よりどりインドネシア

2020年05月22日号 vol.70

ウォノソボライフ(29):医療のあゆみと生老病死(神道有子)

2020年05月22日 23:02 by Matsui-Glocal

医療崩壊、医療従事者への差別、有効な治療薬は何か・・・などなど、コロナ以後、医療への関心が高まっている状態が続いているかと思います。

インドネシアの医療事情が先進的とは言い難いのはご存知の通りですが、今回は一つのモデルケースとして、ウォノソボにおいて、医療がどのように発展してきたか、健康維持がどのように行われているかを見ていきます。

●栄養失調を回避せよ!

インドネシアが独立戦争を乗り越えて、ようやく落ち着き始めた1950年代のこと。ウォノソボには、医者がたった1人しかいませんでした。当時の県民36万人に対し1人の医者。もちろん、必要とされる診療が人々に行き渡っていない状況です。

ペストやマラリアも流行するなか、1951年と1952年、さらに1955年に県内南部の地域でことさらに栄養失調が顕著となりました。1951年には632人、1955年には320人に低栄養からくる浮腫が症状として記録されています。乳幼児の健康状態も悪かったのではないでしょうか。

ウォノソボは、北東部がとくに土壌や水の条件が良く、農作に向いているのですが、南西部のカリウィロ、ワダスリンタンはそれらに比べて貧しい地域でした。

次の図は、1960年の県内の主食を示したものです。(※当時は郡の上にもう一つ行政区分があったので、地域の区切りが今とは少し違います)

薄い茶色がトウモロコシ、黄色が白米、緑がトウモロコシ粉から作ったコーンライスと呼ばれるもの、緑がすりおろしたキャッサバから作ったキャッサバライスをそれぞれ表します。カリウィロ、ワダスリンタンでは栄養価の低いコーンライス、キャッサバライスを食べていたことが分かります。

当時、人口が増え始めていて、必要となる食糧は増す一方、供給が追いついていませんでした。県としても毎、年他地域から米を買い付けています。増える人口のままに土地を遺産相続で分割し続け、小さな農地でなんとか家族を養う農家も少なくありません。

この頃、県外へ出稼ぎに出る人が一番多かったのも、この南西部の地域でした。働き手が減り、ますます南西部の農業は危機的になっていきます。

農業に関しては、その後、行政の取り組みや緑の革命などもあり、徐々に回復していきます。一方、県民の健康に目を向けた取り組みとしては、1951年から数年間で次々と保健局(Balai Kesehatan)と呼ばれる施設が10棟ほど建てられることになりました。また、それに伴い、医者ではないものの、保健局で働く医療従事者も増えていきます。

これらの保健局には、多い日では120人もの訪問者があったそうです。とくに妊婦や幼い子供を抱えた親が多く、こうした施設がどれだけ人々に必要とされていたかがうかがえます。

さて、私が少し興味深く思ったのは、保健局のとある活動でした。圧倒的に足りない医療従事者、そして人々の医療に対する知識。これを改善するために、保健局は産婆と協力することにしたのです。

(以下へ続く)

  • 産婆、その仕事と役割
  • 現代の医療と死
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