よりどりインドネシア

2023年02月08日号 vol.135

ラサ・サヤン(39)~バタック人の知恵と失われる森林~(石川礼子)

2023年02月08日 21:38 by Matsui-Glocal
2023年02月08日 21:38 by Matsui-Glocal

●北スマトラの自然

『よりどりインドネシア』第127・128・129号で、轟さんと横山さんが昨年6月に公開された “Ngeri-Ngeri Sedap”(邦題:ゾクゾクするけどいい気分)をベタ褒めしていましたが、私も全く同感で、昨年見た映画の中で一番感動した作品でした。

作品の魅力は、轟さんと横山さんのエッセイに書き尽くされていますので割愛しますが、ストーリーとともに私の心に残っているのは、サウンドトラックとして流れるバタック民族の素晴らしい歌の数々と、トバ湖の雄大な景色です。この映画のロケ地となったトバ湖がある北スマトラ州には、まだ行ったことがないのですが、この映画を観たことで、行きたい気持ちに拍車が掛かりました。

その北スマトラでは、熱帯林が失われつつあるといいます。

スマトラ島には15,000種以上の植物、201種の哺乳類、580種の鳥類が確認されており、とくに島固有の亜種であるスマトラ虎、スマトラ象、スマトラサイ、スマトラオランウータンは、いずれも絶滅危惧種に指定されています。まさに、虎、象、サイ、オランウータンが野生で共存する「地上最後の楽園」なのです。

私の主人は南スマトラのパレンバン出身ですが、彼が幼い頃には、伝統市場でスマトラ虎の肉が売られていたらしく、義母から息子たちに食べさせたことがあると聞きました。当時は乱獲されていたのかも知れません。

アチェ州と北スマトラ州にまたがって、『ルセル生態系』と呼ばれる低地熱帯雨林、肥沃な泥炭湿地、高山牧草地、山地森林が広がっており、東南アジアに存在する豊かな熱帯雨林の一つとなっています。『ルセル生態系』の一部は、スマトラ熱帯雨林遺産としてユネスコ世界遺産に登録されており、大統領令やアチェ州の統治法によって『環境保全機能の国家戦略地域』として指定されています。

“Ngeri-Ngeri Sedap”に映し出されるトバ湖の風景。(出典)https://validnews.id/kultura/ngeri-ngeri-sedap-memikat-1-juta-penonton

失われつつあるルセル生態系の森。(出典) https://jp.wsj.com/articles/SB10001424052702304155604579547332187035914

WWFジャパンの2019年5月のレポートによると、1980年頃から、この貴重な熱帯林は著しく破壊されています。1985年にはスマトラ島の面積の58%に当たる2,530万ヘクタールの熱帯雨林が広がっていましたが、2016年には1,040万ヘクタールにまで減少しています。つまり、30年間で半分以上の熱帯林が失われたことになります(https://www.wwf.or.jp/activities/basicinfo/42.html)。

この急激なスマトラ島の熱帯林の減少に大きく関わっているのが、紙とパーム油のプランテーション(大規模農園)です。今やスマトラ島は世界の製紙、パーム油産業の一大拠点であり、製造された原料や製品はインドネシア国内だけでなく、日本を含む世界中に輸出されています。

さらに、こうした理由で住処を失った野生生物がプランテーションや村落で人に殺されたり、大幅に縮小したりすることで、人が入りやすくなった森で密猟に遭うなど、野生生物は窮地に追いやられています。

多様な自然地帯を保護するために、地元のコミュニティやHAKA(Forest Nature and Environment of Aceh: アチェの森林、自然、そして環境団体)などの組織は、森林伐採をなくし、密猟を防ぎ、人間と動物の衝突を最小限に抑えるよう努めています。

●北スマトラに住むバタック人

北スマトラ州には、世界最大のカルデラ湖である『トバ湖』があります。そのトバ湖周辺に住んでいる民族を『バタック人』と言います。バタック人というと「身体が大きい」、「声が大きい」、「目鼻立ちがはっきりしている」、「歌が上手い」、「ストレートに物を言う」、「弁護士やバスの運転手になる人が多い」、「犬肉を食する」などの特徴が一般的に挙げられますが、勿論これらはステレオタイプでしかありません。

バタック人の社会は、『マルガ』と呼ばれる家父長社会に従って継承される一族を基本としています。そして、全てのマルガは、一人の祖先 “Siraja Batak” を起源とした子孫であると伝統的に信じられています。

そのバタック人たちが、森林の伐採と生態系の変化に警笛を鳴らしています。

以下の “The Jakarta Post” の記事から、バタック人は森林保護に関して、どのように考えているかを読み解きたいと思います(一部意訳、また追記あり)。

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バタック人の知恵で北スマトラの森林は守れるか?

(2022年11月2日付のThe Jakarta PostのFeatures欄より抜粋)

何世代にもわたって継承されてきた地元バタック人の知恵が森林伐採の解決策だと信じている人たちがいる。

スマトラ島北部の高地に居住する民族・バタック人にとって、著しい森林伐採に対抗できる唯一の方法は、昔から語り継がれている『地元人の知恵』を受け入れることである。

バタック人の神話では、宇宙の創造主であるムラジャディ・ナボロンは、最初の人間の祖先であるボル・デク・パルジャールの「地球を自分のものとして支配したい」という願いを認めた。神々の領域に住んでいた神話の大蛇、ナガ・パドハニアジは、美しいボル・デク・パルジャールに恋をした。しかし、ボル・デク・パルジャールは、当時存在していた唯一の人間の男性であったオダップ・オダップ王と既に結婚の約束をしていたため、ナガ・パドハニアジを拒否した。ナガ・パドハニアジは拒否されたことに怒り、ボル・デク・パルジャールが作り上げた地球を破壊した。ナガ・パドハニアジは、自分のその行いを創造主であるムラジャディ・ナボロンに謝罪し、地球の世話をするという条件で許してもらった。その後、ムラジャディ・ナボロンの祝福の下で、ボル・デク・パルジャールはオダップ・オダップ王と結婚した。二人の間に最初の子供が産まれたが、その子には顔も手足もなかった。ムラジャディ・ナボロンの指示通り、子供は地球に植えられ、一本の木に成長した。それから、ボル・デク・パルジャールは、双子のラジャ・イハット・マニシアとボル・イハット・マニシアを出産した。彼女は2人の子供たちに、人間と自然との調和を維持するよう提言した。

2007 年6月に自身のブログに掲載された記事の中で、バタック人の文化継承者で、作家でもあるMonang Naipospos氏(以下、モナン)は、これらの神話は水源の保護や、森林の維持など、環境を管理するうえでのバタック人の知恵の根源であると述べている。

「人々が森の木を伐採するには、代わりの木を植えなければならない。それを破る者は誰でも呪いを受けると言われています」と、モナンはThe Jakarta Post紙に語った。

木を崇む

「昔、バタック文化には『マルトンディ・ハウ』の伝統がありました。それは、森で木を切ったら、代わりの木を植える風習であり、その後に儀式が行われました」と、HKBP(バタック・クリスチャン・プロテスタント教会)ノメンセン・メダン大学のバタッコロギー(バタック人に関する研究)の教務部長であるManguji Nababan氏(以下、マングジ)は言う。

マングジは、『マルトンディ・ハウ』は、森林での商業的な木の伐採だけでなく、家から柩(ひつぎ)まで、先住民が必要とする全ての木材も儀式の対象となると説明した。全ての木には魂があると考えられているからだ。

木を伐採するプロセスも特定の規則に従わなければならない。伐採する木は蔓や生き物が生存していないもので、代わりに植える苗木も用意しなければならない。代わりの木は確実に成長し、大きな木に潰されないように植え直す必要がある。植えた後には、祈祷が行われ、食事が提供される。現在、このようなイベントは、シマルングン県のシハポラス村など、少数の先住民族によってのみ行われている。彼らは今でも、水源が汚染されないように地元の知恵を実践している。「先住民は『地元人の知恵』の最後の管理人であると言えます。さもなければ、その知恵は永遠に失われるでしょう」とマングジは話す。

熱帯雨林の再生のために苗木を植える北スマトラのシハポラスの原住民。(出所)https://www.thejakartapost.com/culture/2022/11/01/can-we-save-north-sumatran-forests-with-local-batak-wisdom.html

中部ジャワ・プカロガンのある村では、花嫁は苗木を植えることが義務となっている。(出所) https://radarpekalongan.co.id/92914/di-desa-ini-paslon-pengantin-diwajibkan-tanam-bibit-buah/

(以下に続く)

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