よりどりインドネシア

2024年02月07日号 vol.159

ジギー節考(太田りべか)

2024年02月08日 01:38 by Matsui-Glocal
2024年02月08日 01:38 by Matsui-Glocal

ジャワは雨季たけなわ。雨季入りがやや遅めだったのに加えて、11月も後半になってやっとまともに雨が降り始めたと思うと、12月半ばには2週間ほどまったく雨の降らない日が続き、私が住んでいる中ジャワ州スマラン市の水道会社は、一時期水不足に陥っていたようだ。それでも年が明けると、さすがに本格的に雨季に入った。洪水の季節の到来である。

今回紹介するジギー・ゼザゼオフィエンナザブリズキー(Ziggy Zezsyazeoviennazabrizkie)の新作『人造洋の岩の島』(“Pulau Batu di Samudra Buatan”)は、洪水をモチーフというかネタにした物語だ。

Pulau Batu di Samudra Buatan

●新新メザニンにて

とあるホテルが洪水のために6階まで水没してしまう。取り残された宿泊客とホテルのスタッフは、もとは4階というかM階のメザニンにあった共有スペースから逃れて7階の新メザニンに移動する。ところが水位は容赦なく上昇し続け、7階も水に浸かり始めたため、一同は新メザニンを捨ててさらに上階へ移動せざるを得なくなった。

さて、何階を新新メザニンにすればいいか? 「私」は11階がいいのでは、と提案するが、ホテル・マネージャーのクスマ氏は躊躇した。11階は奇妙な人物サイ夫人が宿泊しているフロアだったからだ。そこでクスマ氏は、11階にはじゅうぶんなスペースがないことを理由に、14階を新新メザニンとすることを提案する。「そこから2階分上がるだけですからね。というのは、13階はないからです、もちろん。ここはホテルですから。つまり14階というわけです」

そこでクスマ氏は張り切って、新新メザニンの準備をすべく「ほんとうは13階だけれど迷信のせいでその呼び方をなくしてしまったけれどそれでもやっぱり13階は13階であるところの14階」へ向かう。その後、新新メザニンとして取り残された人々の共有スペースとなった14階が言及されるたびに、「ほんとうは13階だけれど迷信のせいでその呼び方をなくしてしまったけれどそれでもやっぱり13階は13階であるところの14階」という長い修飾句が繰り返される。これがジギー節だ。きっと子どもはこういう執拗な繰り返しを読む、または聞くたびに、キャッキャと笑うだろうな、と思う。

取り残された宿泊客とホテルスタッフ合計87人は、折々新新メザニンに集ってこの先のことを話したり、無駄話をしたり、ただぼんやりしたりして過ごすようになった。水が引く気配がいっこうにないため、まず喫緊の課題は食糧の確保だ。サクソフォン奏者のトラ氏が生きた魚を一匹捕まえたことをきっかけとして、釣り人隊が結成される。サクソフォン奏者で肺が強いおかげで潜水が得意なトラ氏、バタフライ選手で「肩幅が広く、腕が強く、(望まないけれど)望みさえすれば拳骨で殴りつけて人の歯をへし折ることだってできる」ラトゥリ嬢をはじめとして、20人弱が釣り人隊に加わり、水没してしまったフロアを泳ぎ回って、食べられそうな物ならなんでも集めることになった。

次に結成(?)されたのは考える人隊である。実は自分の頭で考えられる人はあまりいなかったので、考えることはわずか数人の考える人隊に託される形となった。筆頭は、なににおいても鋭いウナ夫人だ。雨が降って洪水が始まった日からすでに数日が過ぎ、晴天が続いているのに水が引く気配がない。これはなにかがおかしいのではないか? ウナ夫人は皆に向かってそう指摘する。

ウナ夫人がすることは、なんでも鋭い。鋭く見つめ、鋭く唇を突き出し、鋭い角度でくるりと回り、鋭くなるまで爪を磨く。声も鋭い。その鋭い声で、鋭い頭脳で考えたことを口にする。(…略…)そうして大きな窓のほうへ歩いていき、(鋭い)視線を遠くへ、窓の外に広がる巨大な ——灰色と褐色がかって薄気味悪く、終わる気配のない—— 水たまりへ投げた。

こんなふうに個性的な人々が幾人も登場し、それぞれが体現するキーワードを畳みかける形で、それぞれの人物が描写されていく。これもジギー節だ。

ウナ夫人率いる考える人隊が導き出した結論は、これは意図的に、おそらくホテルに人々を閉じ込めるために引き起こされた洪水だということだった。けれども、いったいだれが? なんのために? それにどうやって? 

●サイ夫人と五つ子

ホテルに閉じ込められた一筋縄ではいかない87人の中でも異彩を放っているのは、11階に宿泊するサイ夫人だ。サイ夫人はひどく小柄で、冷淡で飄然としていて、洪水をめぐる騒ぎにも我関せずといったようすで、ひたすら足踏みミシンを踏み続けている。実はサイ夫人は世界でも評価の高い名仕立師であるらしく、このホテルに滞在していたのも、ある人物から花嫁衣装の仕立てを依頼され、出来上がるまでホテルに泊まり込んで制作してほしいというのが依頼主のたっての願いだったからだ。幸い11階の居室は水に浸からず、部屋に持ち込んだ愛用のミシンは旧式の足踏みミシンだったため、洪水で電気が使えなくなっても困ることなく、人々の騒ぎをよそに淡々と作業を進めている。

そのサイ夫人には五つ子の娘がいて、もちろんホテルにも同行して来ている。それぞれが際立った特徴を持つこの五つ子こそが、この物語の中心人物たちであり、最終的にこの洪水問題を解決に導くために大きな役割を果たすことになる。

五つ子は6歳、1番目はスカラという名前で、頭が切れ、手先が器用で、無口でものに動じず、いつも冷静だ。五つ子は皆、母親お手製の美しいネグリジェを着ているのだが、スカラのムスリン地のネグリジェは中でももっとも手の込んだものだ。さらに五つ子はそれぞれ色違いのリボンをつけていて、スカラのものは「どぶの縁に生えた苔の色に似た深緑」だ。「そのうちのひとつ(リボンのこと、どぶの苔ではなく)」はもしゃもしゃの髪の半分を後頭部の上のほうで縛るのに使い、もうひとつの長いほうは腰に巻いている。いろいろな物を集めて、電気の使えないホテルで電球に灯りを灯すことに成功したり(短時間しかもたなかったけれど)、持ってきていたネイルラッカーで妹たちや、他の客たちの爪をきれいに塗ってあげたりする。洪水で閉じ込められて以来、あちこちの部屋を回ってホテル備え付けの鉛筆を盗んでくるのが習慣になった。その鉛筆をどうするのかと訊かれると、「こういう不思議で抑圧的な出来事に直面しているときには、あたしたちみんな健全な思考を維持するために、ささやかな活動が必要なんじゃない?」と答える思慮深い女の子だ。

五つ子の2番目はダナ。礼儀正しく落ち着いていて、4番目のメトロの一番のお気に入りで、メトロによると、五つ子の中で一番かっこいい。ちょっと風変わりなところはあるものの、五人の中ではもっとも普通な女の子だ。髪は真っ直ぐで、爪はピンクがかった紫色に塗られ、淡い紫のリボンをつけている。ジャワ語の優れた使い手でもある。

3番目はカリ。とても無口で、素早く瞬きをする以外の動作はいつもとても静かで物音ひとつ立てない。他の子どもならすぐに破ってしまうような繊細な生地シルクシフォンのネグリジェを着ているのも、あまりに静かなカリならではだ。母親に似て、なにごとにも我関せずといったようすで、感情がほとんどないようにすら見える。髪は豊かな巻き毛で、リボンの色は青。皆の予想に反して、洪水騒ぎの終盤近くで思いがけない活躍を見せる。

4番目はメトロ。5人の中で一番騒々しく活発で毒舌家だ。その分感情表現も素直でかわいげもある。コットンクレープのネグリジェを着て、桃色のリボンをつけている。アフロヘア的なきつい巻き毛に3~4センチ間隔でリボンをつけて縛っている。スカラのことが嫌いでブタ呼ばわりし(スカラはまったく気にしていないらしい)、ダナのことが大好きで、ほんとうはダナのすぐ下の妹になりたかったのに、間にカリが挟まっていることで、ちょっとカリを恨んでいる。音楽が大好きで、サクソフォン奏者のトラ氏と意気投合し、周りの状況を確かめるため屋上に赴く任務を負ってトラ氏が出発したとき、貴重な食糧保管場所からグラノラバーを1本くすねて、トラ氏にプレゼントした。そしてこっそりトラ氏の後をついていき、屋上に出たとたんに撃たれたトラ氏を24階から19階まで引きずり下ろしたのもメトロだった。

5番目はスジ。5人の中でも頭抜けた変わり者で、洪水でホテルに閉じ込められてから最初の週の終わりまで、サイ夫人親子以外の前にほとんどその姿を見せなかった。「私」がはじめてスジの姿を見たとき、スジは9階の部屋の開いた扉の上に足を引っ掛けて逆さまにぶら下がっていた。そして「私」の顔を見るなり、「今朝起きたとき、なにを考えた?」と尋ねた。赤いリボンをつけ、5人の中ではもっともシンプルなリネンのネグリジェを着ている。身体能力が極めて高く、泳ぎも得意で、皆の前に姿を見せなかった1週間、ホテルの下の階を泳ぎ回って、釣り人隊とは別にたくさんの食料を集め、スカラに教わったやり方でドライアイスを作って、生鮮食品まで密かに貯蔵していた。最終的に、このスジの活躍がホテルに取り残された人々の救出劇の決定打となる。

こういった個性際立つ子どもたちの描写や、大人たちの常識とは異次元をいく言動もジギー節だ。たとえば、非常階段の19階で、すでに息を引き取ったトラ氏のそばでしゃくりあげているメトロが発見され、新新メザニンに連れ戻されたメトロは、上階での出来事を話す。「あたし、(トラ氏を)下まで引きずってきたの。だれか助けられる人がいるかもって思ったから」

「でも、助けられる人いなかったんだね?」

イングリッド嬢がメトロの肩を優しくさすりながら言った。「ええ、そうね、いなかったの」

「トラさん、死んだんだね?」

「ええ、そうね。死んでしまったの」

メトロの目がまた大きく見開かれ、それから瞬きをした。「あたしたち、トラさんを食べるの?」

イングリッド嬢はとまどって、ウナ夫人に視線をむけた。

「食べないわよ」とイングリッド嬢はうろたえた声で言った。「たぶん」

「あたしさ」とメトロは大きな声で言った。「下で魚が泳いでるの見たの、だからあたしさ、ホテルには生きた魚がいるんだよ、だからあたしさ」確信に満ちた声でメトロは続けた。「もしトラさんを食べないんなら、魚を釣る餌にしたらいいんじゃない? そしたら、あたしたちの食べ物を餌にしなくていいし、それにもっとたくさん食べ物が手に入るでしょ。どう?」

「いいアイディアだと思う」そう言ったのは、めったにしゃべらない上に、さらにめったに妹を褒めたりしないスカラだった。「ラトゥリさんも死んじゃったみたいだし、ラトゥリさんのことも食べないみたいだし。それなら、ふたりを餌にしたら、死体が臭って腐ることも心配しなくていいし、食べ物も手に入る。すごくいいよ、メトロ」

ところで、メトロが屋上でトラ氏が銃撃されるに至った経緯を語るとき、おしゃべりなメトロの話はすぐあちこちに脱線してしまう。グラノラバーのことを熱心にまくしたてたり、スカラの悪口を言ったり、話すのが遅いオキ氏を揶揄したり、際限なく脱線していき、そのたびにウナ夫人に本筋に戻るようたしなめられる。メトロだけでなく、語り手である「私」も、ややもすると脱線していく。五つ子の5番目のスジのことを語っている途中で、スジと同名の植物で、その葉を使って食品を緑に色づけする話になり、そうやって緑色に着色されたおいしいお菓子の話が延々と繰り広げられる。こういう脱線も、ジギー節だ。

宿泊客のひとりウタリ夫人が部屋で首を絞められて死んでいるのが発見され、皆が犯人探しで疑心暗鬼に陥っていたとき、五つ子の眠る部屋に何者が押し入るという事件が起きる。5人は部屋から逃げ出したものの、なんとかして犯人を取り押さえなければならない。そこで英語が達者で、さまざまな映画を知っていて、折りあるごとに映画から引用したセリフを英語で口にする五つ子の5番目スジが提案する。

「…(略)…あたしとカリがおとりになるよ。昔すんごく流行った『ロナルドと巨大チェスの攻防』って映画みたいに。貧乏一家の出の魔法使いの子が、自分が犠牲になって、先生が仕掛けた罠を仲間たちが突破できるようにする話。うわあ、ってあの子がぶっ倒れたとき、あたし思ったんだ。ああ、どうかあとでお金ができたら、お母さんがあの子にプレゼントをあげるか、家でおいしいものを食べさせてあげますようにって。さあ、メトロとダナ、あんたたちがハリーになって。あたしたちが動くまで待って、それから進むんだよ。あの映画の間ずっと、あの子ってそうだったからさ。なんにもしないで、なのに映画のタイトルになってさ。なんか不公平だよね。だからタイトル変えたんだ。…(略)…」

もちろんこれはハリー・ポッター・シリーズの第1弾『ハリー・ポッターと賢者の石』で、「賢者の石」を守るべく魔法学校の教授マクゴナガル先生が仕掛けた巨大チェス盤の罠を突破するために、どちらかというと劣等生だけれどチェスだけは得意なロン(ロナルド)が自ら捨て駒となって、仲間のハリーとハーマイオニーを先に進ませる場面のことだ。こういうところも、やっぱりジギー節である。

結局、洪水の謎は解け、幾人もの死者を出してしまったものの、生き残った人々は無事ホテルから救出される。その設定はいかにも荒唐無稽で説得力のかけらもなく、どうせなら2021年に発表した『いこう、今すぐ』(“Kita Pergi Hari Ini”)のように、思い切ってファンタジーの世界の方向に針を振り切った物語にすればよかったのに、と思わなくもないけれど、実はこの作品では、物語の筋や設定や整合性なんかを問題にしてはいけないのである。なにしろこの物語は、随所で炸裂するジギー節を楽しむためにあるのであり、その中に仕込まれた辛辣さや苦味を味わうためにあるのだから。

(以下に続く)

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