新型コロナウィルスの世界規模での流行に伴って、日本、インドネシアを含め、ほとんどの国が渡航禁止、入国禁止の措置をとらざるをえない状況が続いている。このため、今春、日本へ出発するはずだった、インドネシアの多数の特定技能資格者や留学生らも待機を余儀なくされている。今回は、留学を予定していたある大学講師の物語。
●大規模社会制限下のブカプアサ(一日の断食明け)
西ジャワ州の州都バンドゥンの東隣に位置するスムダン(Sumedang)は、1980年代に国立パジャジャラン大学(UNPAD)の大部分が、また2013年に国立バンドゥン工科大学(ITB)の一部が移転した、学生街でもある。
この街に住む、パジャジャラン大学人文学部日本語講師のリスマさん(34歳)は5月初旬の夕方、母親とともに、間もなく訪れる一日の断食明けに備えるため、軽食と夕食を購入しようと商店街に出向いていた。5月6日からスムダンも大規模社会制限が始まってはいたが、夕方は、彼女たちと同じ目的の人々で通りや店頭は賑わっていた。この光景はジャカルタも同じだ。
一日の断食明け前のスムダン。大規模社会制限下でも賑わいは例年と変わらない。
断食月中とはいえ、彼女は多忙だった。3月以降、新型コロナウィルス感染防止のため大学キャンパスが閉鎖されたものの、週三日、日本語のリスニングと作文、卒業論文指導を自宅からオンライン講義で続けていた。さらには教育文化省からの通達で、独自の大学カリキュラムをまとめる作業にも追われていた。
現在、彼女が唯一ゆっくりとくつろげるのは、一日の断食明けを母親とともに祝い、会食することだ。母親も西ジャワ州スカブミで中学校教師をしているが、3月下旬に休校となって以来、娘の家に来て断食月をともに過ごしている。
しかし、リスマさんには仕事以外に気がかりなことがあった。本来であれば今頃は、大阪で大学院に通っていたはずだったからだ。
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