よりどりインドネシア

2023年02月08日号 vol.135

ドロパディ戦記(太田りべか)

2023年02月08日 21:39 by Matsui-Glocal
2023年02月08日 21:39 by Matsui-Glocal

なぜこんなに長い話になってしまったのだろう? 930ページの大長編である。中ジャワ州スマラン在住の作家トリヤント・トリウィクロモ(Triyanto Triwikromo)のPertempuran Lain Dropadi(『ドロパディのもうひとつの闘い』)は、『マハーバーラタ』のクライマックスをなすパンダワ五兄弟とコラワ一族との間の大戦とその前後を、パンダワ兄弟の妻ドロパディの立場から語り直す物語だ。

ドロパディの立場からとはいえ、ドロパディの一人称で物語が進行するわけではない。女神サラスヴァティが語り手となり、ドロパディを二人称「おまえ」で呼びながらその軌跡をたどっていく。

930ページのうちの大半を戦闘の描写が占める。パンダワ対コラワの大戦だけでなく、ドロパディとさまざまな敵との戦闘が執拗に繰り出される。数え切れないほどの首が飛び、頭が棍棒で粉砕され、目玉が剣で抉り取られる。タイトルが『ドロパディのもうひとつの闘い』なので、そうなってしまって当然なのかもしれないが、この大作を読み通すにはかなりの忍耐を要する。ここまで長くする必要はなかったのでは、という疑問が始終頭にちらつく。

Pertempuran Lain Dropadi

●『マハーバーラタ』のドロパディ

インドの大叙事詩『マハーバーラタ』はインドネシアでもお馴染みのもので、欧米文学の多くを深く読み解くためには聖書を知っていることが不可欠であるように、インドネシア文学を読み解くには『マハーバーラタ』の基礎的なことは知っておく必要がある。インドネシアではワヤンなどを通して、宮廷を中心とする知識者層だけでなく民衆の間にも浸透していった『マハーバーラタ』だが、ジャワのワヤン版では、イスラムの影響もあって、元の『マハーバーラタ』からはかなり変更を加えられている部分もある。たとえばインド版『マハーバーラタ』では、ドロパディはパンダワ五兄弟共通の妻となり、一年ごとに五兄弟のうちのひとりのもとに暮らすことになる。ジャワのワヤン版では、この一妻多夫を忌避して、ドロパディはパンダワ五兄弟の長男ユディスティラのみの妻となる。

トリウィクロモの『ドロパディのもうひとつの闘い』は元のインド版の物語を下敷きにしているので、インド版『マハーバーラタ』でドロパディがどのように描かれているか、簡単に見てみよう。

ドロパディはパンチャラ国の王ドルパダの娘。ドルパダはクル王家(パンダワ兄弟もコラワ族もこの王家の一族)の軍事・武術師範ドロナのことを恨んでいたので、ドロナを殺すことのできる息子がほしいと願い、そのための祭祀を行った。その祭火の中から男の子が現れ、続いて女の子が現れた。女の子はドロパディと呼ばれ、絶世の美女に成長した。

ドルパダ王はドロパディのために嫁取り競争を催した。用意された強弓を引いて的を射抜いた者がドロパディを花嫁とする権利を得るのである。多くの男たちが失敗するなか、御者の息子カルナという男が的を射抜いたが、ドロパディは御者の息子と結婚するのは嫌だと断った(カルナは競射に失敗したというバージョンもある)。当時、パンダワ兄弟は、コラワ族の策略で家ごと焼き討ちされそうになったところを逃れて森に潜伏中だったが、パンダワの三男アルジュナがバラモンに変装して嫁取り競争に参加した。アルジュナは見事に的を射抜いてドロパディを森の隠れ家に連れ帰った。

アルジュナが母クンティに「いただきものを持ち帰った」と報告すると、クンティは背を向けたまま振り返らずに、「兄弟五人で平等に分けなさい」と言った。アルジュナは驚いたが、母がすでに口にしてしまった言葉は守らねばならず、ドロパディはパンダワ五兄弟全員の妻となり、長男のユディスティラから始まって、一年にひとりずつ順番に五兄弟と過ごすことになった。

その後パンダワ兄弟はクル王国に帰還することができ、パンダワとコラワが争いを起こさないようにクル王国をふたつに分け、ハスティナプラを首都とするクル国をコラワ族が、インドラプラスタを首都とするクルジャンガラ国をパンダワ族が支配することになった。インドラプラスタに壮麗な宮殿を建てたパンダワ兄弟は祝宴にコラワ族を招待した。コラワ百兄弟の長男ドゥロヨダナは、インドラプラスタ宮殿の池をクリスタルの床だと思って踏み込み、池に落ちるという失態を犯した。実直なユディスティラを除いたパンダワ兄弟は、それを見て嘲笑した。

パンダワ兄弟に笑い者にされたことを恨み、またインドラプラスタ宮殿の見事さを妬んで、ドゥロヨダナはパンダワに対する復讐を企み、叔父のサンクニと共謀してパンダワ兄弟を賽子賭博に誘った。サンクニが術を使って賽子の目を操作しため、賭博に応じたユディスティラは負け続け、全財産も王国も失い、自分と兄弟たちもコラワ族の奴隷となることになってしまい、最後にはコラワ兄弟に唆されてドロパディを賭けものにして、またしても負けたため、ドロパディをコラワ族に引き渡さなければならなくなった。

ドゥルヨダナの弟ドゥルササナがドロパディを部屋に迎えに行ったが、ドロパディが拒んだため、ドゥルササナはドロパディの髪をつかんで無理やり広間に引きずっていった。ドゥルササナは衆人環視の中でドロパディを裸にして辱めようとしたが、クリシュナ神の助けによって、ドゥルササナがどれだけドロパディの身に着けた布を引っ張っても布は尽きることがなく、ドゥルササナの目論見は失敗した。

ドロパディの衣を剥ぎ取ろうとするドゥルササナ。R.G. Chonker画(https://id.wikipedia.org/wiki/Dropadiより)

結局コラワ百兄弟の父王のとりなしによって、パンダワ兄弟は賭けで失ったものをすべて取り戻すことができた。だが納得できないドゥルヨダナは再びユディスティラに賽子賭博をもちかけ、ユディスティラはまたしても負けたため、パンダワ五兄弟とドロパディは12年間山に籠り、その後1年間は正体がばれないように変装して過ごさねばならなくなった。

13年間の苦難の年月を終えたパンダワ兄弟とドロパディはインドラプラスタに戻ることを望んだが、ドゥロヨダナは承知せず、パンダワとコラワの間の溝はいっそう深まった。クリシュナが仲介して、別の土地をパンダワ兄弟に分けるという折衷案も出されたが、ドゥロヨダナは頑として受け付けず、結局パンダワ対コラワの大戦に発展した。18日間の激戦の末、コラワ族は敗れた。

それから幾年もが過ぎ、ユディスティラは王位をアルジュナの孫に譲って、兄弟とドロパディとともに聖地巡礼に出た。最後に、パンダワ兄弟とドロパディはもっとも聖なる山ヒマラヤの頂上を目指したが、その道中でドロパディは命を落とした。

●三人の女傑 ―ドロパディ―

『マハーバーラタ』のドロパディは苦難に負けない強い女性ではあるが、超能力や神通力を持っているわけではなく、武器を手にして闘う女戦士でもない。数々の難局を切り抜けるけれど、いつもクリシュナ神やパンダワ兄弟の次男ビマの助けのおかげだ。

一方、トリウィクロモの『ドロパディのもうひとつの闘い』のドロパディは、神々の予言によって世界の女王となるべく生まれた最恐の女だ。気性も異常に激しく、恨みは決して忘れず、執拗に敵を斃すことばかりを考える。人間どうしのあれこれにいちいち手出し口出しをしてくる神々に対してドロパディは強い反感を抱いているが、その身の内にはガンジス河の女神ガンガーが宿り、ときには破壊の女神カーリーと一体化することもある凶暴な女でもある。

他人の目には見えない秘密の軍団を率いている。その軍団はドロパディと同じ顔の9人の女たちからなり、ドロパディ自身も部下の9人の女たちも、さらに99人に分身することができる。皆どんな武器も巧みに使いこなせる戦士だ。ドロパディが夫のパンダワ兄弟に内緒で単独で敵を襲撃するときは、この秘密の軍団を率いていく。

半神半人のクリシュナとは幼いころからの親友で、クリシュナに授けられた術によってドロパディは巨体の怪物にも変身することができる。他にもドロパディに肩入れする神々の力によって、危機に陥ったときには翼が生えたり、それぞれ違う武器を握った腕が何本も生えたり、もはや神話の世界を通り越したような様相を呈して敵を粉砕する。

まだ少女のころにドロパディは自分を巡る予言と、これから自分が辿ることになる人生の道筋を知らされた。そしてドロパディはそれを変えるのではなく、その予言に従う道を選ぶ。嫁取り競争のときには、カルナの射た矢に向けて目に見えない小蛇たちを放って、矢が的を射抜くのを人知れず妨害した。実はカルナに惹かれていたのだが、カルナが競争に勝ってしまうと「5人の戦士の妻になる」という予言が実現しなくなるからだった。

夫であるパンダワの長男ユディスティラが賽子賭博の誘いに応じたときも、ドロパディは止めようと思えば止めることもできたのに、あえて止めなかった。その結果自分がコラワ族の前で辱められることも、その先の大戦が避けられないものになることもわかっていたのだが。コラワ族の宮殿を訪れるのを好機に、コラワ百兄弟の母ガンダリを殺害しようと目論んでいたため、また予言された通りに大戦が実現することを望んだため、負けることがわかっている賭博に夫をあえて赴かせたのである。

作者の意図は、強く大胆不敵で自立した女としてドロパディを描くことだったのだろうか。それにしても、ドロパディの異様なまでの闘争心と、敵の残滅と予言の実現に対する執着心はどこからくるのだろう?

強さだけでなく、ドロパディがひたすら隠し通す密かな弱点も、この物語には描かれている。時折、血の塊のようなものが視界を覆って、それ以外にはなにも見えなくなってしまうのだ。やや症状がおさまったときも視界は3分の1しかない。この盲目の発作に襲われると、ドロパディは力を失ってしまう。ドゥルササナによってコラワ族の嘲笑に満ちた広間に引きずっていかれたときも、この発作のせいで抵抗できなかった。パンダワ対コラワの大戦中も、最強の敵を倒すべく秘密の軍団を率いて密かに出陣しようと思っていた矢先に発作に襲われてしまう。この盲目の発作は神々の呪いなのかもしれないし、宿敵ガンダリの呪いなのかもしれない。

(以下に続く)

  • 三人の女傑 ―カラカリ―
  • 三人の女傑 ―ガンダリ―
  • すべてが私怨から始まる
  • 運命論と恣意的な神々
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