よりどりインドネシア

2021年06月08日号 vol.95

いんどねしあ風土記(28):「双頭鷲と秘宝王冠」香料諸島・テルナテ王国物語 ~北マルク州テルナテ島~(横山裕一)

2021年06月08日 19:29 by Matsui-Glocal
2021年06月08日 19:29 by Matsui-Glocal

A.R.ウォーレスが動植物相の違いで境界を設けたウォーレス線を越えてインドネシア東部の諸島地域へ行くと、太陽光線が一段と明るく降り注いでいるように感じられる。濃紺の海が広がるなか、サンゴ礁の反射でエメラルドグリーンの輪に囲まれた濃緑の島々。スラウェシ島の東に広がる北マルク州の島々は大航海時代の16世紀以降、特産品である香料の交易をめぐってヨーロッパ諸国による攻防が繰り返されてきた舞台でもある。その中心だったテルナテ島では、交易で栄えながらもヨーロッパ諸国に翻弄されてきたテルナテ王国が代々続いてきた。香料諸島の雄でもあったテルナテ王国を巡る歴史紀行。

●テルナテ島

上地図の赤印部分、下地図の「Ternate」表記部分がテルナテ島。(Google Mapより)

アルファベットの「K」文字に似た形のスラウェシ島の東方に、小型「K」文字の形をしたハルマヘラ島がある。その西脇に火山が海から突き出したような小さな島々が並ぶ。その一つがテルナテ島で、すぐ隣に双子島のように並ぶティドレ島がある。テルナテ島から見たティドレ島は2019年までインドネシアで使用された千ルピア紙幣にも描かれていたように、風光明媚な地域として知られている。

テルナテ島全体を形作るガマラマ山の麓にあたる海岸線沿いから裾野にかけて街が広がる。南にティドレ島を望み、東方沖にハルマヘラ島を望むテルナテ島の東海岸地域が中心都市のテルナテ(Ternate、より正確に近い発音で表記するとトゥルナテ)だ。

テルナテ島。ガマラマ山の裾野に市街地が広がる。

テルナテは2010年途中まで北マルク州の州都で、13世紀から続くテルナテ王国の王都でもあった。王家は現在も存続し、スルタン(王)は47代を数える。王宮は街の小高い丘陵地にあり、現在は博物館として公開されている。王宮には謁見の間や西洋の影響を受けた家具の会議室などがあり、王宮の従者として伝統衣装を着た年配の女性が各所に花びらを供えたり、男性従者が案内役を担ったりしている。

テルナテ王国王宮。現在の建物は1813年建築。テラスからはテルナテの街越しに海が見渡せる。

現在の王家には治政権はなく、住民たちの精神的な拠り所にとどまる存在であるが、2代前の45代スルタンの時代(在位1927~1975年)には、オランダ統治から日本軍政期、インドネシア独立と激動の時代を迎えた。日本敗戦直後、独立宣言したインドネシアはジャワ島を中心にオランダとの独立戦争(1945~1949年)を繰り広げたが、はるか東方のテルナテではオランダが再び総督を派遣して再統治を試みていた。

当時の47代スルタンは、近隣のティドレなどをはじめスラウェシ島東部に至る諸王国と連携して緩やかな連邦共同体を模索したが、再三オランダに妨害されていたという。1949年にインドネシアの独立が国連で承認されてからは、テルナテ王国も同じ連邦共和国制を目指すインドネシアに参加した。しかしその後、アンボンなどが「南マルク共和国」として独立宣言(1950年)したのを受けて、北マルクのテルナテも同調するのではとスカルノ大統領から嫌疑をかけられたため、47代スルタンは以後ジャカルタ居住を余儀なくされ続けたという。

●双頭鷲の紋章・テルナテ王国

テルナテの王宮博物館に入ると、大きな双頭の鷲を象ったオブジェが目につく。

オブジェだけでなく、椅子の背もたれ部分などにも双頭の鷲が施されている。インドネシアの国章ガルーダ(神鷲)と同様に2本の足がプレートを抱えていて “Limau Gapi” と文字が記されている。王宮の従者が説明してくれた。

「双頭の鷲はテルナテ王国の紋章です」

テルナテ王国の紋章である「双頭の鷲」

プレートの文字 “Limau Gapi” はテルナテ語で「山の国」を意味するという。また紋章の鷲が一つの体に二つの頭を持っている理由は「王と国民」を示しているためである。これはテルナテに古くから伝わる哲学に加えて、イスラム教の教えである「神と僕(しもべ)」からきていて、「神の代理である王とその僕である国民は常に共にある」との思想が込められている。そして、両者とも一つの体を共有することで「一つの心」を持つ。海に浮いた「山の国」の安寧のためには、「為政者たる王と国民は近い存在で、相互理解が必要である」という理念が代々紋章とともに受け継がれてきている。

王宮の調度品などに施された「双頭の鷲」の紋章

興味深いのは、「双頭の鷲」の紋章は古くはメソポタミア文明の時代からあり、アジアというよりはヨーロッパで多くが使われてきたものであることだ。現在のロシアやセルビア、アルバニアなどの国旗やドイツ、ギリシャ正教会の紋章などでも使われていて、これらは中世の東ローマ帝国などの流れを受け継いだものとされている。ここでの左右を見据える「双頭鷲」は東西に広大な領土を支配した権力の強さを示しているという。テルナテ王国とも交易したスペインもカルロス1世の時代(1519~1556年)にこの紋章を使用していた。

一方、イスラム世界でも古来よりトルコなどで使用されたことがあるという。テルナテの「双頭鷲」がどの時代から使用されてきたかは不明だが、大航海時代に当地を訪れたスペインやポルトガル、オランダ、あるいはイスラム関連者経由で伝わった可能性が高い。その「双頭鷲」にテルナテを中心とした地域に古くから伝わる思想を当てはめて解釈したものが現在に至っているとみられる。数百年間ヨーロッパの影響を直接受け続けてきたテルナテ王国の歴史を反映したものといえそうだ。

(次に続く)

  • テルナテ王国略史・香料諸島をめぐる攻防
  • テルナテ王国略史・スペイン、オランダによる支配
  • 香辛料をめぐる攻防の跡、要塞を巡る
  • 王国誕生の伝説とテルナテ王国の秘宝
  • テルナテの街にて
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