よりどりインドネシア

2019年08月24日号 vol.52

ウォノソボライフ(20):バック・トゥ・スクール(神道有子)

2019年08月24日 15:30 by Matsui-Glocal

インドネシアでは、新年度が始まってひと月余りが過ぎました。新一年生たちが学校に馴染んできた頃でしょうか。朝の通学ラッシュには、遅刻しそうな中高生ライダーが道を飛ばしていく光景もお馴染みです。ウォノソボの教育事情とはどんなものか?その一端をご紹介します。

●始まりは官吏向け教育

インドネシアにおける学校教育が本格化したのが19世紀から20世紀にかけて、オランダが倫理政策を採択した前後ですが、ウォノソボでもその時期に学校が建てられ始めています。

1870年に初となる5年制小学校があったとされますが、これはヨーロッパ人子弟専用だったのか現地民も学べたのか、ハッキリしません。

プリブミが学ぶ場としては、その後1895年から数年にかけて建てられたいくつかの学校がそれに当たると伺えます。

H.I.Sと呼ばれるプリブミ用オランダ語使用学校、プロテスタントやカトリックの財団が運営するミッション系学校、イスラム学習に特化したオランダ語使用学校など。小学校高学年の女子専用学校や聴覚障害者専用学校もありました。多くは7年制のものでしたが、なかには初等教育を5年受けたのちに入れる3年制学校などもあります。

しかし、これ以上進学したければスマランやジョグジャカルタといった都市部に出る必要がありました。学校に通える一握りのエリートのなかでも、さらに進学した人がどれほどいたものでしょうか?

時代が下り、日本軍政期には、上記の学校は国民学校(Sekolah Rakyat)と名前を変え、日本式の教育をさせる場となりました。行進や戦闘訓練、勤労奉仕は全児童の義務となり、日本語のコンテストや弁論大会も開かれます。日本語への意欲を増進させるため、成績優秀者にはちょっとした賞品や賞状を出していたそうです。

これらの学校のなかには、現在も国立や私立の小学校として存続しているものもあります。

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