(編集者注)本稿は、2023年7月7日発行の『よりどりインドネシア』第145号に所収の「ロンボクだより(94)」の続きです。2018年に起きたロンボク地震の記憶をつづります。なお本稿は2023年10月発行の『よりどりインドネシア』第151号に続く予定です。
みなさん、こんにちは。9月に関東大震災から100年の日を迎えましたね。日本では大きく報道されたのでしょうか。
私は、8月にロンボク地震から丸5年が経ったこともあり、地震や防災について考えることの多い1ヵ月でした。良くも悪くも地震に敏感になりましたが、どうせなら、この敏感さを良いほうへ使いたいです。
今回は震災後の住宅再建をめぐる補助金の話をつづります。では、どうぞ。
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2018年8月5日に本震があったロンボク地震。その後、私たちは屋外での暮らしを余儀なくされていました。10月、11月と月日が経つにつれ、雨季の雨が強くなっていきます。
私たちの心にあることはただ一つ、「早く家がほしい、家で寝たい」でした。
ですが、現実はそううまく運びません。
ジョコウィ大統領がロンボク島へやってきたのが9月2日(『ロンボクだより(73)』参照)。あのとき家屋再建の補助金を配布するセレモニーを催したはずなのに、いつまで経っても補助金が配られていませんでした。
一体どういうこと? セレモニーで各村の村長たちが補助金を受け取るための銀行口座を作り、通帳を高々と掲げてみんなで写真を撮っていたではないですか。あの話、どうなったの??
村の人々、とくに男性の顔は暗く曇っていました。地震直後は「みんなで力を合わせて頑張ろう、エイエイオー」的な結束力で集団生活を送りました。
が、今はもうそれぞれの家の近くに戻ってきています。各世帯での踏ん張りが必要ですが、私たちの村は観光客が来ないことには仕事がありません。
仕事がない、家もない、アテにしていた補助金は入ってこない。どうやって家族を養えばいいのでしょうか。
この頃、ロンボク島の各地で小規模ながらも補助金を求めるデモがありました。デモに参加しない人もデモという手段を使っていないだけで、気持ちは同じでした。一刻も早く補助金を!
体力と経済力に多少の余裕がある人は、補助金を待たずに自力で家を作り始めました(下写真)。
でも、そうでない大半の人々は待ちに待ちました。
そして翌2019年2月、家屋被害の再調査が行われました。
ええええーーー、再調査?今頃?
どうやら、地震直後の調査では同じ名前の人が複数いて、混乱しているもよう。
そりゃそうですよね。調査をした人々も皆、被災者でしたし、役所も崩壊していたためにプレハブの仮設役所ができるまでは全部手書きで調査書をまとめてくれていたのですから。
外からみると「遅い!政府は何をやってるんだ!」と思われるかもしれません。被災者も「遅い」と怒りたい気持ちはありました。
が、それでもみんな一生懸命やっていることはわかっていたのでサバール・サバール(がまん・がまん)。お互いを思いやって耐えてきたのです。
こうして、やっとのことで政府からの補助金が家屋の全壊・半壊世帯に配られることになりました。補助金額は全壊家庭で5,000万ルピア、半壊で2,500万ルピアです。
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(⇒ 2月の終わりに叔父の家へ・・・)
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