よりどりインドネシア

2021年09月07日号 vol.101

ロンボクだより(52):我が家を探して(岡本みどり)

2021年09月08日 19:12 by Matsui-Glocal

(編集者注)本稿は、2021年8月7日発行の『よりどりインドネシア』第99号に所収の「ロンボクだより(50)」からの続きです。2018年に起きたロンボク地震の記憶をつづります。なお本稿は202110月発行の『よりどりインドネシア』第103号に続く予定です。

本震から一夜が明け、モスクでのお祈りを終えました。

私たちは朝ごはんを食べながら、今日これからどうするかを話しました。私はもちろん家族に会うため、自宅へ戻ります。Aさんも車で家族に会いに行くそう。Aさんの家族は私たちの現在地・マタラム市街地から20 km北上したスンギギ地域で朝を迎えていました。我が家はスンギギからさらに20 km北上したところにあります。今日はいつどこで車やバイクに乗れるかがわからないので、私もAさんの車に乗せてもらい、一緒に北を目指すことにしました。

身支度をしながら、一晩部屋を貸してくださったBさん宅にあるNTB日本人会の図書を見ました。以前Twitterで「防災バッグに『推し(自分が好きで応援している人)』の写真を入れておくといい。心が安定する」との投稿が一定の賛同を得ているのを見かけたことがありました。ライフラインはもちろん必要だけど、心のケアも同じくらい必要 ― 私もそう信じていたので、子どもたちに絵本を数冊借りたかったのです。でも状況がわからずちゃんと保管・返却できるか自信がない、と話すと、Bさんが返さなくていいよ、持っていきな、と言ってくださいました。私も子どものころ親しんだキヨノサチコさんの「ノンタン」シリーズを二冊借りました。のちにこの本が大活躍します。

出発前に、一本の電話がかかってきました。じゃかるた新聞の女性記者です。今日これからロンボク島へ地震の取材へ来るとのことでした。今この状況で、女性一人で来るの?危ないよ?と驚きましたが、もうジャカルタの空港へ向かっているそうです。新聞記者ってすごい仕事だな。取材申込を受けたので、彼女に私の状況とこれからの予定、電波によっては連絡がつかなくなるかもしれないことを伝え、連絡を取り合いながら状況次第で、ということで電話を切りました。

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Aさん、Aさんの長女と私の三人で、前日に続き、出発。車の窓から道にボロボロっと瓦礫がこぼれているのが見えます。少しずつ北へ進むにつれ、被害が大きくなっていくのが目に付きました。けっこう被害大きいですね、などと言っていたら、Aさんに「みどりちゃん、自分の家が壊れてるかもしれへんのに、よくそんな明るくいられるなぁ」と呆れられました。いやぁ、だって壊れたら壊れたで仕方ないし、夫と娘の無事はわかっているんですもの。姑が少し心配ですが、命さえあれば、あとはどうにでもなります。

途中でAさんに頼んでコンビニに寄りました。食べ物を確保するためです。私は最悪、スンギギから歩いて帰ることも頭の中にありました。なのでたくさん荷物を持つのは無理だけど、とにかくどこでどんな状況で家族に会ったとしても、まず食べ物が必要です。火は外で起こせるし、水はたぶん井戸水でどうにかできるから、お米さえあれば鍋をどこかから探してきて家族が数日は生きていけるはず。お米5キロと水、娘の好きな紙パックの飲み物・お菓子を購入(Aさんが支援金やと思って、と支払ってくださいました)。私は完全にサバイバルモードに入っていました。

数十分後、Aさんの家族のいるところに到着しました。Aさんの家族はホテルのレストランで長年付き合いのあるお客様と会食をする直前に、地震の被害に遭いました。なので昨晩から何も食べていないそう・・・。そのまま滞在客たちとスタッフは、ホテルの駐車場にベッドマットを敷いて寝たそうです。

インドネシアは熱帯の気候ではありますが、乾季は夜中の空気が澄んで気温が20℃近くまで下がります。おまけにスンギギ地域は目の前に海を臨む観光エリアなので、浜風が吹き体感温度はもっと低いです。Aさん家族は寒さ・空腹・寝不足で疲れた表情でしたが、これでAさん家族はみな無事に会うことができました。やっぱり無事だとわかっていても、実際に顔をみると安心しますよね!

さて、私はここからどうしようかと思案していると、Aさんがホテルのスタッフさんたちとやりとりしてくれ、一人のスタッフが私をバイクで送ってくれることになりました。喜んだのもつかの間、スタッフが確認をとりにいくと残念ながら許可がでませんでした。でも、気持ちはよくわかります。そりゃそうです、見ず知らずの客でもない人間を送るために震源地に近い地域までリスクを取って行きたくないし、自分たちのことでいっぱいいっぱいだよな。

歩いていこうかどうしようか、なんだかんだとホテル前の路上で考えていたら、北へ向かう大型バスが数台見えました。Aさんが咄嗟の判断でバスに手を振り、大きな声でバスを停めて、私を乗せていくよう頼んでくださいました。Aさん、ほんとにありがとう。昨晩からお世話になりまくったAさんとご家族と別れ、私は大きな青いバスでさらに我が家へと向かいました。

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バスの中は運転手とスタッフと思しき男性の二人だけでした。このバスはギリトラワンガン、ギリメノ、ギリアイルの3つのリゾートアイランドに取り残された観光客を迎えに行くため、バンサル港へいくバスだとわかりました。我が家のすぐ近くまでこのバスで行けます。

地震発生が前夜の19時ごろ。このバスが出発したのがおそらく朝7時くらいでしょうから、地震のあとすぐに状況を把握して、このバスを出す決断をし、手配してくれた方がいるんだなぁ。家族を家に残してこの大役を果たしてくれる運転手やスタッフたち。たくさんの人が動いてくれている・・・素晴らしいなぁと思いました。

スンギギ地域を抜けると北ロンボク県に入ります。夫や義兄弟などにひととおり電話をかけましたが、誰にも繋がりませんでした。電波がないんだな。左手が海岸線で、湾が続くので道が細かくグネグネしています。私はこの道ではいつも車酔いになるため、少し目を瞑って休むことにしました。が、思うように休めず、ほんの数分後に起き上がりました。きっと、心身が興奮していたのでしょう。

バスの外を見ると、スンギギまでの道より明らかに状況が悪くなっているのがわかりました。あそこもここも・・・残っている家屋がないほど家が壊れています。ただでさえ乾季で砂の舞う時期に、地震のあとの粉塵で、景色全体が薄いベージュがかかったように見えました。人の姿は見えません。あちゃ~これは・・・と言葉を失っていたら、ひときわ被害の大きな地域に入ってきました。いや、被害が大きいというより、さっきまでのところより家屋の数が多い地域に入ったようです。そのため倒壊家屋も数多く見えました。ひどいなぁ・・・。バスの中がシーンとしました。

と、前方に交差点が見えました。ほとんどの建物が倒壊しているため、自分がどこを通っているのかわかっていなかったけれども、この交差点は見覚えがありました。「運転手さん、あれバンサル港の交差点ですか?」「ああ、そうだよ。あなたとはここでお別れですね」

そう、一番被害が大きいと思ったところは私の住むエリアだったのです。「あ~、うちもあかんわ、これは・・・」。私はもう家のことは諦めました。

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