●マエストロの舞踊
7月6日に“Panggung Maestro”(直訳:マエストロの舞台)という舞踊ショーを北ジャカルタ・パサールバルにあるGedung Kesenianへ見に行きました。「マエストロ = 巨匠」と呼ばれる舞踊家たちの踊りを鑑賞するイベントで、パンフレットには『マエストロを守りながら未来へ』と書いてあります。演目は、“Tari dan Musik Gending Sriwijaya (Palembang)”、“Tari Seudati dan Rapa’I Pase Raja Buwah (Aceh)”、”Tari Topeng Dalang (Cirebon)”の3つでした。
公演が始まる前に、由緒あるGedung Kesenian(ジャカルタ芸術劇場)の建物を鑑賞します。Gedung Kesenianは、インドネシアがまだ「オランダ領東インド」と呼ばれていた1821年に、Weltevreden(バタビアにあったオランダ人の居住区)に建てられたネオ・ルネサンス様式の建物です。当時は、Theater Schouwburg Weltevreden(シャウブルク・ヴェルテヴレーデン劇場)として知られていました。照明にはろうそくや灯油が使われていましたが、1864年にはガス灯が使われるようになりました。 1882 年に建物の照明に初めて電灯が使用されたということです。その頃にタイムスリップしたくなるような気分にさせる建物です。
Gedung Kesenian Jakartaの外観(上)、劇場内の客席(下)。(出所)上:https://ihategreenjello.com/daya-tarik-objek-wisata-gedung-kesenian/、下:https://backpackerjakarta.com/gedung-kesenian-jakarta-gedung-mewah-yang-bersejarah/
アーチ型の額縁舞台、ヨーロッパ映画に出てくるような、まさにネオ・ルネサンス様式のバルコニー席、真紅のカーペットに真紅の座席、天井には豪奢なシャンデリア、そして木の年輪をイメージしたデザインが施されています。これは反射音を吸収するスリット構造になっており、共振器の役目を果たしているそうです。客席数475席と、それほど大きくない劇場ですが、オランダ植民地時代の歴史建造物の一つですので、皆さんも機会があれば是非見学してみてください。
さて、そのGedung Kesenianで鑑賞した“Panggung Maestro”ですが、出演される巨匠たちは皆80~90歳のため、うち2人は車椅子での登場となりました。車椅子から一瞬、立ち上がって踊られた巨匠もいましたが、殆どは巨匠の意志を受け継いだ、若い才能ある舞踊家たちが見事な舞いを巨匠の横で披露しました。
●“Gending Sriwijaya”
最初の演目は、パレンバン(南スマトラ州の州都)の“Gending Sriwijaya”でした。この伝統舞踊と音楽は、かつて南スマトラを中心に存在した『スリウィジャヤ王国』の高貴な文化、栄光、威厳を表したもので、ガムランとゴン(銅鑼)によって奏でられます。現在では、パレンバン出身者の結婚式やイベントで披露されることが多いようです。
9名の若くて美しい踊り子たちは、繊細な細工が施された真鍮製の数種類の髪飾りや肩掛け、腕輪、3層のネックレスに3連のブレスレットとイヤリング、爪飾り、金糸や銀糸を織り込んだ「アエサン・グデ」という種類のソンケット布で作られた衣装、頭の後ろには「ブンガ・ランパイ(ジャスミン、バラ、プルメリアなどがミックスされたもの)」の花飾りを身に付けています。先頭の踊り子は「テパック」と呼ばれるパレンバン様式の模様が施された漆器を持っています。漆器の中には、客人への敬意を表して、ウェルカム・ドリンクを作るためのキンマ、ライム、ビンロウジュの実、ガンビルなどのスパイスが詰められています。客人用の真鍮製のグラスも手にしています。踊り子たちの後ろには、傘と槍を持った2~3人の男性が侍衛として付きます。侍衛も「ルンパック」と呼ばれる、女性とは別の種類のソンケット布を身に付けます。
“Gending Sriwijaya”は、そもそもパレンバンを訪れる客人を歓迎する歌と踊りを作って欲しいと、日本統治時代の政府(日本軍)から情報局(報道班)に依頼があり、1943年に創作され始め、1944年に完成したそうです。“Gending Sriwijaya”に興味のある方は、下記のYoutubeでご覧になれます:https://www.youtube.com/watch?v=_iOgonp5hEk
“Gending Sriwijaya”の踊り(上)、Panggung Maestroのステージで車イスに座りながら踊った93歳のマエストロ、Delima Tatungさん(下)。(出所)上:著者撮影、下:https://www.liputan6.com/regional/read/5336554/panggung-maestro-2023-berikut-informasi-lengkap-tiket-dan-jadwalnya
“Gending Sriwijaya”の衣装や踊りの絢爛さと壮麗さは、タイ舞踊やカンボジアのアプサラダンスに似たものがあります。インドネシアのどの地方にも見られないような華美な舞踊に、私は『スリウィジャヤ王国』という、いにしえの都に想いを馳せました。そして、その舞踊に日本軍が関わっていたということに驚きを禁じ得ませんでした。
舞踊と共に流れる曲の歌詞には、『スリウィジャヤ王国』が世界の仏教学の中心であった時代への憧れが歌われています。その歌詞がこちらです(意訳あり):
Di kala ku merindukan keluhuran dulu kala
Kutembangkan nyanyi dari lagu Gending Sriwijaya
Dalam seni kunikmati lagi zaman Bahagia
Kuciptakan kembali dari kandungan Maha Kala
Sriwijaya dengan Asrama Agung Sang Maha Guru
Tutur sabda Dharma pala Sakya Khirti Dharma Khirt
Berkumandang dari puncaknya Si Guntang Mahameru
Menaburkan tuntunan suci Gautama Buddha sakti
Borobudur candi pusaka Zaman Sriwijaya
Saksi luhur berdiri teguh kokoh sepanjang masa
Memasyurkan Indonesia di tanah Asia
melambangkan keagungan sejarah Nusa dan Bangsa
Taman Sari berjengjangkan emas perlak
Sri Kesitra dengan kalam pualam bagai di Sorga Inderalaya
Taman puji keturunan Maharaja Syaelendra
Mendengarkan iramanya lagu Gending Sriwijaya
昔の壮大さを懐かしむとき
スリウィジャヤ宮廷舞踊の歌を口ずさみ
華やかな時代に想いを馳せる
マハーカーラ(*)の体内から創り出された
崇高で偉大な師がいるスリウィジャヤ王国
ダルマパーラ(*)、サキヤキルティ(*)、ダルマキルティ(*)の神の言葉が
マハメル山頂に響き
聖なる釈迦の教えを広める
スリウィジャヤ王国時代のボロブドゥール寺院
崇高な証人は気高く立ち
アジアの地でインドネシアを繁栄させ
国と国民の歴史の威厳を象徴する
タマンサリは金銀が重なり
天国インデララヤ(*)のスリ・ケシトラ(*)の大理石の言葉
シャイレンドラ王朝の子孫を讃える庭で
スリウィジャヤ宮廷舞踊の歌を聴く
(*)ヒンズー教の神や仏僧の名前
とても荘厳な歌詞ですが、南スマトラが中心であった『スリウィジャヤ王国』の踊りなのに、歌詞に中部ジャワに位置するボロブドゥール遺跡の名前まで出てくるのは、どういうことなのでしょうか。
(次に続く)
- 海洋王国
- 仏教王国
- 秘宝の数々
- 王国の遺産
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