よりどりインドネシア

2023年08月24日号 vol.148

いんどねしあ風土記(48):「スパイダー・ウェブ・テラス」蜘蛛の巣状田園が映す民族哲学 ~東ヌサトゥンガラ州フローレス島マンガライ~(横山裕一)

2023年08月24日 08:05 by Matsui-Glocal
2023年08月24日 08:05 by Matsui-Glocal

巨大な蜘蛛の巣を描いたかのような田園が東ヌサトゥンガラ州のフローレス島西部、マンガライ地方にある。この珍しい形状の田園は「リンコ」と呼ばれ、現地に千年以上続く伝統的な耕作手法であるとともに、現地の人々、マンガライ民族の信仰をはじめ生き方、社会形成など様々な民族哲学が深く盛り込まれている。蜘蛛の巣状のリンコに隠された謎と人々の精神世界を探る。

●蜘蛛の巣状田園「リンコ」と人々

東ヌサトゥンガラ州フローレス島の西端でジャワ、バリ方面の玄関口でもあるラブアンバジョから車で4時間東へ行くと、マンガライ県の中心都市ルテンに辿り着く。ルテンはフローレス島内陸部の山岳地帯の盆地にあり、標高約1,200メートル。夜間は気温も20度を下り肌寒さを感じる高地である。

そのルテン郊外に広大な田園地帯が広がる。丘の上にある展望台から見ると、田園には直径100メートル前後の巨大な円形がいくつも浮かび上がっている。この円形はピザを切り分けるように中心から綺麗な放物線を描き、それぞれのピザの一片がさらに細かく区分けされている。全体を見るとまさに巨大な蜘蛛の巣のような図形が描かれている。

この不思議な図形を描く田園は、地元マンガライ民族の人々から「リンコ」(Lingko)と呼ばれている。リンコは地元民族言語のマンガライ語で「耕作地」という意味を持つ。マンガライ民族が先祖伝来の土地を独自の手法で集落民に分配した結果、蜘蛛の巣状の模様が田園に描かれたもので、フローレス島西部に分布するマンガライ民族独自の伝統文化である。

広大な田園地帯に複数のリンコが窺える。(写真下:Google Earthより)

余談だが、首都ジャカルタの電車やバスなど公共交通機関の各路線相互乗り継ぎや共通運賃支払いカードのシステムに「ジャックリンコ」(Jaklingko)という言葉が使用されているが、これはジャカルタを網の目のように覆った各交通機関の路線を繋いで利用できる様をマンガライ地方の蜘蛛巣状のリンコになぞらえて、ジャカルタとリンコを合わせてできた造語である。

リンコとムルル集落(フローレス島マンガライ)

ルテン郊外に巨大なリンコが横たわる脇にムルル(ムラルと呼ぶ場合もある)集落がある。人口約1,500人で、リンコが密集するこの地域では最も大きい。集落の長、ペテル・ンダンドゥさん(62歳)によると7月初旬に田植えをしたばかりだという。ムルル集落での稲作は1年二期作で、1月から5月にかけてと7月から11月にかけての2回行われる。しかし、7月から11月にかけては乾季で降雨量も少ないため、田植えをしない農家もあるという。このためこの時期のリンコは蜘蛛の巣状の図形に浮かぶ稲の緑色もまばらに見える。集落の長、ペテルさんになぜ蜘蛛の巣状のリンコを作るのか聞くと、次のように答えてくれた。

「私たちマンガライ民族には古くから、神や祖先の霊を中心に、その周りに人々が平等の距離にいる、中心と円という考え方があるためです」

マンガライ民族にとって最も崇拝、畏怖するものは天地創造の神と祖先の霊で、神や祖先の霊を中心に人々が等距離に位置する点が連なって出来上がる円形が世界のようなものである、という考え方があるのだという。人々は円の中心にある神や祖先の霊と常に平等に結びつき、見守られている。この「中心と円」という概念はマンガライ民族の基本哲学で、リンコの形態などに影響を与えているという。

リンコの中心部「ロドック」

ロドックから放射線状に区分けされた水田

リンコでは巨大な円形の中心を人々は「ロドック」と呼ぶ。ロドックはマンガライ語で、「中心、分けること」を意味する。人々は神や祖先の霊がロドックに宿り、作物のため水が枯れないようリンコを守ってくれると信じている。

祖先の霊を祀るチョンパン

チョンパン近くにある伝統家屋

ペテルさんが長を務めるムルル集落の中心部には広場があり、その中ほどに低い円柱状にかたどられたものがある。これはチョンパンと呼ばれ、集落の中心として神や祖先の霊が宿る場所だとされている。現在でこそコンクリートで形作られているが、伝統儀式などの際にはここに鶏の血などが捧げられるという。

このチョンパンを臨むように伝統家屋がある。かつてはチョンパンを中心に伝統家屋が円形で取り囲むように数軒建っていたという。これも「中心と円」の概念に基づいたものである。ムルル集落に唯一残る伝統家屋は形状こそ伝統形式を残しているが、改修され屋根もトタン張りに作り替えられている。ペテルさんによると、この伝統家屋は集落の長の家で、かつてはここに住んでいたという。現在は、部屋は取り除かれ、ここで集落の伝統儀式や重要行事が行われている。伝統家屋の屋根の最上部にはこの地方で神聖な動物とみなされている水牛の角をかたどった飾りが配置されている。長の家のシンボルでもある。

伝統家屋の屋根上には水牛をかたどった飾り。

伝統家屋内は床面も円形で中央に太い主柱が立っている。伝統家屋も「中心と円」の概念に基づいて建てられているという。ペテルさんが説明する。

「天井を見てごらん、リンコと同じ形でしょう?」

見上げると、主柱を中心に屋根を支える梁が放射線状に円形の屋根の先端まで伸びている。まさに蜘蛛の巣状の田園、リンコと同じ形状が浮かんでいた。

円形の伝統家屋内と中心に位置する主柱

屋根を支える組み木

主柱脇には神や祖先の霊のために供えられた飾りのほかに、グンダンと呼ばれる伝統太鼓がぶら下げられている。これは伝統儀式の際に神や祖先の霊を主柱に呼び寄せるために演奏される。儀式は集落の長の家で執り行われることから伝統太鼓グンダンは権力の象徴とも見做されている。このため、集落の長が居住する伝統家屋はルマ・グンダン(グンダンの家/ Rumah Gendang)と呼ばれている。伝統儀式などの際にはルマ・グンダンの居間に住民の代表者が集まり、神や祖先の霊が宿る主柱の前で行われる。

このようにムルル集落を見るだけでも、蜘蛛の巣状の田園リンコをはじめ、集落の形態、伝統家屋の構造などに「中心と円」の概念が反映されていることがわかる。

●「中心と円」の哲学が意味するもの

リンコはいつ頃から形成されたものなのか。ルテン・セント・ポール・カトリック大学でマンガライ文化やリンコを研究してきたイノ・スタム博士によると、マンガライ民族の社会・文化が確立した8~9世紀頃ではないかという。リンコは水田が有名だが、元来は陸稲やトウモロコシ、芋・豆類が栽培されてきたという。20世紀に入ってオランダが灌漑整備法とともに水稲栽培を伝え、現在に至る。丘陵地には現在も畑のリンコも見受けられる。

ではなぜ、リンコや伝統家屋に見られるように円形がシンボリックに描かれるようになったのか。これらはマンガライ民族の精神世界から生み出されたものだとイノ氏は解説する。マンガライ民族の精神世界は自然崇拝であるアニミズムが原点で、彼らにとって崇高なものは「神、祖先の霊、個々の人を守る霊、畑や村、家を守る霊、土地や木、石を守る霊」の5つがある。その上で、世の中には最も重要なものとして、「母と中心がある」という概念が生まれてきたことが大きな要因だという。

ここでいう「母」とは「命の源」という意味合いが強く、神や祖先の霊などを指すとともに、農耕民族であるマンガライの人々にとっては飲料や農耕用水としても重要な「命の源である水」を指すこともあるという。そして、最も大切なものを中心に据えてその周囲に人々や社会があるという意識から「中心を据えた円形」という概念が生まれたものとみられている。イノ博士によれば円形はアニミズム信仰で重要な太陽の形から影響を受けている可能性も高いという。

神や祖先の霊といった最も重要なものを中心に据え、それぞれ平等な距離に位置する人々がまとまって生活する。重要な中心が見守るなか、円形をかたどる人々が「統一、団結、和」を重んじて集団生活、社会を形成、維持していく、という概念である。集団内での相互協力が不可欠な農耕民族ならではの概念形成だともいえそうだ。

マンガライ民族が古来より語り継いできたものとして、「ひとつのものは全ての中に、全てのものはひとつの中に」という諺がある。集団生活を営む指針であるとともに「聖なる中心をもとに全てがまとまっている」ことを意識した言葉でもある。「中心と円」はマンガライ民族の世界観を表しているともいえそうだ。

「母と中心」という概念とともに、マンガライ民族は自分たちの世界(社会)には「全ての不可欠なものがある」という概念もある。ここでいう「全ての不可欠なもの」とは5つの要素で表現され、世の中であれば「動植物、川や木、石といった自然物、人間、祝い、神」であり、人々の生活レベルでいえば「家、水源、村、チョンパン(神や祖先の霊を祀った場所)、農園」を示す。イメージとしては「全て」は円の中にあり、中心はそれぞれ「神」や「チョンパン」となる。マンガライ地方では物事を5つの要素でまとめて表現することが多いが、これは指し示しやすい片手の指の数からきているのだという。

こうして人々の中に形成された「中心と円」という概念が実生活の中に反映されたのが蜘蛛の巣状の田園・リンコである。イノ博士の見解によると、定住した人々が農耕を始めるという人類学的な定説などから、リンコの形態はマンガライ民族の伝統家屋の構造の影響を受けてできあがった可能性が高いという。

●伝統家屋とリンコの相関性

蜘蛛の巣状の田園・リンコの原型とみられる伝統家屋で、古来の形状を残している集落が、マンガライ県の中心都市ルテンにある。観光資源として地方政府から保護協力も受けているルトゥンプゥ集落である。ここには3軒の伝統家屋がある。集落の3役の家で、それぞれに3役の親戚や有力大家族の長家族が数家族ずつ共同で居住している。3役とは集落の長であるトゥア・グンダン、住民間の問題仲裁や日常生活の取り仕切りを行うトゥア・ゴロ、それにリンコなど耕作地に関する全てを取り仕切るトゥア・トゥノである。

伝統集落ルトゥンプゥ(ルテン)。上写真の中央に木が植えられた盛り土がチョンパン。

マンガライ地方の伝統家屋の本来の姿は、茅葺きの円錐形の屋根が建物全体をすっぽりと覆い被さっている。マンガライ語でこの家屋をバル・ニアン(Mbaru Niang)と言い、「円錐形の家」と形状そのものを意味している。ルトゥンプゥ集落に入ると、広場の奥に伝統家屋が3軒並び、広場の中ほどに神や祖先の霊を祀ったチョンパンがある。チョンパンは盛り土の周囲を石で組まれている。

伝統家屋は高床式で入口から内部を見ると建物の中央に主柱があり、長の家の主柱脇には儀式で使われ、権力の象徴でもある伝統太鼓グンダンなどがぶら下げられている。主柱の周りにある居間をぐるりと取り囲むように部屋が配置されている。この部屋ごとに各家族が割り当てられ居住している。天井を見るとやはり主柱を中心に大きな円錐状の屋根を支える梁が放射線状に何本もあり、それぞれを補強する添え木を合わせて、蜘蛛の巣模様を形成している。

入口から見た伝統家屋内部

主柱と脇に配されたグンダン(伝統太鼓)

リンコ研究者、イノ・スタム博士によると、円形で蜘蛛の巣状田園のリンコとその原型だとみられる伝統家屋との相関性は見た目の形や構造だけでなく、機能そのものも転換されているという。

相関性をみる場合、円錐形の伝統家屋を真上から見た状態をイメージすると理解しやすい。真上から見て円形の伝統家屋の中心に位置する主柱に相当するのが、リンコではロドックと呼ばれる円形耕作地の中心部分である。

伝統家屋とリンコの機能相関図。

中心である主柱とロドックにはそれぞれ神や祖先の霊が宿り、伝統家屋では家屋自体や居住者、さらには家屋で行われる儀式やさまざまな協議を見守ってくれていると信じられている。一方、リンコでは耕作物の収穫まで水が枯れないよう神や祖先の霊が見守ってくれる。

また、伝統家屋の外壁に沿って主柱を取り囲むように並ぶ複数の部屋は家族ごとに割り当てられているが、リンコでは中心から円周にかけて結ばれた直線で区切られ各大家族に配分された耕作地に相当する。

このようにそれぞれ中心に精神的拠り所を据え、伝統家屋内で分配された居住区分で生活を営むという機能が、リンコでは分配された耕作地で生産活動を行う機能として移し替えられている。伝統家屋での信仰や機能が反映された結果、農耕地・リンコが蜘蛛の巣状になっている。

マンガライ民族には「グンダンは内にあり、リンコは外にある」という諺がある。グンダンとは伝統家屋ルマ・グンダンのことで、リンコは耕作地を指す。集落の社会・政治活動は伝統家屋内で行われ、経済活動(農耕)は外で行われることを意味する。「内」の伝統家屋と「外」のリンコで活動内容は異なるが、  いずれも「中心と円」の世界観の中で営まれている。

(以下に続く)

  • リンコを作る過程からみえる「中心と円」が及ぼすもの
  • 現代のリンコ、もうひとつの姿
  • ムルル集落の長の家で
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