よりどりインドネシア

2021年06月08日号 vol.95

ラサ・サヤン(18):コロナ禍で起きている現象(その3)~悲しい道化師たち(1)~(石川礼子)

2021年06月08日 00:40 by Matsui-Glocal
2021年06月08日 00:40 by Matsui-Glocal

この「コロナ禍で起きている現象」シリーズを書く際に、最も気になっていたのは、今回書く『悲しい道化師たち』のことでした。

●悲しい道化師

『悲しい道化師』とは、インドネシア語の“Badut sedih(英語でsad clown)”で、当地では一般的な「路上で稼ぐ道化師、“Badut jalanan”」を同情半分、皮肉半分にもじった呼称です。日本で言うなら「チンドン屋」でしょうか。

でも、「チンドン屋」は、3人から5人ほどの編成で、チンドン太鼓、楽士(クラリネット、サックスなどの管楽器を演奏する)、大太鼓を中心に、旗持、ビラまきらが加わり、依頼者の指定した地域・店舗へ人を呼び込む、あるいは集客したうえで宣伝の口上やビラまきなどで商品の購入を促す、という営業目的の職業集団であり、依頼主との雇用契約が発生します。

一方、インドネシアの“Badut jalanan”は、背景に組織が存在し、元締めがいる場合もありますが、多くは自己利益のために個人や少人数で活動している人たちです。

●貧困層の増加

インドネシア中央統計庁(BPS)は、今年2月15日に、2020年9月時点の貧困率を発表しました。2020年9月の貧困人口は2,755万人で、2020年3月時点から113万人、2019年9月時点からは276万人も増加しています。なお、2020年9月の貧困水準(貧困線)は、1人当たりの月額支出で45万8,947ルピア(約3,442円、1ルピア=約0.0075円)でした。

インドネシアの貧困は「コメや卵など1人1日2,100キロカロリー相当の食費と、教育や医療など最低限の生活のために必要な1ヵ月当たりの支出(貧困線)を満たせない」状態を指します。つまり、1日あたり一人15,000ルピア(約112円)以下で暮らしている貧困層が全人口の10%近くいることになります。

ジャカルタをはじめとするインドネシアの都市部に住んでいらっしゃる方ならお気づきと思いますが、コロナ禍以降、かなり多くの“Badut jalanan”が路上に出没しています。これは、単純に貧困層が増え、失職した人たちが生活の糧を得るために、スキルも能力も要らない物乞いになったと考えられます。“Badut jalanan”は、様々なキャラクターの着ぐるみを被っているので、顔も見えず、物乞いをしている恥ずかしさも多少は軽減されるでしょう。コロナ禍以降、そういう人たちを世間では“Badut jalanan”ではなく、“Badut sedih”『悲しい道化師』と呼ぶようになったようです。

ジャカルタ首都特別州では、2007年に公共秩序に関する州条例が施行され、州内の路上での物乞い行為が禁止されました。同時に、ストリート・チルドレンにお金を与えたり、違法な物売りからの物品を購入したりすることが禁じられました。以降、物乞い、物売り、またストリート・チルドレンは減ったかに見えましたが、最近では、州条例施行前に時代が戻ったかのように感じられます。

The Jakarta Post記事の抜粋

今年2月10日付のThe Jakarta Post(英字新聞)に、この“Badut sedih”に関する興味深い記事がありましたので、翻訳してみました。“Badut sedih”が一体どういう存在か、お分かりになると思います。

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題目:ジャカルタの『悲しい道化師たち』(2021年2月10日付)

ダリヤントは、どことなくDCコミックスの“The Joker”に似ている。尤も暴力的な点以外だが。彼の人生は悲劇的だが、彼にとってはコメディである。少なくとも、彼が私に話している時に見せる笑みは、そう語っていた。

25歳のダリヤントと出会ったのは、2月初めの南ジャカルタ・チランダックの交通量が激しい交差点だった。午後3時、雨期にも関わらず、太陽の日差しがじりじりと照りつける午後だった。彼は、交通信号機の下に立っていた。セサミストリートのカエルのキャラクター「カーミット」の着ぐるみを着て、大きなカエルの頭を上下に動かしながら・・・右手には小さな緑色のバスケットを握りしめていた。その黄緑の着ぐるみは、彼の前を通り過ぎて行くモノトーンの車輌の波の中で一際目立っていた。

信号が赤に変わると、彼はモータリストたちの前に躍り出て、手を振りながら滑稽なジェスチャーを始めた。モータリストたちの目が彼に集中する。まるで太陽が彼のためのスポットライトで、道路がステージであるかのように。数秒経つと、彼はモータリストたちの間を通り抜けながら、緑のバスケットを丁重に差し出す。何人かは、そのバスケットに小銭を入れるが、殆どの人は入れない。

信号が青になると、彼は道路から退き、歩道に座り込んで、次の信号を待つ。体力的にきつい仕事だが、彼は生きるために毎日、午前10時から午後5時までこの作業を繰り返す。

彼のルーティーンの合間に、私は彼に近付き、インタビューと撮影をしても良いか尋ねた。彼は承諾し、交通量が激しく、騒々しい道を曲がって、少し静かな場所へと歩いて行った。黄色い毛に覆われた彼の靴は重く、彼が私に追い付くのを待っていなければならなかった。

「もうすでに2ヵ月こうしている」と、南ジャカルタ・チガンジュールに住むダリヤントは話す。以前、彼はアンコット(ミニバス)の運転手で、南ジャカルタに位置するチガンジュール=パサール・ミング間を運行していた。中学校を卒業してからずっとその仕事を続けてきた。彼曰く、運転手の仕事は彼に合っていたし、満足していた。しかし、パンデミック以降、とくに新型コロナウィルスの州規制のため、アンコットに乗り込む乗客が極端に減って職を失った。

パンデミック前は、アンコットのボスが自分の取り分を引いた後、ダリヤントは20万ルピア(約1,500円)/日を持って帰ることができたが、パンデミック以降は3万ルピア(約225円)/日まで減ってしまった。

彼はコロナ禍を生き延びるために、友だちから誘われた“Badut jalanan”(路上の道化師)になった。その友だちから着ぐるみを4万ルピア(約300円)/日で借りる賃貸料を差し引いて、現在の日々の稼ぎは良い時で15万ルピア(約1,125円)/日。それは、両親と妹を食べさせるには十分な金額だ。

カエルのカーミットのキャラクターの着ぐるみを着たダリヤント

「“Badut jalanan”が自分にできる唯一の仕事なので、不満は言えない」と、彼はコスチュームを脱ぎながら答えた。着ぐるみの下のTシャツは汗だくだった。

ポリエステルとボア生地でできている着ぐるみの中がどんなに暑いか、私には想像しかできないが、そのカエルの着ぐるみに風が通るのは、口の部分からだけである。

ダリヤントにとって、2020年は極端に厳しい年だった。その困難な年に、彼は2ヵ月になる娘をSIDS(乳幼児突然死症候群)で亡くした。彼の結婚生活は、妻が彼の元を去り、崩壊した。それでもなお、彼は暗い現実と向き合うことを拒否している。彼の路上でのパフォーマンスを見る限り、彼の不幸は消えたかのようである。

「僕を見た何人かは、気の毒に思うようだが」と、ダリヤントは話す。「同情は要らない。僕にとって、すべてはサバイバルなんだ。犯罪を起こすよりはマシだろう」と。

インドネシア経済がかつてないほど低迷し、何百万もの人々が失職し、収入源を失っているなか、“Badut sedih”、あるいは『悲しい道化師たち』と呼ばれる人たちは、車の往来が激しい交差点や路上、道角をさまよっている。限られた仕事しかない現状、パンデミックは多くの失職者を着ぐるみに纏わせ、路上に放り出しているのだ。

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