よりどりインドネシア

2023年11月08日号 vol.153

インドネシア政治短信(6):正副大統領候補3組とそのビジョン・ミッション(松井和久)

2023年11月08日 23:52 by Matsui-Glocal
2023年11月08日 23:52 by Matsui-Glocal

2024年大統領選挙に出馬する正副大統領候補ペアの総選挙委員会(KPU)への立候補届出は10月25日に締め切られた。これにより、同選挙は以下の3組の候補ペアで争われることが決まった。なお、インドネシアの大統領選挙では、大統領候補と副大統領候補がペアで立候補する形になっている。

正副大統領候補のコラージュ写真。プラボウォ=ギブラン組(左上下)、ガンジャル=マフド組(中央上下)、アニス=ムハイミン組(右上下)。(出所)https://www.cnbcindonesia.com/news/20231105053845-4-486437/survei-terbaru-capres-cawapres-2024-siapa-paling-unggul

*ガンジャル=マフッド組

  • 大統領候補:ガンジャル(Ganjar Pranowo)前中ジャワ州知事
  • 副大統領候補:マフッド(Mahfud MD)政治・法務・治安担当調整大臣
  • 支持政党:闘争民主党(PDIP)、開発統一党(PPP)、インドネシア統一党(PERINDO)、ハヌラ党

*プラボウォ=ギブラン組

  • 大統領候補:プラボウォ(Prabowo Subianto)国防大臣兼グリンドラ党党首
  • 副大統領候補:ギブラン(Gibran Rakabuming Raka)ソロ市長、ジョコ・ウィドド大統領の長男
  • 支持政党:グリンドラ党、ゴルカル党、国民信託党(PAN)、民主党、月星党(PBB)、グロラ党、インドネシア連帯党(PSI)、ガルーダ党、プリマ党

*アニス=ムハイミン組

  • 大統領候補:アニス(Anies Rasyid Baswedan)前ジャカルタ首都特別州知事
  • 副大統領候補:ムハイミン(Abdul Muhaimin Iskandar)国会副議長兼民族覚醒党(PKB)党首
  • 支持政党:ナスデム党、民族覚醒党、福祉正義党(PKS)

本稿では、まず正副大統領候補3組の候補者の略歴を紹介する。その後で、3組が提示したビジョン・ミッションを紹介する。当選した候補ペアのビジョン・ミッションは、そのまま次期国家中期開発計画の基礎になるという意味で、ビジョン・ミッションは重要なのだが、実際の選挙戦ではあまり注目されてこなかった。ここではその中身について大まかに比較し、あわせて筆者なりの所感を示したい。

●正副大統領候補3組の候補者の略歴

まず、正副大統領候補3組の各候補者の略歴の紹介である。彼らの共通点はイスラーム教徒、ジャワ島内の出身であり、多くがジョグジャカルタにある国立ガジャマダ大学(UGM)の卒業生で、学生時代に学生運動に関わった者も多い。学者出身で所属政党なしはマフドとアニス、政党人はガンジャルとムハイミンで、軍人出身のプラボウォ、ノンポリだったギブランが異色である。家族関連で著名人がいないのは、ガンジャルとマフドだろうか。年齢的には、プラボウォ=ギブランの70代+30代の組み合わせのほかは、50代半ばどうしの組み合わせとなっている。過去3回の正副大統領選挙に立候補したプラボウォにとっては、今回がおそらく最後の挑戦となるだろう。

◆ガンジャル候補=マフド組

*ガンジャル大統領候補

1968年10月28日、中ジャワ州カランアニャール県の農村出身の55歳。イスラーム教徒。闘争民主党員。国立ガジャマダ大学(UGM)法学部で学ぶが、学費が払えずに2セメスターを休学。在学中にスカルノ主義系の学生運動(GMNI)に参加し、各所でデモ行進を率いた。大学卒業後、民間企業で働くが、1996年に内紛中のインドネシア民主党(PDI)でメガワティ派に加勢したことで、闘争民主党で政治の世界へ本格的に入っていく。

2004~2013年に中ジャワ州選出の国会議員を務め、とくにユドヨノ政権時のセンチュリー銀行事件など不正資金問題の追及などで急先鋒だった。2013年に中ジャワ州知事に当選して2期10年を務めた。根っからのスカルノ信奉者であり、筋金入りの闘争民主党員だが、近年は庶民派イメージを強めている。他方、過去の電子身分証明証(E-KTP)汚職事件への関与や土地収用での住民強制排除などを問題視する識者もいる。

*マフド副大統領候補

1957年5月13日、東ジャワ州サンパン県(マドゥラ島)生まれの66歳。イスラーム教徒。所属政党なし。国立ガジャマダ大学(UGM)でアラブ文学、インドネシア・イスラーム大学(UII)で国家法学(Hukum Tata Negara)を学び、UGM大学院で政治学を修めた後、国家法学で博士号を取得、43歳でUIIから法政治学の大教師(Guru Besar)の称号を得る。UIIの教授職を務めつつ、アブドゥルラフマン・ワヒド政権(2000~2001年)で国防大臣、法務人権大臣を務め、2002~2005年に民族覚醒党(PKB)副党首となった。

国会議員(2004~2008年)の後、2008~2013年に憲法裁判所長官を務め、2019年から政治・法務・治安担当調整大臣を務めている。国内最大のイスラーム社会団体であるナフダトゥール・ウラマ(NU)の重鎮で、NU議長を長く務めて第4代大統領だった故アブドゥルラフマン・ワヒド師の直系である。国家法学でトップの学者・有識者であり、独立の立場からの発言が物議を醸すこともある。

◆プラボウォ=ギブラン組

*プラボウォ大統領候補

1951年10月17日、ジャカルタ生まれの72歳。イスラーム教徒。グリンドラ党党首。父はスカルノ時代の政治家で、のちにスハルト政権を支えた経済学者の故スミトロ・ジョヨハディクスモ教授で、母はマナド出身のキリスト教徒だった。スハルト大統領の次女と結婚したがその後離婚した。スカルノ時代は父とともに海外生活が長く、スハルト時代になって帰国し、国軍士官学校に入校、1974年に卒業した。1976年以降は、軍の最優秀部隊である陸軍特殊部隊や陸軍戦略予備軍において東ティモールやパプアなどで特殊任務を遂行し、1995年に陸軍特殊部隊司令官、1998年に陸軍戦略予備軍司令官に就任した。しかし、同年5月に起きたジャカルタ暴動をめぐるプラボウォの対応に関して国軍幹部会が調査と取調を行なった結果、執務違反との判断が下り、軍籍が剥奪された。

ヨルダンやヨーロッパで過ごして帰国し、実業家である弟のハシム氏の後を追ってビジネスを展開、国内外に27社を持つ企業グループを作った。そして2008年にグリンドラ党を結党して党首となって政界へ進出、総選挙に参加するとともに、自身も大統領選挙において、2009年にメガワティと組んだ副大統領候補、2014年と2019年は大統領候補として立候補したが、いずれも、ユドヨノ(2009年)、ジョコウィ(2014・2019年)に敗れた。2019年は当初敗北を認めず、ジャカルタで抗議デモを続けて暴動となった。その後、ジョコウィと和解して一転、野党から与党へ鞍替えし、国防大臣に就任した。ルフット海事投資担当調整大臣とは陸軍時代からのライバルである。人権活動家は今も、1998年5月のジャカルタ暴動での関与や東ティモールなどでの人権侵害の過去を糾弾している。

*ギブラン副大統領候補

1987年10月1日、中ジャワ州ソロ市生まれの36歳。イスラーム教徒。闘争民主党員。ジョコウィ大統領の長男。法定候補者最低年齢は40歳だが、2023年10月16日、叔父が長官を務める憲法裁判所判断で、「選挙の洗礼を受けた地方首長またはその経験者は立候補可能」との新条件が追加されて立候補となったが、その判断が妥当かどうかの議論が続いている。シンガポールで高校・大学生活を送った後、オーストラリア・シドニー工科大学で2010年まで学んだ。帰国後はケータリングやマルタバ屋など食品関係の会社を経営し、友人と就職マッチングアプリを開発、弟のカエサンらとレストラン経営にも乗り出した。

2020年、かつて父も務めたソロ市長選挙に闘争民主党から立候補して当選。そして今回、闘争民主党の意向に逆らい、ソロ市長1期目の任期途中でプラボウォと組む副大統領候補となった。弟のカエサンも入党翌日にインドネシア連帯党(PSI)の党首に就任し、政治王朝(dinasti politik)との批判が高まっている。

◆アニス=ムハイミン組

*アニス大統領候補

1969年5月7日、西ジャワ州クニンガン県生まれの54歳。イスラーム教徒。所属政党なし。アラブ系の血を引き、祖父は独立運動期のジャーナリスト、外交官として有名で、父母はともにジョグジャカルタの大学教授で、アニス自身もパラマディナ大学の学長を務めるなど、学者としてのバックグランドが強い。高校時代にAFS交換学生としてアメリカに留学、帰国後、1989年から国立ガジャマダ大学(UGM)経済学部で学んだ。イスラーム学生連盟(HMI)を通じた学生運動にも関わり、学生自治会の復活にも貢献した。1993年には日本航空の論文コンテストで優勝し、上智大学のサマースクールに参加した。学部卒業後、フルブライト奨学金を得て米国のメリーランド大学、北イリノイ大学で勉学を継続し、公共政策学で2005年にPh.Dを取得。

帰国後、The Indonesia Instituteなどで地方分権化等に関する調査活動に従事し、2007年、国内最年少の38歳の若さでパラマディナ大学の学長に就任した。2009年大統領選挙では候補者討論会の司会を務め、2014年の第1次ジョコウィ内閣で教育文化大臣として入閣したが、2016年7月の内閣改造で更迭された。その後、ジャカルタ首都特別州知事選挙に立候補して当選し、2017~2022年に同州知事を務めた。同州知事選挙でイスラーム強硬派の強い支援を受けて、イスラーム・イメージが強まった。2022年9月、ナスデム党がアニスをいち早く大統領候補に決定、現在に至る。

*ムハイミン副大統領候補

1966年9月24日、東ジャワ州ジョンバン市生まれの57歳。イスラーム教徒。2005年から民族覚醒党(PKB)党首。両親はプサントレン(イスラーム教育の寄宿学校)の教師で、幼少の頃から師と仰いだナフダトゥール・ウラマ(NU)元議長で第4代大統領の故アブドゥルラフマン・ワヒド師は伯父に当たる。国立ガジャマダ大学(UGM)社会政治学部で学び、その後インドネシア大学(UI)でコミュニケーション学を学んだ。2017年に国立アイルランガ大学から名誉博士号を送られている。大学時代からイスラーム学生運動(PMII)やインドネシア青年国内委員会(KNPI)、イスラーム社会研究所(LKiS)に関わった。

1998年、故アブドゥラフマン・ワヒド師らと民族覚醒党(PKB)を結党して事務局長に就任後、国会議員に当選、33歳で国会副議長に選出され、1999~2009年に国民協議会(MPR)副議長を務め、2019年から現在もその地位にある。また、2009~2014年にユドヨノ政権下で労働・移住大臣を務めた。民族覚醒党内では2000年代前半に内紛があり、ムハイミンが党の設立者である故アブドゥラフマン・ワヒド師を追い出して党を乗っ取ったと同師の娘イェニー・ワヒドから訴えられるなど、ムハイミンと故アブドゥラフマン・ワヒド師の信奉者との間には対立が残っている。今回の正副大統領選挙では、当初からプラボウォを大統領候補として推し、ムハイミン自身を副大統領候補とするよう働きかけてきたが、それが難しいと分かった後、ナスデム党のスルヤ・パロ党首の誘いに乗って、アニスと組むという行動を採った機会主義者の一面がうかがえる。

(以下に続く)

  • 正副大統領候補3組のビジョン・ミッション
    • ガンジャル=マフド組のビジョン・ミッション
    • プラボウォ=ギブラン組のビジョン・ミッション
    • アニス=ムハイミン組のビジョン・ミッション
    • 大まかな比較と所感
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