現在、インドネシアで公式に認められている宗教(agama)は、イスラム教、カトリック教、プロテスタント教、ヒンドゥー教、仏教、儒教の6つです。いずれも、建国五原則(パンチャシラ)の第一原則「唯一神信仰」の対象となっている宗教です。基本的に、これら以外のものは公式に宗教とは認められていません。
他方、インドネシアには、インドネシアという国家が成立するずっと以前、さらにはオランダ植民地時代の前から、ヒンドゥー教やイスラム教などが外来する前から、精霊信仰をはじめとする様々な教えが各地に存在しました。それらの一部は今も細々と生き残っていますが、政府は、こうした6宗教以外を「信仰」(kepercayaan)というカテゴリーで扱っています。
ですから、たとえ精霊信仰を信じていても、それとは別に、どれか一つの宗教を信じる必要がありました。なぜなら、インドネシア国民の身分証明証には宗教の欄があり、そこを埋めなければならない一方、信仰を書き込む場所はなかったからです。身分証明証が電子化されるなかで、基本的人権の観点からも、身分証明証における宗教欄の問題が取り上げられるようになりました。そして2016年、憲法裁判所は、住民登録に関する法律2006年第23号に対する違憲請求を認め、宗教欄の代わりに信仰欄とすることや、宗教欄に「信仰」(kepercayaan)と記することを認める決定をしました。
宗教欄がなくなり、代わりに信仰欄となった電子身分証明証。(出所)https://www.jawapos.com/nasional/27/02/2019/kepercayaan-mulai-masuk-kolom-e-ktp/
宗教欄に「信仰」と記載された電子身分証明証。(出所)https://merahputih.com/post/read/penghayat-sapta-darma-wonogiri-lega-kepercayaan-dicantumkan-dalam-ktp-el
しかしながら、実際の現場では、行政組織の末端にまでこの憲法裁判所決定が浸透しておらず、宗教欄に宗教を記載しないと住民登録ができない事例がまだ続いています。後述のように、住民登録ができないため、結婚が正式には認められなかったり、子どもが学校へ通えなかったりといった事態が起こりました。
今回は、最近、『コンパス』紙に掲載されたいくつかの記事をもとに、そうした人々についていくつか紹介してみたいと思います。
●ダヤック族のカハリンガン
カハリンガン(Kaharingan)とは、中カリマンタンを中心に、多くのダヤック族が古くから信じてきたアニミズムに基づく土着伝統宗教で、パナトゥラン(Panaturan)と呼ばれる聖典もあり、唯一神を信仰します。
カハリンガンという語自体は「命」「生命」を表し、生命の樹として象徴されます。精神世界と地球上の世界は異なっているが密接につながっており、離すことはできない、人間と精神のバランスが重要である、と説いています。
カハリンガンが知られるようになるのは1944年で、サンピットの理事官だったチリック・リウッ(Tjilik Riwut)によるものでした。彼は後に独立英雄となり、初代中カリマンタン州知事になった人物です。日本軍政下の1945年、日本軍はこのカハリンガンをダヤック族の宗教として認めたと言います。
ティワ(Tiwah)と呼ばれるカハリンガンの儀式。(出所)https://www.boombastis.com/mengenal-agama-kaharingan/76270
独立後、インドネシア政府は、イスラム教徒の多いバンジャルマシンとダヤック族の多いその西側を一つの州とする計画を発表しました。今の南カリマンタン州と中カリマンタン州を合わせた領域を一つの州とする計画です。リウッが指揮するダヤック族グループはこれに反発し、小規模なゲリラ戦を展開、結局、1957年に大統領令により中カリマンタン州が設立されました。リウッが初代州知事となり、土着伝統宗教を「カハリンガン」と名付けました。
1960年代にインドネシア共産党が設立されると問題が生じます。カハリンガンは、建国五原則(パンチャシラ)の唯一神信仰に定められた5宗教に含まれないため、ダヤック族は無宗教と見なされ、共産主義と同一視される恐れが高まりました。彼らは5宗教へ自発的に改宗するか、地方政府により強制的に改宗するかの選択を迫られました。オランダのクリスチャン・ミッションは1835年から中カリマンタンへ入っていましたが、この1960年代にダヤック族のプロテスタント教への改宗が進み、ミッション系の学校や病院が増えていきました。
1980年、インドネシア政府は法律によって地方宗教を禁止し、建国五原則(パンチャシラ)に定められた5宗教のいずれかを選ぶことが強制されました。このとき、カハリンガンはヒンドゥー教の一派として位置づけられ、「カハリンガン・ヒンドゥー」と名付けられました。たしかに、儀式的にカハリンガンはバリのヒンドゥーに似た面があるものの、学問的にヒンドゥーの一派と証明されたわけではありません。カハリンガンを信じるダヤック族の人々は、身分証明証の宗教欄に「ヒンドゥー」と記すことになりました。
ニュピを祝うカハリンガン・ヒンドゥーの信者たち。(出所)https://infopublik.id/read/255333/umat-hindu-kaharingan-gelar-tawur-agung-dan-mapas-lewu-jelang-nyepi.html
ちなみに、マレーシア領のサバ・サラワクのダヤック族はヒンドゥー教の一部とは認めておらず、どの宗教にも属さないか、キリスト教へ改宗するか、という形になっています。
中カリマンタンでは、しかし、カハリンガンをヒンドゥーとは別の、先祖伝来の土着伝統宗教として認めさせようという動きは続きました。中カリマンタン州には、カハリンガン・ヒンドゥー大教会(Majelis Besar Agama Hindu Kaharingan: MBAHK)が存在する一方、ヒンドゥーとは別物と主張する側では、中カリマンタン州にインドネシア・カハリンガン教会(Majelis Agama Kaharingan Indonesia: MAKI)、南カリマンタン州にカハリンガン信仰信徒教会(Majelis Umat Kepercayaan Kaharingan: MUKK)が設立されました。
以前から、カリマンタンにヒンドゥー教徒が多いことが気になっていましたが、それはバリ人の移住が多かったという面も否定しないにせよ、その多くは、実はダヤック族のカハリンガンだったのでした。
建国五原則(パンチャシラ)が定める5宗教(のちに儒教が加わって6宗教)に入らなければ無宗教扱いされるので、共産主義との同一視を避け、生き残りのためにヒンドゥーの衣を纏わざるを得なかった時代を生き抜いてきたカハリンガン。宗教として認められないならば、せめて身分証明証に信仰としての記載を認め、ヒンドゥーではない本来のカハリンガンの独自性を示す、という段階にまでようやくこぎつけたのでした。
(以下に続く)
- スンダ・ウィウィタンへの差別は続く
- 様々な非公式宗教が「信仰」として存在
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