よりどりインドネシア

2023年06月23日号 vol.144

往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第65信:結婚コメディ『いつ結婚するの?』と離婚コメディ『トリプル・タラーク』~共通するのは「ウソが実になる時」~(轟英明)

2023年06月23日 21:43 by Matsui-Glocal
2023年06月23日 21:43 by Matsui-Glocal

横山裕一様

今回紹介する結婚コメディ『いつ結婚するの?』(Kapan Kawin?)ポスター。ありきたりなコメディかと思いきや、なかなか侮れない出来栄え。imdb.comから引用。

東京首都圏では先日梅雨入りしました。この時期に日本で過ごすのはたぶん20年ぶりくらいなのですが、台風の時以外は「やさしい」日本の雨にようやく慣れてきた感じです。インドネシアでの、バケツをひっくり返したかのような凄まじい降り方、即ちスコールが長らく自分にとっては当たり前だったためか、少々の小雨では傘をささずに歩くのが楽しくもあります。

そういえば、インドネシア映画では日々の天気はどのように描写されていたかな?などと想いをめぐらしながら先日は散歩しました。インドネシア映画における美しい雨の場面というのがあまり思い浮かばないのは、私がぼんやりと画面を見ているからなのか、あるいは単に見過ごしているからなのか。

映画の雨と言えば、自作内の雨の場面はことごとく土砂降りの豪雨と決まっていたのは黒澤明監督でした。実際、黒澤作品の雨の場面は容易に観客に忘却を許さないほど強烈な印象を残すのですが、豪雨の本場(?)インドネシアの映画において黒澤明作品に匹敵するほどの印象的な雨の場面がない、少なくとも私にはすぐに思い出せないのは不思議と言えば不思議かもしれません。

とは言え、随分昔にインドネシア語の授業で観たトゥグー・カルヤ監督の『追憶』(Doea Tanda Mata)やエロス・ジャロット監督の『チュッ・ニャ・ディン』(Tjoet Nja' Dhien)においては、実に効果的に雨が使われていました。でも、最近のインドネシア映画ではさてどうなのでしょうか。最新のインドネシア映画を日本人としてはおそらく一番早く、しかも一番多く観ている横山さんにとって印象的な雨の場面があれば、いずれ教えていただければと思います。

『追憶』(Doea Tandamata) ポスター。植民地時代のインドネシアが舞台の秀作。imdb.comから引用。

第31信で横山さんが紹介ずみの『チュッ・ニャ・ディン』(Tjoet Nja’ Dhien) ポスター。ラストシーンは本編のとおり、雨が降っていなくてはなりません。imdb.comから引用。

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さて、本論に入る前に、横山さん担当回の内容へのコメント及び私への問いかけへの回答をまとめてしておきましょう。自分のほうから横山さんにいろいろ問いかけておきながら、横山さんからの問いかけにはちゃんと応えきれておらず、いろいろ申し訳ありません。

まず、第62信では最近流行りのスーパーヒーローものについて横山さんは論じておられるので、横山さんが指摘されてない点について私のほうから補足し、現時点での私の作品への評価をお伝えします。

『グンダラ ライズ・オブ・ヒーロー』(Gundala、以下『グンダラ』)他のスーパーヒーローものは、Bumilangit Cinematic Universe(BCU)というシリーズ名からも明らかなように、アメリカのスーパーヒーローもの二大ブランド、即ちマーベルコミックスとDCコミックスの強い影響下にあります。ありていに言えば、BCUは限りなくパクリに近いのであって、全世界で大ヒットし続けているマーベル・シネマティック・ユニバース(Marvel Cinematic Universe: MCU)やDCという超人気ブランドのインドネシア版を制作者が企図していることは明白です。

横山さんご指摘の通り、ヒーローたちは互いの作品に短い時間ながら出演することで、それぞれが別個の作品世界の住人ではなく、一つの世界の同じ時間に生きていることを観客に印象づけます。MCUやDCにおいては、彼らは共通の敵を倒すために協力し、あるいは時には敵対します。その結果生まれる化学反応を次回作以降にも持ち越すことで観客の期待をいやがうえにも高め、ますますブランド力を強めていく。これが巨大資本の支配するハリウッド式成功方程式です。BCUも基本的にこれに倣おうとしているのでしょう。

問題は、BCUのこの模倣が興行的に果たして成功しているかどうかです。事実として、現在までのところ、国内での興行は三作品とも見事にコケています。2007年以降のインドネシア映画観客動員数ベスト50にいずれの作品もランクインしていないのですから、人によっては大惨敗と評価するでしょう。

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_highest-grossing_films_in_Indonesia

映画史上の興行記録を塗り替えるほどの超ヒットブランドである本家本元MCUと比較するのはかなり酷とは言え、現時点ではBCUはさほど儲からず、見劣りするブランドである事実は否めません。

さて、肝心の作品評価ですが、私は『グンダラ』、『スリ・アシ』(Sri Asih)、『ヴァルゴ・アンド・ザ・スパークリングス』(Virgo and the Sparklings、以下『ヴァルゴ』)のうち、『グンダラ』しか本編を観ておりません。日本のネット環境下では『スリ・アシ』や『ヴァルゴ』はまだ観られそうもないので、今回は『グンダラ』についてのみ短く批評しておきます。

横山さんは第62信で「これら一連の作品で作風に大きな影響を与えているのが、轟さんも崇拝するジョコ・アンワル監督です」と書いており、私も実際ジョコ・アンワルがBCUを仕切っているのだろうと思いますが、私は彼を「崇拝」はしていないので、ここに明確に、断固として否定いたします。私が崇拝しているのは唯一神アッラーだけです。

私が第43信から第47信にかけてジョコ・アンワル作品を熱心に論じたので、横山さんは勘違いされたのだと思いますが、こと『グンダラ』についての評価は、私がガドガド・ホラーの目下最高傑作のひとつと信じてやまない『呪いの地の女』(Perempuan Tanah Jahanam)とは全くの正反対です。

一言で言うなら、『グンダラ』は典型的な「底抜け超大作」、あるいは「張りぼて」の類です。

あまりに極端な評価だといぶかるかもしれませんが、無論ちゃんとした理由はあります。ただ、根ほり葉ほり詳細に論じていると、いつまでたっても本論に入れないので、なぜ『グンダラ』が底抜け超大作であり、張りぼてなのか、以下箇条書きで3点だけ指摘しておきましょう。 

  • 主人公のビジュアルはじめプロダクション・デザインや美術には非常に力を入れており、独自の作品世界構築には一応成功している。莫大な予算をそれなりに投入している模様。基本設定や世界観において参照しているのはDCの『バットマン』リアル路線あたりと推測される。かつて作られた子供向けのショボいスーパーヒーローものをリメイクするつもりではないことが、制作者の本気度が、ちゃんと伝わってくる。
  • ところが、脚本が信じがたいほど粗雑でいい加減すぎるため、せっかくのハイレベルの美術が逆にマイナスの印象を観客に与えてしまっている。例えば、主人公は幾度も雷に打たれるが、それについての説明や理由付けは全くなし。幾度も無造作に雷が主人公だけに落ちてくるので、これではほとんどコメディと変わらない。が、物語や人物設定は現実社会のリアル路線で俳優たちも大真面目に演じているため、笑えるはずもない。
  • さらに、スーパーヒーローものであるにも関わらず、アクション場面が全くもって弾まない、楽しくない、つまらない。観客に痛みも爽快感もスリルも体感させないアクションをよくもまあ延々と続けられることに心底呆れる。アクションの見せ方が信じがたいほどヘタクソ。そのうえ、チェチェップ・アリフ・ラフマンやハンナ・アル・ラシッドなど、実際に超絶アクションを自ら演じられる俳優をキャスティングしているというのに、全然彼らを活かせていない。2人のファンである私にとっては信じがたい愚挙としか言いようがない。

『グンダラ』の作品批評、というより悪口については、実のところまだまだ延々と書けるのですが、きりがないのでここらでやめておきましょう。

なお、『スリ・アシ』や『ヴァルゴ』は予告編を見る限り、非常に期待させる内容ではあります。実を言えば、『グンダラ』も予告編はかなりイイのです。それだけに喜び勇んで劇場まで妻と一緒に観に行ったのですが、あまりに本編の出来が悪く、ついには夫婦仲にも影響するレベルの酷さでした。

https://youtu.be/8rauD1vxMCw Official Trailer GUNDALA (2019) - Tayang 29 Agustus 2019. 予告編は素晴らしい。そう、予告編は。

なるほど、外形的には1981年に制作公開された『グンダラ 雷王子』(Gundala Putra Petir)よりは大人の鑑賞に耐えうるのが、ジョコ・アンワル版『グンダラ』なのでしょう。そのためにビジュアルを一新して、リアル路線を追求したことは一応納得できますが、完成度がこの有様では困ります。本家本元DCにおけるいくつかの作品、全般的に高評価ではなく興行的にも伸び悩んだ『マン・オブ・スティール』(Man of Steel)あたりを想起せざるを得ません。なんでもかんでも現実社会でリアルに描写すれば良いってものではないのです。くたばれ、くそリアリズム。

https://youtu.be/JQXJVK_PQ8Y Film Aksi Terbaik "Gundala Putra Petir" Film Produksi Tahun 1981. 失笑を禁じ得ないコスチュームとアクションに我慢できれば最後まで観られます。

ともあれ、『グンダラ』のダメダメぶりが示しているのは、どれだけ優れた手腕をもつ監督であっても、信じがたいほどの駄作を作ることも時にはあるという、実に単純な真理に他なりません。弘法も筆の誤り、でしょうか。

ついでにジョコ・アンワル絡みでもう一点指摘しておくと、彼の団地好きあるいはフェティシズムは、脚本を担当した『フィクション。』(Fiksi.)の時から一貫しています。同作はモーリー・スルヤ監督の長編デビュー作ですが、主要な舞台となるのは高級アパートではない、庶民的な団地です。そして、ジョコ・アンワルが閉鎖空間を好んで描くことは、一見広々とした森の中でのみ物語が展開するサイコスリラー『異常な犯行』(Modus Anomali)でも確認できます。

同作ではタイトルどおりの異常な犯行が最初から最後まで自分語りで進行していきます。構造としては精神的な迷宮内の堂々巡りであり、森を途方もない閉鎖空間として描写しているのが特徴です。スリラーとしては一応最後まで引っ張る高度な仕掛けではあるものの、後味の悪さは『グンダラ』の比ではないため、私は人にあまりおススメしません。が、もし横山さんが『グンダラ』を高く評価しているのなら、観比べてみるのも面白いかもしれませんね。

『異常な犯行』(Modus Anomali) ポスター。全編英語の野心作ですが、観客を選ぶ作品。imdb.com から引用。

BCUについては一旦ここまでとします。『スリ・アシ』や『ヴァルゴ』、また今後公開予定の『幽霊洞窟の盲目剣士:天使の眼』(Si Buta dari Gua Hantu: Mata Malaikat)などを鑑賞後に再度BCUについて論じてみたいと思います。特に『幽霊洞窟の盲目剣士』シリーズは、言わずと知れた日本が世界に誇る時代劇ヒーロー・座頭市のインドネシア版であり、過去何作もインドネシアでは映画化されるほどの人気キャラクターでした。しかも最新作の監督は、暴力描写では世界的に人気のあるティモ・チャヤントですから、否応にも期待が高まります。この期待が無残に裏切られないことを今はただ願うばかりです。

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さて、ここからは前回第64信へのコメント及び返信です。

いきなり細かい指摘で恐縮ですが、『となりの店をチェックしろ2』(Cek Toko Sebelah 2)でのコー・アフックの発言を「大暴動を起こしたプリブミは許せない」と横山さんは書かれています。これは誤解を招くと思います。インドネシア語での台詞は “Toko kita habis dijarah waktu kerusuhan.” であり、第63信で私は「暴動の時、ウチの店は根こそぎ略奪されたんだぞ。」と訳しました。長男ヨハンがプリブミ(原住民の意)であるアユと結婚することをコー・アフックが断固として拒絶したのは、自分の事業が略奪によって全てダメになったからであって、華人層を標的とした大暴動そのものについては何ら言及していません。自分の財産が侵されて文字通り根こそぎ奪われたからこそ、アユが暴動とは無関係な人間であると頭では理解していても、どうしても感情的に受け入れられなかったわけです。これは完全に体験に根差す個人的な感情であって、個々人の行為と集団の行為及び責任を混同していることは言うまでもなく、プリブミという用語が聞く者に想起させる偏見に満ちたイメージを考慮するならば、「俺の店を全部台無しにしやがったプリブミの片割れであるアユを長男の嫁として認められるわけがないだろう!」あたりが適当な意訳になるのではないかと思います。

ところで、第64信の本論でのテーマはロードムービーでした。主に2作品、『アルナとその好物』(Aruna dan Lidahnya)と『永遠探しの三日間』(3 hari untuk selamanya、アジアフォーカス福岡映画祭で上映済み)を横山さんは紹介されています。軽くコメントしておきますね。

『アルナとその好物』については、そもそも純粋なロードムービーと言えるのか、私は若干疑問に思っています。外形的には確かに登場人物たちのローカルグルメ道中記なのですが、単にA地点からB地点へ移動しましたというだけの描写が多く、移動描写や風景描写そのものは非常にあっさりしすぎている感じです。記憶に残る風景描写が、西カリマンタン州シンカワンでのドラゴンパレードを除いてあまりないのは、ロードムービーとしてはちょっと致命的な弱点です。とは言え、それはこの映画の全体的な評価が低いことを意味せず、むしろありがちな風景描写よりも主要登場人物4人の心理描写を時に細やかに、時に赤裸々に描いて、関係性が変化していくところに本作の面白さがあります。

いずれ私が書くであろうエドウィン監督論において、再び言及することになりますが、エドウィン作品というのは常にどこかヘンなのです。初期の実験的な作品以降は、一応商業映画の定型に沿ったジャンルものの体裁をとった作品を発表しているのですが、どこかしら定型から逸脱した描写が必ず含まれます。端的にシュールな作風と言ってもいいでしょう。

『アルナとその好物』で言えば、主人公アルナが観客に向かって語り掛ける手法です。これ自体は必ずしも珍しくないものの、女性主人公がトイレでナプキンを交換する場面を入れる必然性はないわけですし、シュールな夢のシーンも唐突に入ってきます。アルナに呼応するかのように、ボノとファリシュの男二人組は連れションしますし、女友達ナッドは避妊具を携帯していることをあっけらかんと話します。かと思うと、いつの間にか死人(?)と踊る場面がさらっと入っていたりして、実に不思議なペースで物語が進行していくのです。

『アルナとその好物』(Aruna dan Lidahnya) ポスター。インドネシアでは珍しい、一風変わった大人の恋愛グルメドラマ。Imdb.com から引用。

つまり、本作を一言で紹介するなら、「都会派中産階級四人組のローカルグルメ道中記兼恋愛もの」とまとめられます。しかし、不倫を扱ったドロドロものになりそうで、そうはならず、また物語の始まりのあたりでは予定調和的にアルナとボノがくっつくと期待する観客もいるはずですが、彼らにその気はまったくなく、しかしながら最後はめでたくハッピーエンドで終わります。そのうえ、物語の発端となった鳥インフルエンザ調査はただのお題目にすぎず、物語上は実にどうでもよい事であったことが最終的に判明します。現実に日々感染症と苦闘している医療関係者にとっては噴飯ものの終わり方とも言えます。とは言え、シュールな作風が特徴のエドウィン作品に社会派の作風や論理的で道徳的な終わり方を求めても詮無いことでしょう。一見主要なテーマであるローカルグルメですら、単に主人公たちを動かすアイテムの一つ、ギミックにすぎないとすれば、そこに過剰に期待しても仕方ないと私は思います。

また、エドウィン作品の特徴の一つは突然噴出する暴力性ですが、本作ではそれは完全に封印されています。ただし、暴力性とはだいぶ異なるものの、上述したように何かしら逸脱した描写が時折入ることで、何とも奇妙な味わいが作品全体にまぶされている印象を観客に与えます。他の監督の作品では味わえない、ちょっと不可思議な感覚こそが『アルナとその好物』の面白さでしょう。

もう一本、『永遠探しの三日間』を私は未見でした。日本のNetflixでは観られなかったためですが、VPNアプリの中でも最も強力とされるExpress VPNを使えば、インドネシアのサーバーに繋がり、ダウンロードできることが先日判明しました。現在まだ視聴中で観終わっていないので、ちゃんとした感想は後日再度述べたいと思いますが、2007年公開時の世相がフィルムにちゃんと焼き付いていたことを確認できたのは大きな収穫です。

まず何といっても、主演の二人、ニコラス・サプトラとアディニア・ウィラスティが若い!二人とも2023年現在は中年の域に達しているため、なおさらたたずまいや些細な動きや表情のひとつひとつにハッとさせられます。ただし、ドラッグ、アルコール、タバコ、ついでに最後はセックスと、絵に描いたような向こう見ずで不健康な描写の数々は、50代の私には何とも遠い世界の出来事としか感じられません。劇中でニコラスが言及するドラッグ過剰摂取で死んだロックスターたちにもまるで感情移入できないし、主人公2人の行動にも全然共感しないのですが、そこがまた青春ロードムービーとして非常によろしいですね。制作者は2007年公開時に当時の若者たちを観客として想定して制作したのだから、2023年現在50代の私が理解も共感もできないのは当たり前だからです。

一点気になったのは、主人公二人はバタック人と設定されているわりには、バタック性がまるで本作からは感じられない点です。言語は基本的にずっと標準インドネシア語使用でこの点もロードムービーらしさに若干欠けていますし、主人公二人や家族の間でもバタック語は使われてないようです。氏族名でバタック人であることを明らかにしている以外に、バタック性を想起させる描写はさてあったでしょうか。どうもどこか見逃しているような気もするので、今一度全編を通して見直してから『永遠探しの三日間』を再び論評させてください。

ちなみに、私がインドネシア映画のロードムービーもので傑作と認めている作品は二つあります。一つは以前も紹介した『三日月』(Mencari Hilal)です。もう一つはガリン・ヌグロホ監督の長編デビュー作『一切れのパンの愛』(Cinta dalam Sepotong Roti)です。後者は故佐藤忠男さんが自信を持って東京国際映画祭への出品を薦め、その結果、ガリン・ヌグロホはそれまでのインドネシア人監督とは明らかに違う毛色の作品を作ることのできる芸術派監督として国際的に認知されるようになりました。新感覚の作風という点で、インドネシア映画史上においても記念碑的な一作です。多分横山さんは未見ではないかと思うので、YouTubeの粗い画面で恐縮ですが、以下時間があれば鑑賞してみてください。

https://youtu.be/iVdbakMszSg CINTA Dalam SEPOTONG ROTI (1990) || Adjie Massaid, Rizky Theo & Tio Pakusadewo

『一切れのパンの愛』については、国際交流基金ジャカルタ事務所所長を務めた小川忠さんが岩波新書の『インドネシア 多民族国家の模索』で詳しく紹介されています。30年以上前の映画ながら、凝ったオープニングと繊細なテーマ、そして解放感溢れるラストまで、実に見応えある一作です。

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随分長い前振りというか返信になってしまいました。毎度のことながらすみません。

ここからようやく本論です。前回の続きで、一般的な結婚コメディものを取り上げてみたいと思います。前回少し言及した『結婚しちゃった』(Get Married)シリーズは現在観直しているところなので、次回以降にまとめて論じたく、今回は『いつ結婚するの?』(Kapan Kawin?)と『トリプル・タラーク』(Talak 3)の2本を素材に現代インドネシアの結婚事情を探ってみます。なお、『いつ結婚するの?』と『トリプル・タラーク』はともにNetflixで視聴可能です。

(⇒ まず1本目の『いつ結婚するの?』は・・・)

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