よりどりインドネシア

2023年04月07日号 vol.139

往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第60信:「インドネシア史の闇」の現在を映像化 ~ドキュメンタリー映画『エクシル』が伝えるもの~(横山裕一)

2023年04月07日 21:28 by Matsui-Glocal
2023年04月07日 21:28 by Matsui-Glocal

轟(とどろき)英明 様

日本が例年より早い桜の開花を迎えたように、インドネシアでは乾季の訪れが早かったようで、3月以降暑い毎日が続いています。そんななか、イスラム教徒にとっての断食月もまもなく後半に入ります。50代の友人は「何年やっても、3週目、4週目は流石に少し疲れが溜まってくる」と話していました。レバラン(断食明け大祭)に向けあと一息の頑張りといったところでしょうか。

前回、映画『珈琲哲学』(Filosofi Kopi)に関する轟さんのコメントで、轟さんも珈琲愛好家であることを知り、嬉しい限りです。第58信では作品を通して、インドネシアコーヒー文化に特化して取り上げましたが、轟さんが言及したように、作品自体はまさにコーヒーを介しての二人の若者の友情と親との確執と和解、そして自立の物語です。専門家向けの映画ではないので、コーヒーに関する細かい点をいちいち指摘する必要はないとする轟さんの姿勢は正解だと思います。それよりも作品を通して如何にコーヒーの魅力を感じられるかを紹介したほうが良いと考えて書かせていただいたのが、前回の書簡です。

人間ドラマの点でいうと、轟さんがジョディを中心に紹介されたので、もう一人の主人公であるベンの親との確執についても触れておきたいと思います。コーヒー農家だったベンの父親は開発業者による農地収容に反対していたために、妻であるベンの母親が業者関係者に襲われ殺害されてしまいます。以後、父親は人が変わったかのように反対運動やコーヒー栽培に見向きもしなくなります。ここにベンとの長年の確執が生まれますが、作品ではベンの父親に対する誤解が解け、逆に愛情を持って父親から守られていたことが明らかになり和解するとともに、父親自身も自ら秘めてきた葛藤を乗り越えます。

こうした、特に地方で頻発する開発に伴う住民の土地収容、立ち退きの深刻な問題が映画『珈琲哲学』シリーズの縦軸となっています。続編『珈琲哲学2 ベン&ジョディ』では再度ジャカルタにカフェを開いた二人の主人公の前に若き女性投資家がパートナーとして登場しますが、偶然にもベン家族にかつて不幸をもたらした開発業者の社長令嬢だったことが露見し物語は急展開します。続編では、友情に加えて過去のしがらみとの決別と新たな再生がテーマで、ベン父子の想いが伝わるようなラストが用意されています。

映画『珈琲哲学2  ベン&ジョディ』(写真上)と第3弾『ベン&ジョディ』(写真下)のポスター(引用:いずれもVISINEMA  https://visinema.co/work/4

そして、シリーズ第3弾の『ベン&ジョディ』では物語の様相が一転し、銃撃戦もあるアクションストーリーとして主人公二人は再登場します。関係者によると「映画続編、テレビシリーズでやり尽くした感がある」と言うのが理由のようですが、ここでも肝心な主軸は開発業者に雇われたチンピラ集団と農地を守ろうとする農民たちの戦いでした。現代の開発優先の政治、社会に対するアンチテーゼが、コーヒーを介した若者二人の友情、成長を通して描かれたシリーズだといえそうです。轟さんも機会があれば是非、『珈琲哲学2』をご鑑賞ください。

ドキュメンタリー映画エクシル』(祖国追放)

さて、今回は昨年末にも紹介した「ジョグジャ-NETPACアジア映画祭」で初上映された作品を取り上げたいと思います。当時、わざわざジョグジャカルタまで贅沢にも映画旅行へと思い立った目的としては、第56信で取り上げたドキュメンタリー映画『旋律のリヤカー』(Roda-Roda Nada /2022年作品)とともにもう一本どうしても鑑賞しておきたい作品があったためです。それが、ローラ・アマリア監督のドキュメンタリー映画『エクシル(祖国追放)』(Eksil /2022年作品)です。

ドキュメンタリー映画『エクシル』ポスター(写真上)とローラ・アマリア監督(写真下)(引用:Lembaga Sensor Film Republik Indonesia, https://lsf.go.id/movie/eksil-the-exile/

この作品はインドネシアで「エクシル65」と呼ばれ、ヨーロッパなどに住み続ける人々の過去から現在を描いたものです。「エクシル65」とは1960年代、スカルノ初代大統領の政策で欧州の学問、先進技術を学ぶために留学生として派遣されたものの、1965年に起きた共産党系将校によるクーデター未遂事件といわれる9・30事件後、インドネシア国籍を剥奪された人々です。

9・30事件を収束させ国内権力を握ったスハルト陸軍戦略予備軍司令官(当時)が国内で大虐殺に繋がる共産党系住民の一掃を進める一方で、国外では数千人いた留学生らを対象に徹底した「選別」が実施されました。「選別」では大使館に呼ばれた留学生らが「共産党支持の是非」、「(スハルト実権掌握後の)現政権支持の是非」を問われ、共産党支持あるいは現政権不支持を回答した学生らはパスポートの延長が認められず、実質的に国籍剥奪に至っています。

こうした彼らが「エクシル65」で、なかには共産党支持者もいましたが、ほとんどが共産党支持者ではなく、スカルノ初代大統領の政策で奨学金留学生として派遣されたことからスカルノ信奉者であるがゆえ、混乱に乗じて政権を握ったスハルトを認めなかった人々でした。故郷から遠く離れた欧州などで彼らは祖国インドネシア国籍を失ったまま、半世紀以上経った現在に至ります。

映画『エクシル』ではこうした時代の闇に翻弄され、ヨーロッパに生き続ける元留学生10人の現在の姿、そして彼らの辿ってきた苦難の歴史を克明に映像化しています。ここでこのうちの一人を紹介します。

中ジャワ州ソロ出身のサルマジさんは1964年、奨学金留学生として中国へ渡ります。1年も経たぬうちに9・30事件が祖国で起き、スカルノ政権支持を表明したためパスポートが延長されず、インドネシア国籍を失います。中国でサルマジさんは大学を卒業しますが、追い打ちをかけるように中国文化大革命の混乱にも巻き込まれ、ようやくヨーロッパ、オランダのアムステルダムに移動できたのは1976年でした。

自宅で証言するサルマジさん(引用:同作品予告編より https://jaff-filmfest.org/the-exiles/

ここでサルマジさんはガラス切断工の仕事を得て、定年まで20年間ほとんど休まずに働き続けたといいます。その一方で、彼は9・30事件やインドネシア政治史に関する書物や資料収集を続けました。自ら事件の究明とその裏に隠された真相を追い求める人生でもありました。映画『エクシル』では、サルマジさんが自宅の机に佇む姿を映し出します。机や本棚に限らず、ありとあらゆるところに書籍やコピーされた資料が積み上げられていて、足の踏み場もないほどです。サルマジさんの生真面目さが窺えるとともに、彼の半世紀にわたる運命との苦悩と葛藤の蓄積が本と資料の山に表されているようでもあります。

サルマジさんのシーンの冒頭、彼がカメラマンや監督に向けて発した一言が、強く印象に残っています。

「ここで私から聞いた話は(帰国後)周りに話してはいけないよ。君らや周りの人たちに迷惑がかかるから」

9・30事件以降、国籍剥奪の憂き目に遭った人々の多くが共産主義者でなかったにもかかわらず、「共産主義者のレッテル」を貼られ、祖国の家族や関わりのあった人達にも共産主義者の疑いがかけられた過去があったためです。サルマジさんは制作スタッフに対して優しさからかけた一言でしょうが、過去の体験が現在においても生々しく彼の中で生き続けていることが端的に理解できる一言で虚をつかれます。半世紀以上も前の「歴史的事件」ではなく、紛れもなく未だに解決されていない「現在の問題」であることを如実に表しています。

将来のインドネシア発展のために意気揚々と留学したものの祖国に見放され、「自分の国」を失った人々。時は流れ、彼らは滞在先の国々で新たな国籍を得て就職、結婚をしていきます。スカルノ初代大統領が東西冷戦下、東側諸国と親交を深める傾向にあったことから、彼らの多くは旧ソビエト連邦や東ドイツ、チェコスロバキア、ルーマニアなどへ留学しましたが、その後オランダへ移る人も多くあったといいます。東側諸国ではなく西側でインドネシアと関わりの深い国として選んだのが理由のようです。

ヨーロッパで子供も産まれ生活基盤ができる一方で、彼らの心に募るのが望郷の念です。映画『エクシル』でも、滞在国での国籍を取得(亡命)した人が故郷であるインドネシアを訪問した逸話を本人の証言とともに紹介しています。

オランダで国籍を取得したアサハン・アイディットさんは1996年、「外国人」として故郷であるブリトゥン島(バンカ・ブリトゥン州)を訪れます。しかし、約30年ぶりの再会にもかかわらず、家族からは自分たちに危険が及ぶので早く立ち去ってほしい旨を告げられてしまいます。さらに翌日には、宿泊先近くに国軍兵士の乗ったトラックが来ます。「(私に対する)脅しだったことは明らかだった」とアサハンさんは証言しています。

アサハンさん((引用:同作品予告編より https://jaff-filmfest.org/the-exiles/

彼の場合、兄がかつてインドネシア共産党幹部だったこともあり、家族や当局の反応も極端だったのかもしれませんが、作品内では共産主義者でない者も一時帰国の際、故郷で似たような扱いを受けた例も紹介されています。9・30事件以降の共産主義者の一掃、虐殺がいかに激しく住民に恐怖を植え付けたものだったか、さらに反共教育がいかに徹底されたものだったかを窺わせます。アサハンさんが家族分断を余儀なくされた実態は、30年経った1990年代においてもその恐怖の記憶が鮮明に残っていた証明でもあり、9・30事件以降の反共運動が住民に及ぼしたものは何だったのかを改めて考えさせられます。

(以下に続く)

  • 「エクシル」問題の現在と新たな動き
  • 時間との戦い・・・
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