クレテック(kretek)は、インドネシアの丁子入り煙草だ。クレテック発祥の地と言われる中ジャワ州のクドゥスや、スマラン、ジュパラなどその近隣の町で現在もよく見かける銘柄は、クドゥス発祥のジャルム(Djarum)シリーズ、東ジャワのクディリ発祥のグダン・ガラム(Gudang Garam)シリーズ、そしてスラバヤ発祥のジ・サム・ス(Dji Sam Soe)シリーズなどだ。この三つの銘柄を擁するメーカーはいずれもインドネシア煙草業界の巨人だが、それ以外にも小規模な家内工業で作られている地方産クレテックがいろいろあるらしい。私の夫はジュパラ出身だが、その兄の家でもかつてはクレテックを作っていたという。その工場というか作業場跡を見せてもらったことがある。
クレテックの発明についてはいくつか説があるようだが、もっとも広く知られているのは、19世紀にクドゥスに住んでいたジャマリまたはジャムハリという男が胸に痛みを覚え、丁子オイルを塗ると息苦しさが消えたので、試しに刻み煙草に丁子を混ぜて吸ってみたところ、息苦しさの発作が起きなくなり、その噂が広まって「薬用煙草」として知られるようになったという説だ。
この丁子入り煙草を吸うと、クレテック・クレテック(kretek-kretek: パチパチ)という音がするので、「クレテック」と呼ばれるようになった。一般的にタバコの葉と丁子に味付け用の「ソース」を混ぜて作る。この「ソース」が各銘柄独自の味を作り出す決め手らしい。
ラティー・クマラ(Ratih Kumala)作の小説 “Gadis Kretek”(『クレテック娘』)は、そんなクレテックをめぐる二つの家族の物語、そしてオランダ植民地時代末期から日本軍政期、インドネシア独立から1965年の政変を経て、おそらく2000年代あたりまでのクレテックとインドネシアの歩みの物語だ。
“Gadis Kretek”
●ジェン・ヤー
クドゥスでのクレテック製造から始めて、本社をジャカルタに移して大企業に成長したジャガッド・ラジャ社の二代目社主が死の床で、ある女性の名を口にした。「ジェン・ヤー」(ジェン Jengは「妹」の意で、若い女性、年下の女性などにつける呼称)。三人の息子たちには聞き覚えのない名だったが、妻はそれを聞いて、「献身的に世話をしているあたしじゃなく、あのあばずれ女の名を呼ぶなんて!」と怒り狂った。
息子たちは父の最後の願いを叶えるべく、「ジェン・ヤー」を探しにジャガッド・ラジャ社発祥の地クドゥスへ向かう。母は詳しい話はしてくれなかったが、ジェン・ヤーはどうやら母と結婚する以前に父と深い関係にあった女性らしく、母の話では、母と父の結婚式当日に乗り込んできて、灯油ランプで父の額をぶん殴り、今も痕が残る切り傷を負わせた張本人だという。
そんな女性に、なぜ父は死の間際になって会いたがっているのだろう? 昔の女に対するただの未練なのか?
ジャガッド・ラジャ社のクドゥス工場には長年勤める従業員もいて、父とジェン・ヤーとがかつて恋人どうしだったことも知っていたが、ジェン・ヤーは「娘印」のクレテックを作っているというだけで、どこに住んでいるかは知らないという。娘印?妙な銘柄だ。聞いたこともないけれど、工場はM町にあるらしい。M町は三人息子の祖父であり、ジャガッド・ラジャ社の創設者でもあるスジャガッドの生まれ故郷だ。
●ある町のクレテックの物語
M町とそこで作られてきたクレテックの話は、オランダ植民地時代の終盤まで遡り、スジャガッドの終生のライバルだった男イドルス・ムリアの視点から語られる。
イドルス・ムリアは貧しい家庭で育ったが、働き者で、いつか自分の事業を始めることを目標にしていた。12世紀ジャワのジョヨボヨ王の予言によると、白い肌の人間がインドネシアを3世紀半支配した後、黄色い肌の兄がやって来てインドネシアを解放するという。予言通りなら、翌年にもオランダは出ていくはずだ。そのときがチャンスだと思い決め、イドルス・ムリアは勤め先のトゥリスノ氏の煙草工場で、とうもろこしの葉で巻く丁子煙草作りの仕事に励んだ。トゥリスノ氏から読み書きを教わり、いずれ自分の事業を始めることができたら、憧れの書記の娘ルマイサに求婚するつもりだ。
ジョヨボヨ王の予言は実現してオランダ人は出て行ったが、代わりにやって来た「黄色い肌の兄」は、インドネシアを解放するどころか、無理難題を押し付けてくる厄介な存在だった。トゥリスノ氏も工場を接収されることになり、廃業を余儀なくされた。イドルス・ムリアは、トゥリスノ氏のもとに残っていたタバコの葉と丁子を安値で買い取り、自分でとうもろこしの葉巻き丁子入り煙草クロボットを作る事業を始めた。銘柄は「クロボット・ジョヨボヨ」。自分の手で巻いた煙草10本を1セットにして包み、手書きで銘柄を入れた。
Gudang Garamのクロボット(https://mancode.id/berita/mengenal-klobot-cikal-rokok-legendaris-indonesia/ より)
読み書きができるようになり、小さいながらも事業主ともなったイドルス・ムリアは、憧れのルマイサともついに結婚することができた。実は幼いころからのライバル、スジャガッドもルマイサに求婚していたが、読み書きができないことを理由に断られたのだという。
「クロボット・ジョヨボヨ」も少しずつ売れるようになっていった。次の目標は銘柄を印刷したパッケージでクロボットを売り出すことだ。パッケージには自分の名と顔写真も入れることにした。写真を持って印刷屋まで来たところで、イドルス・ムリアは日本軍に拉致され、スラバヤに連行されてしまう。
夫が帰らないことに気を揉むルマイサだったが、印刷屋の小僧から店の前に落ちていたという写真を渡され、夫が日本軍に連れ去られたことを知る。嘆き悲しみ、流産までしてしまったが、やがてルマイサは奮起して夫の事業クロボット・ジョヨボヨ作りを続けた。イドルス・ムリアはもう死んだものと思って、スジャガッドはじめ何人かの男たちが求婚してきたが、すべて断って、ひたすら夫の帰りを待った。
やがて戦争が終わって、イドルス・ムリアがM町に戻ってきた。スラバヤでは辛い経験も多かったが、都会を目の当たりにしてきたことが、イドルス・ムリアにとって有利に働いた。もうクロボットの時代ではない。とうもろこしの葉ではなく、紙で巻いたシガレットの時代なのだ。イドルス・ムリアはスラバヤで仕入れた「ソース」を加えた丁子入り煙草を赤い紙で巻き、「ムルデカ!」という銘柄でクレテック・シガレットを発売した。パッケージには竹槍を構えて叫ぶ男がデザインされている。インドネシア独立に湧くM町で「ムルデカ!」は評判となり、次第に近隣の町々でも売れるようになっていった。
ライバルのスジャガッドもイドルス・ムリアの後を追うようにクロボット作りを始めていたが、やはりシガレットに切り換え、パッケージにブン・カルノのイラストをデザインした「プロクラマシ」銘柄を売り出して対抗してきた。なんでもスジャガッドは金持ちのマドゥラ人の女性と結婚したという。
イドルス・ムリアとルマイサは、ダシヤーとルカヤーというかわいい娘ふたりに恵まれた。ふたりともいつも父の煙草工場で煙草を紙で巻く作業を手伝っていたが、中でもダシヤーはとても熱心だった。ダシヤーは、父が煙草を巻いた後で手についた滓をこそげ取り、容れ物に入れて保存しておき、たまったところでそれを紙で巻いて煙草にして吸うのを知っていた。そして自分でも工場で手伝いをした後は手についた滓をこそげ落としてためておき、それを紙で巻いて自分の唾を糊代わりにしてとめたものを父にあげた。
イドルス・ムリアはダシヤーの作った手巻き煙草を吸って驚いた。同じ銘柄の煙草を作った滓からできているのに、自分が作った手巻き煙草とはまるで味が違ったからだ。これはダシヤーの唾が甘くて、その味が加わったからではないか。それからイドルス・ムリアはダシヤーの手巻き煙草を自分で楽しむ以外に、特別な客が来た場合に饗するようになった。それが少しずつ評判を呼び、ダシヤーは甘い唾を持つ伝説の美女ロロ・ムンドゥットの再来と噂されるようになる。
(以下に続く)
- ロロ・ムンドゥット伝説
- 愛と裏切りの物語
- 物語の中のクレテックたち
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