(編集者注)本稿は、2023年9月7日発行の『よりどりインドネシア』第149号に所収の「ロンボクだより(98)」の続きです。2018年に起きたロンボク地震の記憶をつづります。
みなさん、こんにちは。
このところ、ロンボクだよりに「まだ雨がふらない」と書き続けてきました。我が家も井戸が枯れかけたので、いよいよ慌てはじめましたが、11月2日にやっとまとまった雨が一降り。それから、ほぼ毎日降っています。
「農作物がダメにならぬよう、でも来年の乾季にも水を蓄えていられるよう、ほどよく降って下さい」などと人間の勝手丸出しのお祈りをしています。
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前回の話と少し前後しますが、2018年の11月ごろから一気に自宅の中に入る家庭が増えました。本震からほぼ3ヵ月にしてやっと屋内生活です。
とくに政府や地方行政からの指示があったわけではなく、全員自分たちの判断で「大きな余震も来てないし、雨季になったし、そろそろ家があるなら家の中に入ろうか」と屋外避難を解いて、自宅での生活に戻りました。
我が家も10月の末から少しずつ家の中で過ごし始め、11月16日に庭に張っていたテントを完全に片付けました。
家が全半壊になった家庭のほうが多かったので、私たちが自宅の中に入って生活をし始めたことは、被災地の全体的な動きとしてはあまり大きな動きではなかったと思います。
しかし、私たちからすれば、家の外と内で寝るというのはこれほどまでに違うのかとその大きさを実感せざるをえない体験でした。
自宅前に張ったテント(2018年9月11日撮影)
テントを片付けた跡(2018年11月16日撮影)
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家の中での生活に戻し始めてから、私が一番嬉しかったものが何か、想像がつくでしょうか。
それはお風呂上がりに裸のままでいられたことです。
素っ裸でウロウロしているのではありませんよ。マンディをする部屋からすぐ隣の部屋にある家族の洋服棚までのわずか2メートルほどを、バスタオルで大雑把に体を拭きながら歩いた、とそれだけのことです。
それの何が嬉しいの?と思われるかもしれません。でも、私は、あの瞬間に ― 体に巻いた布やバスタオルが落ちないように気を遣わなくていいんだ、誰かに見られるかもと気にしなくてもいいんだ、とわかった瞬間に ― 、 体中の重荷がズササササと肩のあたりから落ちるのを感じました。
お風呂上がりの体に布を巻いてから出てきて、服に着替える ― このわずか数分間に屋外ではこんなにも緊張していたのだと初めてわかりました。
ああ、これが家なんだ。
屋根があり壁があり雨露が凌げる ― それはこういうことを言うのだ。
ヘレン・ケラーが初めて「water!」とわかった日は、きっとこんなふうに、理解に実感と歓喜とが伴っていたことでしょう。
私は、家があることに胸がいっぱいになりました。娘も家の壁をなでなでしながら、何度も壁にキスをしていました。
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