よりどりインドネシア

2021年10月22日号 vol.104

往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第30信:社会制約がある中でのエロティシズムの描き方(横山裕一)

2021年10月22日 23:22 by Matsui-Glocal

轟(とどろき)英明 様

先日、怪我の功名で遅まきながらインドネシア独立75周年記念の7万5千ルピア札を手に入れることができました。キャッシュカードをATMで抜き忘れて機械に飲み込まれてしまったため銀行へ再発行してもらいに行った時、ついでに記念紙幣のことを尋ねたら運の良いことにあった次第です。紙幣のモチーフにはスカルノ・ハッタの初代正副大統領や各民族衣装を着た子供達以外に、インドネシア初の地下鉄でもあるMRTが刷り込まれていました。インドネシア近代化の象徴的な位置付けなのかもしれませんね。

独立75周年記念紙幣一部

MRT開通で沿線歩道が整備されたスナヤン地区

たしかにMRTの出現は、基幹バス整備強化と合わせて歩道拡張や駅周辺の整備を促し、ジャカルタを「歩ける都市」に変身させるきっかけにもなったといえます。車やバイクだけでなく、人々が歩くジャカルタの新たな都市風景はかつてのジャカルタのイメージを大きく変えつつあります。

その影響か、近年のジャカルタを舞台にした映画作品もMRTの見える光景や車内、駅周辺の歩道をロケ地に取り入れるケースが増えています。おそらく、リリ・リザ監督作品で韓国ヒット映画のリメイク版『ベバス(自由)』(Bebas /2019年公開)が最初だったかと思います。ネットフリックスで観られる作品では『いつかこの日の物語をあなたに』(Nanti Kita Cerita tentang Hari Ini /2020年公開)や『ヴィンテージショップ』(Toko Barang Mantan /2020年公開)などにも登場します。まさに近代都市としてのジャカルタの新たな時代を切り取ったひとコマといったところでしょうか。

**********

さて、前回轟さんが『シスター・マリアム 許されぬ恋』(Ave Maryam)を通して、抑圧された修道院での女性主人公の性的欲望を描いた意欲作として紹介されましたが、今回、私もイスラム社会規範が多くを占めるインドネシアでの近年の映画内の性表現がどのように描かれているか、2作品を例に話してみたいと思います。

2作品とはネットフリックスでも配信中の『アバウト・ア・ウーマン』(About a Woman /2014年公開)と、『モアンマル・エムカのジャカルタ・アンダーカバー』(Moammar Emka’s Jakarta Undercover /2017年公開)です。前者は巧みなシチュエーションの積み重ねによる間接的ともいえる性表現が試みられた作品で、後者は裏社会のセックス産業を取り上げた直接的な性表現を盛り込んだ作品です。

轟さんも書かれたように、インドネシアでは保守的とみられながらもセックスシーンなどは古くから扱われています。思ったよりも自由ですが、表現の度合いは確実に限られています。テレビ放送ではそれがより厳しくなり、2000年前後に洋画が放送された際、ヌードシーンはカットされ、キスシーンの口元や大きく開いたドレスの胸元、ミニスカートの太ももなどにボカシが入れられていました。これは現在も同じです。

映画の世界でも、恋愛や事件など物語の内容に伴いベッドシーンなどはありますが、露出は必要最小限に抑えられ、日本や欧米のような過激な性描写が売りの作品というものはありません。それだけに、インドネシア映画では興味本位ではなく、物語やテーマの本質を追求するための手法としての性表現が工夫されている傾向にあるようです。

その作品のひとつが前述の作品『アバウト・ア・ウーマン』です。この作品は1時間16分と短い作品ですが、ある女性の老いと孤独感が優れた心理描写で描かれています。その孤独感を強調する大きな要素として、生身の女性としての性的欲求の高まりと非情な現実の対比が効果的に描かれています。

映画『アバウト・ア・ウーマン』ポスター(写真引用:https://www.themoviedb.org/movie/371536-about-a-woman

主人公は住み込みの家政婦がいるものの一人暮らしが長く続いている中流家庭の老婦人です。ある日家政婦が家庭の事情で退職すると、老婦人の娘婿の紹介で十代後半の少年が後任の家政夫として訪れるところから物語は展開します。

 

この続きは1ヶ月無料のお試し購読すると
読むことができます。

関連記事

闘う女性作家たち(1)―オカ・ルスミニー(太田りべか)

2021年11月22日号 vol.106

ユユ・カンカンを探して(太田りべか)

2021年10月22日号 vol.104

往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第29信:映画的方便としての宗教、抑圧装置としての宗教(轟英明)

2021年10月08日号 vol.103

読者コメント

コメントはまだありません。記者に感想や質問を送ってみましょう。

バックナンバー(もっと見る)