGDP成長を実現すると述べた。そのためにグリーン、ブルー、デジタルの3つを強調した。グリーンでは新エネルギーへの移行を進め、各開発で環境の持続性を最優先とする。ブルーでは国家領域の77%を占めるのに7.6%の経済貢献しかない海洋部門を強化する。そしてデジタル化の推進を国民の福祉向上につなげ、情報公開を進めるとした。

最後に登壇したプラボウォは、2045年黄金のインドネシアを目指した経済転換と題し、インドネシアが他国からの援助を求めるのではなく、すべてを国内で生産できる国を目指さなければならないと強調した。6~7%のGDP成長を目指し、ジョコウィ政権の掲げる新首都移転や下流産業振興を継承し、教育や福祉向上のための補助金を国民へ供与する。すべての学校とプサントレン(イスラム系寄宿学校)の子どもたちに給食を無償提供し、そのために450兆ルピアの予算を準備する。貧困層や労働者が無償で公共交通機関を利用できる補助金を供与する。同時に、労働者に対しては、とくに損失を出している企業においては、賃上げを求めるデモを多く起こさないように求めた。

これら3候補の説明に対して、主催者のINDEFは、ビジョン・ミッションの内容が現実的ではないと批判した。とくに、GDP成長率については5%台が現状であり、それをどのような段階を踏んで6~7%の高成長へつなげていくかの説明はなく、たとえば、そうした成長を実現するために必要な投資額がどれぐらいかといった観点は示されなかった、と述べた。

前号で指摘したとおり、大統領候補者のビジョン・ミッションは、当選者のそれがそのまま国家中期計画の基礎となる重要なものであるにもかかわらず、十分な時間と議論を経て作られたものではない点に留意する必要がある。このため、どうしても総花的で浅い内容にならざるを得ず、書かれた政策間の論理的整合性も図られているとはいいがたい。むしろ、各大統領候補の発表や質疑応答でのやり取りから、経済政策についてどの程度の理解力を持っているか、政策の内容を自分のものとして発言しているかなど、彼らの現時点での能力を判断する材料にはなったのではないだろうか。

その意味で、エコノミストと大統領候補者との直接対話の意味は認めつつも、政策に関する議論が成り立つには、候補者側の理論武装や経済政策に関するより深い学習が必要になってくると考える。この時点でのこうした対話は時期尚早だったかもしれない。

(以下に続く)

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