よりどりインドネシア

2022年07月23日号 vol.122

Cantik Itu Luka の20年(太田りべか)

2022年07月23日 15:06 by Matsui-Glocal
2022年07月23日 15:06 by Matsui-Glocal

今やインドネシアを代表する作家のひとりとなったエカ・クルニアワンの処女長編小説にして代表作である Cantik Itu Luka が、初版出版から20年を迎えた。2002年に初版を出したのはジョクジャカルタのAKY プレスとジェンデラ出版で、その後2004年に大手出版社グラメディア・プスタカ・ウタマから出版され、2021年には第25刷が出ている。そして2022年6月、出版20周年を記念して特装版が発行された。

20周年記念特装版はハードカバー、表紙デザインは現行の並装版と同じで、色調を赤系から緑系に変えたもの。著者のサイン入り。そして予約購入限定の特典として、この小説の原型となった習作 O Anjing の原稿の一部抜粋をコピーした小冊子が付いている。

Cantik Itu Luka 出版20周年記念特装版。https://www.gramedia.com/blog/novel-cantik-itu-luka-rayakan-20-tahun-dengan-sampul-terbaru/

エカ・クルニアワンと Cantik Itu Luka については、以前に何度か『よりどりインドネシア』に掲載された拙稿でも触れたし、それ以外にもなにかと機会のあるたびに書いたり話したりしてきた。だから少々しつこいような気もするが、せっかくの20周年記念なので、あらためてこの作品について書いてみたいと思う。

●著者について

エカ・クルニアワン(Eka Kurniawan)は、1975年西ジャワ州タシクマラヤ生まれ。ガジャマダ大学哲学部卒業。卒業論文は「プラムディヤ・アナンタ・トゥールと社会主義リアリズム文学」だった(後に出版されている)。

2000年に初の短編集 Corat-coret di Toilet(『トイレの落書き』)、2002年に長編小説 Cantik Itu Luka を発表。2016年には、2作目の長編 Lelaki Harimau(『虎人間』)の英訳版 Man Tiger が、インドネシア人作家としてはじめてブッカー国際賞にノミネートされた。同年、Cantik Itu Luka がワールド・リーダーズ賞を受賞。2018年、上記2作を含む著作活動に対してオランダのプリンス・クラウス賞が授与された。

2014年に発表した小説 Seperti Dendam, Rindu Harus Dibayar Tuntas(『怨恨のごとく、恋慕も完済すべし』)は、エドウィン監督、エカ・クルニアワン脚本、芹澤明子撮影監督で映画化され、2021年に公開、スイスのロカルノ国際映画祭でグランプリに当たる金豹賞を受賞した。日本でも2022年8月20日から劇場公開されることになっている(公開邦題は『復讐は私にまかせて』)。

●翻訳版 Cantik Itu Luka

Cantik Itu Luka は34の言語に翻訳されている。そのうちのいくつかの表紙デザインを見てみよう。

色鮮やかな外国語版が並ぶなか、日本語版がないのはいかにも寂しい。だが、実は日本語版もあったのである。英語版の初版が出版されたのは2015年だが、それに先立つこと9年、2006年に日本語版が出ている。私が新風舎より、共同出版という、いわば半自費出版の形態で出したものだ。邦題は『美は傷』、費用の関係上、文庫本上下2巻での出版となった。けれども、それから2年足らずで新風舎が倒産、『美は傷』は絶版となって今日に至る。

Cantik Itu Luka との出会いから『美は傷』出版まで

インドネシア語版の初版が出てからまだそれほど経っていなかったころ、スマランの書店で偶然この本を見つけた。表紙が気に入ったので買って読んでみると、冒頭の一文から惹きこまれた。

三月の週末の夕暮れ時、デウィ・アユは死後二十一年にして墓場からよみがえった。

それまでに読んできたインドネシアの小説のどれとも違う世界が展開していくはずだ、という期待でいっぱいになって、最後まで一気に読んだ。複雑に絡み合う色とりどりの物語、たくさんの登場人物が入り乱れ、現実と幻想とおとぎ話が混在する猥雑なごった煮のような、坩堝のような世界がそこにあった。それでいて登場人物たちが妙に覚めたように見えるところにも、不思議な魅力があった。読み終わった後には、複雑怪奇な密林を通り抜けてその果てにたどり着いたような充足感が残った。

Cantik Itu Luka 初版

これはどうしても訳さなければならないと思い、どうにかこうにか訳しはしたものの、それをどうやって日本での出版という形にもっていけばいいのか皆目わからない。日本にいたころは特にインドネシアに関心を持ったこともなかったので、日本のいわゆるインドネシア関係者に知り合いもなければ、出版社のつてもない。不躾は承知でいくつかの出版社にレジュメや部分訳を送ってはみたが、当然のことながらなしの礫もない。

しまいには、プラムディヤ・アナンタ・トゥールの一連の著作などの翻訳をなさっておられる押川典昭先生に訳稿を送りつけるという暴挙に出た。今思うと、ほんとうに冷や汗もので恐縮の至りである。それでも先生は丁寧に目を通してくださり、アドバイスをくださった。だが、以前インドネシア文学の翻訳出版支援をしてくれていた財団からの助成金が打ち切りとなったため、出版は難しいだろう、とのことだった。

結局「共同出版」という形態でようやく出版にこぎつけたが、それまでかなりバタバタしたような記憶がある。2006年ごろといえば、もうインターネットは普及していたし、編集者とのやりとりはメールでしていたが、校正刷りなどは、印刷したものをEMSで送ってもらい、要修正箇所に手書きでチェックを入れてEMSで送り返すという形だった。当時、PDFはまだ一般的でなかったし、ある程度の容量のあるファイルをメールに添付して送ることはできなかったのかもしれない。そういえば、私の自宅のインターネット接続は、まだダイヤルアップ方式だったような気がする。

当時の日本-インドネシア間のEMSでの郵送は、今よりむしろ早くできたように思うが、それでも少なくとも1週間、長ければ2週間ほどかかった。そうやってやりとりに時間がかかることを考慮に入れて出版スケジュールを組んでくれればいいのに(そもそも出版費用を出すのは、こちらなのだし)、日程がかなりきつくて、納得いくまで修正することができなかったのが今でも悔やまれる。

Cantik Itu Luka 日本語版『美は傷』(https://id.wikipedia.org/wiki/Cantik_itu_Lukaより)

副題「混血の娼婦デウィ・アユ一族の悲劇」は、編集者の提案によるものだ。これは原書にもないから不要だし、むしろないほうがいい、と主張したのだが、あったほうがわかりやすいから、という理由で、結局、付けられることになってしまった。それも悔やまれる点のひとつだ。もしも『美は傷』を復刊できることになったら、この副題は是非とも削除したい。

エピグラフには、セルバンテスの『ドン・キホーテ』のなかから一節が引用されている。このエピグラフが『美は傷』の物語とは直接関係がないようだから削除してもいいか、と編集者が言ってきたときには、正直唖然とした。これのどこが「直接関係がない」などと言えるのだろう。それに、たとえその関係性が読み取れなかったとしても、著者がエピグラフとして掲げている以上、翻訳者や編集者はそれを最大限尊重すべきなのではないだろうか。結果的に、このエピグラフはそのまま掲載することができた。ちなみに原書ではインドネシア語に訳されたものが掲げられているが、それを直接訳すことはせず、牛島信明訳の岩波文庫『ドン・キホーテ』より引用させていただいた(余談だが、そのためにこの岩波文庫版全6巻を購入して読破した)。

『美は傷』の出版からずいぶん時間が経っており、副題やエピグラフのこともすっかり忘れていたのだが、ここ1~2年でまた Cantik Itu Luka に触れる機会が増えてきたので、ふと思い出し、書かずにいられなくなって、つい書いてしまった。当時世話になった編集者に対して不平を鳴らしてばかりで恐縮だが、自分の訳についても、至らぬ点が多々あった。私のインドネシア語の読解力も今よりもさらに不十分だったし、当時のインターネットではアクセスできるデータにも限りがあって、調べきれなかったことも少なくなかった。

その後、出版社倒産により『美は傷』が絶版となってから10年近く経って、エカ・クルニアワン氏のエージェントから連絡があり、日本での『美は傷』の復刊先を探すとのことだったので、その機会に改訳して訳稿をエージェントに送った。

前に出した『美は傷』は納得のいく出来とはいえなかったし、市場に出た期間も短かったので、結局自己満足的な形で終わってしまったことを反省している。次にまた機会があるとすれば、「インドネシア文学は売れない」とはじめから決めつけるのではなく、戦略的に「売る」こと、商品として流通させることを考えてくれる出版社から出して、商業的にもなんらかの手応えが得られて著者にも報酬がいき渡り、エカ氏の他の著作や、他のインドネシア人作家の作品の翻訳出版の実現にもつながって、インドネシアの文芸作品が、いわゆるインドネシア関係者だけでなく、一般の人々にももう少し認知されるような方向に持っていけたら、というのが現在の私の夢であり、目標である。

ところで、エカ・クルニアワン氏の外国語版の翻訳権などを扱っているのは、スペインを拠点とするPontas Agencyのようだが、このエージェントのサイト(https://www.pontas-agency.com/book/beauty-is-a-wound/)によると、Cantik Itu Luka の映画化権は“sold”となっている。どこのだれが買ったのだろう? ほんとうに映画化されるのだろうか? それとも映画化計画は頓挫してしまったのだろうか?

(以下に続く)

  • Cantik Itu Luka の世界
  • はじまりの O Anjing
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