よりどりインドネシア

2021年10月22日号 vol.104

ユユ・カンカンを探して(太田りべか)

2021年10月22日 23:21 by Matsui-Glocal

インドネシアでは、小説などの新刊が発売されると、そのプロモーションのために著者のインタビューがインスタグラム・ライブで行われることが多い。読者にすれば、著者の生の声が聞けるし、これまで知らなかった作家や本に出会ういい機会にもなる。ブディ・ワルシト(Budi Warsito)著のエッセイ集“Trocoh”も、そうやって出会った本のひとつだ。

同書の著者プロフィールによると、「1980年スコハルジョ生まれ。バンドン在住、書店兼私設図書室Kinerukuを運営。かつて長期にわたってテレビのバラエティ番組用のお笑い原稿を執筆したことがあり、わずかな期間、雑誌の編集長になったが4号で廃刊。かつて一度だけ長編映画の脚本を書いたことがあるが制作中止に。かつてインディーズ・レーベルのアルバムのプロデュースをしかけたことがあり、銀幕俳優になるよう声をかけられたこともあるが、いずれも実現せず。“Trocoh”(2021)は、ようやく実現して出版に至ったはじめての著書」。

“Trocoh”は、2005年から2020年までの間にブログなどに気の向くままに綴った文章41篇を集めたものだ。“Trocoh”という言葉の意味はジャワ語で雨漏り、屋根などから水が入ってくること。汚い言葉を口にするという意もある。1篇につきだいたい3ページから長いもので10ページ近くに及ぶが、どれも最後まで改行なしの1パラグラフ、まさに雨漏りのようにだらだらと文が連なる。でもこの人の文章は、リズムがあってなかなかいい(表紙もいい)。

Budi Warsito “Trocoh”(https://kineruku.com/store/trocoh-budi-warsito/ より)

内容はインドネシアや西欧のロックやポップミュージックや、ちょっと昔の雑誌やテレビ番組や映画の話などを中心に、1950年代に“piring terbang”(空飛ぶ円盤)という言葉が一般に使われていたか探ったり、1977年にNASAが打ち上げた惑星探査機ボイジャーに搭載された金のレコード「地球の音」に、ジャワの宮廷ガムランの演奏が収録されたことや、高校生のころエッセイコンテストで優秀賞に選ばれて日本に招待され、他の高校生5人と『ドラえもん』のアニメ主題歌のインドネシア語版を東京の歓迎会で歌わされたこと(お土産には竹トンボを買った)を思い出したり、と多種雑多だ。

子どものころの思い出話もいろいろ出てくるが、どれも楽しい。スハルト政権時代を今想像すると、息詰まるような抑圧に満ちた雰囲気をイメージしてしまいそうになる。でも、あたり前のことだけれど、その時代も子どもたちはのびのびと遊び、人々は愉快な時を過ごしてもいたのだ。

小学生のころ、昔は馬術、水泳、弓術が重要だったという話を先生から聞くと、ブディ少年は早速それを自転車乗り、川遊び、パチンコ遊びに応用する。川遊びのハイライトは、仲間といっしょにバナナの幹で筏を作って川に乗り出したことだ。結局、転覆してみんな川に落ちた。水から這い上がったとき、首にユユ・カンカンが一匹へばりついていた。

インスタ・ライブでの視聴者からの質問で、「ジャワ語がたくさん出てくるけれど、このユユ・カンカンとは何か」というのがあった。著者は中ジャワ州ソロ近郊で育った人だけに、この章でも子どもの遊びがジャワ語を交えて生き生きと語られる。自転車乗りはpit-pitan、川遊びはadus kali、パチンコ遊びはdolanan plinthêng。問題のユユ・カンカンというのは、小さなカニのことだ、とブディ氏は説明していた。

「ユユ」(yuyu)はジャワ語で、サワガニのような淡水に住む小型のカニのことだ。それが「ユユ・カンカン」(Yuyu Kangkang)となると、ジャワの人ならたいてい「アンデ・アンデ・ルムット」(“Andhe Andhe Lumut”)というよく知られた民話や、それをもとにした歌を思い出すだろう。

●チャンプルサリの「アンデ・アンデ・ルムット」

チャンプルサリ版の「アンデ・アンデ・ルムット」は、男女一組のかけ合いで歌われる。歌詞には少しずつ異同があるが、だいたいこんな感じだ。

(女)Putraku si Andhe Andhe Andhe Lumut

 息子や アンデ アンデ アンデ ルムットや

Temuruno ono putri kang ngunggah-unggahi

 降りといで お嬢さんが 待っているよ

Putrine, ngger, kang ayu rupane

 お嬢さん きれいな子だよ

Kleting Abang iku kang dadi asmane

 クレティン・アバンって 名前だよ

(男)Duh, Ibu, kulo mboten purun

 ああ、母さん いやですよ

Duh, Ibu kulo mboten medhun

 ああ、母さん 降りていきません

Nadyan ayu sisane si Yuyu Kang-kang

 きれいでも ユユ・カンカンの 残りもの

これが3回(2回に省略される場合もある)繰り返される。2回目はお嬢さんの名前がクレティン・イジョ、3回目はクレティン・ビルとなる。ここまでは名前の順番が入れ替わっていることもある。

そして4回目。

(女)Putraku si Andhe Andhe Andhe Lumut

 息子や アンデ アンデ アンデ ルムットや

Temuruno ono putri kang ngunggah-unggahi

 降りといで お嬢さんが 待っているよ

Putrine, ngger, kang olo rupane

 お嬢さん ちょいと不細工だよ

Kleting Kuning iku kang dadi arane

 クレティン・クニンって 名前だよ

(男)Duh, Ibu, kulo inggih purun

 ああ、母さん すぐ行きます

Duh, Ibu, kulo badhe medhun

 ああ、母さん 降りていきます

Nadyan olo meniko kang kulo suwun

 不細工でも その子が ほしいから

嫁取り民話「アンデ・アンデ・ルムット」

この歌の背景になっているのは、主にジャワでよく知られる民話だ。この民話には実にさまざまなバージョンがあるのだが、もっとも単純だと思われるものをみてみよう。

ある村にアンデ・アンデ・ルムットという裕福な美青年がいた。その青年が嫁を探しているという話を聞いて、別の村の未亡人が3人の娘をその青年の家に向かわせた。3人とも美しい娘で、それぞれ名をクレティン・アバン、クレティン・イジョ、クレティン・ビルといった。未亡人にはもうひとりクレティン・クニンという養い子がいた。クレティン・クニンは養母と姉たちに下女のように扱われ、いつもみすぼらしい身なりをしていたが、こっそりと3人の姉たちの後を追った。

途中で川のほとりに出た。川を渡らねばアンデ・アンデ・ルムットの住む村に行き着けないけれど、渡し舟がない。3人の娘たちが困っていると、巨大な川ガニ、ユユ・カンカンが川の中から現れて、口づけをさせてくれたら(あるいはしてくれたら、あるいはその両方)川の向こうまで渡してあげよう、と言った。他に川を渡る手立てはなかったし、口づけぐらいなら構わないだろうと思って、3人の娘たちはユユ・カンカンの言うことを聞き、その背に乗って向こう岸まで渡してもらった。

アンデ・アンデ・ルムットの母親は、美しい娘たちが来たのを見て、息子を呼ぼうとするが、息子は「その娘はきれいだけれど、ユユ・カンカンの残りものだからいやです」と言って、3人ともはねつけてしまった。

最後にクレティン・クニンがやって来た。アンデ・アンデ・ルムットの母親が妙な娘が来たと知らせると、アンデ・アンデ・ルムットは「その人こそ、ぼくが待っていた人です」と言って姿を現した。そうしてアンデ・アンデ・ルムットとクレティン・クニンはめでたく結ばれた。

(以下に続く)

  • クレティン・クニンはどうやってユユ・カンカンを退けたのか
  • 分裂王国の統一譚
  • 渡し守の理不尽な要求

 

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