よりどりインドネシア

2022年07月23日号 vol.122

往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第46信:本家韓国映画をこえるか!? インドネシアリメイク版 ~『猟奇的な彼女』と『サニー』より~(横山裕一)

2022年07月23日 19:25 by Matsui-Glocal
2022年07月23日 19:25 by Matsui-Glocal

轟(とどろき)英明 様

先月下旬、いつものように映画館に行くと、週末でもないのにロビー一杯に人が溢れていました。ふと気がつくと物音ひとつせず、皆手話を使っていました。どうやら聾学校の団体客で、人気映画の続編『チュマラ家族2』(Keluarga Cemara 2 /チュマラ(松)が青々と成長していくように、家族が協力し合って心豊かに育つという意味)を鑑賞しに来ていたようでした。そういえば、近年のインドネシア映画では耳の不自由な方に配慮して、劇内の会話だけでなく効果音なども補足するインドネシア語字幕がついた作品が増えてきていますね。

団体客で賑わう映画館(南ジャカルタ)

『チュマラ家族2』も興味がありましたが、当日私は別の作品が目的でした。それは日本でも大ヒットした韓国映画のロマンスコメディ『猟奇的な彼女』(2001年作品)のリメイク版 “My Sassy Girl” で、あの痛快作がどのようにアレンジされているかが非常に楽しみだったためです。とくに2000年代以降の韓国映画の躍進、世界的なブームもあり、インドネシアでも近年韓国映画のリメイク版が増えています。また秋にはさらに2作品が上映予定のようです。そこで今回は、インドネシアでアレンジされた韓国映画のリメイク版について話したいと思います。

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その前に、前回の轟さんが書かれた『呪いの地の女』(Perempuan Tanah Jahanam)で、イスラムとの関連、宗教的救済がなかったことの解釈はどうか、との質問がありましたので、私なりの考えを少し申し上げたいと思います。結論から言うと、イスラムを物語に絡ませる必要は全くなかったのではないでしょうか。理由は、本来、イスラムの教義では人は死ぬと魂は神の下に行くか地獄に行くかで霊がこの世に漂うことはなく、基本的に霊や妖怪の登場するホラー作品とは基本相容れないものと考えられるからです。

この世に未練を残し霊が漂う仏教世界とは異なるものの、インドネシアにも幽霊や怪談が多くあるのは、人の霊がジンとなって悪さをする古くからのジャワ信仰の影響が強く反映されているためとみられます。その意味で作品の舞台となったジャワの隔絶された村では、特にジャワ信仰が根強く残っていて、物語の怪奇現象もそこから起因しているため、救済方法としてのイスラム要素を入れる必要性はなかったものと考えられます。勿論、隔絶された村とはいっても、おそらく村人は全員イスラム教徒だということは想像でき、イスラムが村落共同体を束ねる要素のひとつではありますが、3人の少女たちの霊、呪いが登場する物語とはそぐわない、相反するものだったということかもしれません。

これまで轟さんに紹介してもらい鑑賞した作品群の中でも、イスラムが重要なポイントになっていたものは無かったように見受けられます。勿論、現代のインドネシア社会でイスラムは重要な位置を占めていて、『悪魔の奴隷』旧作版や『スンデル・ボロン』では、最後はイスラム指導者がコーランを唱えて事態が収束しますが、物語の進行上、便宜的、悪くいえばとってつけたような扱いが多いように思われます。

たとえば、『悪魔の奴隷』では物語を終わらせるためだけに、イスラム指導者を最後のシーンに突然登場させた印象が強く残っています。別にドゥクン(祈祷師)が登場しても変わらないが、人々を救済する方法として現代社会ではイスラムが多数派だったため、あえてイスラム指導者を悪魔祓いの役にあてた、という感じで、この「便宜的」な扱いが逆に気になったくらいです。

同様に『スンデル・ボロン』では、恨みある者たちを呪い殺す目的を果たした妖怪のスザンナに対して、これまで一度も登場していなかったイスラム指導者が怯えながらコーランを唱えてスザンナが消えていくようにも見えます。しかし、このシーンは日本で例えれば、幽霊を目の当たりにして人々が咄嗟に「南無阿弥陀仏」「桑原桑原」と唱えてしまうのと同じで、イスラム指導者は退治目的というよりは自らの恐怖回避のためにとりあえずコーランを唱えていただけのように見受けられます。さらにこのシーンでは、目的を果たした妖怪スザンナはすでに力尽きており、何もしなくても消えていくような状況だったことからも、あえて怯えたイスラム指導者を登場させる必要もなかったようにさえ思われます。このように、ホラー作品におけるイスラムはとってつけた感が否めない印象を受けます。イスラムと真っ向から向き合ったようなホラー作品があれば、是非ともご紹介いただければとも思います。

あとひとつ、『呪いの地の女』はとても面白い作品でしたが、それだけに一つだけ不満があります。それは厳しくいえば蛇足的なラストシーンです。事件の首謀者だった母親を悪霊として復活させて最後に観客に対して驚かす意図とは思われますが、愛する息子の自害に失望して後を追った母親の衝撃的なシーンから間もないなかで、彼女に新たな恨みが発生した要素が理解できないためです。最後の最後で消化不良を起こしたような感となり、これだったらホラー映画の定番でもある最後の脅かしは無いほうが良かったとまで思えてしまいます。逆に轟さんが前回の最後に言及された、危険から無事逃れたものの呪われた出自を持つ主人公について、実はまだ呪いが払拭されていなかったようなことを匂わせるラストシーンのほうが怖さを増幅させられたような気もします。轟さんはいかがお感じでしょうか。次号の続編を楽しみにしています。

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さて、ここからは韓国映画とそのインドネシアでのリメイク版との比較についてです。2000年前後以降、Kポップ、韓流ドラマ、映画と、韓国ポップカルチャーが世界を席巻し、インドネシア大衆にも親しみを持って受け入れられています。日本アニメも根強い人気とはいえ、インターネットを通した限られた視聴層のみで、2000年前後、テレビで日曜朝に日本アニメが4段積みで放送されていたようなこともなくなり、残念ですがインドネシアでは日本文化が韓国文化に凌駕されているのが現状のようです。2000年前後にタクシーに乗ると運転手から「日本人ですか?」と聞かれたものですが、近年は「韓国人ですか?」と聞かれるようになったのも、こうした背景があるためかもしれません。

韓流ブームとインドネシア映画の隆盛が重なった結果か、近年は韓国映画のリメイク版が増えています。主なものでは、ロマンスコメディ作品『スイート20』(Sweet 20 / 2017年作品、韓国映画『怪しい彼女』のリメイク)、ホラー作品の『静寂』(Sunyi / 2019年作品、韓国映画『女高怪談』シリーズのリメイク)、『べバス(自由)』(Bebas / 2019年作品、韓国映画『サニー 永遠の仲間たち』のリメイク)などがあります。そして先月上映されたのが、日本でも大ヒットした『猟奇的な彼女』(My Sassy Girl、韓国タイトルも同じ)です。

同作品はインドネシアだけでなく、インドでリメイクされたのをはじめ、日本や中国でテレビドラマに、アメリカではDVD制作、さらに韓国では全く様相を変えた時代劇版テレビドラマとしても制作されています。

映画『猟奇的な彼女』のインドネシアリメイク版(上)と韓国オリジナル版(下)ポスター(韓国版は日本公開時のもの。画像引用:https://movies.yahoo.co.jp/movie/240408/

『猟奇的な彼女』は、酒に酔って駅のホームから落ちそうになる「彼女」を助けて出会った男女が主人公で、自由奔放、時に暴力的な「彼女」に振り回されながらもお互いが惹かれあっていくロマンスコメディで、「彼女」が悲しい過去を拭い去れないために一度は別れたものの運命的な展開がラストに用意されている、韓国映画ならではの脚本が工夫された物語です。

インドネシアリメイク版は、設定の変更が若干あるものの、大筋はオリジナル版を踏襲していることもあり、作品単体としては楽しく鑑賞できますが、オリジナル版と比較すると、両国の社会環境や風習の違いを乗り越えた「内容の翻訳」がしきれず、消化不良な部分が目立った、というのが正直な感想でした。では何が乗り越えられなかったのか。具体的に挙げると、「飲酒の風習」と「街の構成」それに「庶民感覚の維持」だったのではないかと思われます。

(⇒ オリジナル版では冒頭の電車シーンでの・・・)

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