よりどりインドネシア

2024年01月24日号 vol.158

インドネシア政治短信(8):あらゆる手段を行使してプラボウォ=ギブラン組の勝利を目指す(松井和久)

2024年01月24日 23:49 by Matsui-Glocal
2024年01月24日 23:49 by Matsui-Glocal

大統領選挙は終盤戦に入ってきた。各種世論調査によると、プラボウォ=ギブラン組が支持率50%前後と依然優勢で、決選投票にもつれ込むかどうか微妙な状況にある。ジョコ・ウィドド(通称:ジョコウィ)大統領とその周辺は、ありとあらゆる手段を用いて、決選投票なしの1回の投票でのプラボウォ=ギブラン組の当選を目指している。

ジョコウィが「後継者」と定めたプラボウォの大統領選挙勝利のための方策は、かなり前から採られてきたが、大統領の長男ギブランがプラボウォの副大統領候補に決まった2023年10月からはさらに拍車がかかっている。村に至るまでの行政機構、国軍や警察などを通じたプラボウォ=ギブラン組への投票へのアメとムチを駆使した緩やかな強制、対抗馬のアニス=ムハイミン組やガンジャル=マフド組の選挙運動に対するあからさまな妨害(会場使用許可取り消しなど)など、実は枚挙にいとまがない。

本来、選挙不正は総選挙監視庁(Bawaslu)によって摘発されるべきものだが、依然として高いジョコウィ人気の下、ジョコウィ批判が許されず、ジョコウィへの感謝を示すことさえ政府から求められる現状では、選挙不正の摘発は後手に回ってしまう。そして、仮に摘発された場合、他の理由を伴って、大統領に対する名誉棄損などで犯罪化(kriminalisasi)され得る。実際、国家戦略プロジェクトであるニッケル製錬に伴う環境破壊を訴えた住民らが、政府に対する妨害行為を行なったとして犯罪化された事例さえあると聞く。

さらには、1月23日、選挙での中立を厳格に表明してきたはずの国内最大のイスラーム社会団体であるナフダトゥール・ウラマ(NU)が、「勝つほうを支持する」とプラボウォ=ギブラン組への支持を表明するに至った。そのほか、アニス=ムハイミン組やガンジャル=マフド組への支持を表明した団体の一部が、プラボウォ=ギブラン組の支持への変更を表明した。その変節は手の平を返すようであり、まるでオセロのようでもある。路線転換を促すために、プラボウォ=ギブラン組は次期政権での入閣や国営企業幹部への登用など様々な便宜を約束している可能性がある。

●社会的支援の不正利用

この観点でずっと問題視されているのが、政府から低所得層へ配られる社会的支援(Bantuan Sosial: Bansos)の政治利用である。これらのなかには希望家族プログラム(Program Keluarga Harapan)、米の配給、生活必需品カード(Kartu Sembako)、健康インドネシアカード(Kartu Indonesia Sehat)・聡明インドネシアカード(Kartu Indonesia Pintar)に基づく支援、チアンジュール地震被災者救済支援などが含まれ、2023年総額は141.9兆ルピアに達する。加えて、2023年11~12月限定で低所得層へエルニーニョ対策支援金として月20万ルピアが配られた。また、村落資金(Dana Desa)のなかから全国の村落住民290万人へ総額10.4兆ルピアが配られた。まさにこれらが低所得層からの高いジョコウィ支持の源泉となっている。

2024年に入ると、エルニーニョ対策支援金が2024年6月まで延長され、かつ配布額が月20万ルピアから50万ルピアへ引き上げられた。大統領選挙の決選投票が行われた場合、その投票日は6月26日であり、あからさまな選挙対策である。また、社会的支援の配布先も、過去にジョコウィへの支持が少なかったところやプラボウォ=ギブラン組が苦戦しているところへ集中投下されている。ジョコウィ本人は「偶然だ」と主張するが、アニス=ムハイミン組やガンジャル=マフド組が支持者集会を行なった同じ地域を、そのすぐ後にジョコウィが訪問するということが何度も繰り返された。

社会的支援の担当省庁は社会省である。しかし、エルニーニョ対策支援金の延長などの変更は、リスマ社会大臣の知らない間に決められていった。元スラバヤ市長としての指導力が高く評価されたリスマ大臣は闘争民主党に所属する。スラバヤ市長時代に数々の不正摘発に辣腕を振るい、市民から人気の高かった彼女は、閣議の席で社会的支援の不正利用の問題を提議したが、その後、ジョコウィは彼女との同席を避けるようになった。そして、社会的支援の調整・実施は人間開発・文化調整大臣府の下で行われるようになった。

●財務大臣の辞任説が流れる

社会的支援の不正利用を問題視したのは、リスマ社会大臣だけではなかった。昨今、辞任説が広まったスリ・ムルヤニ財務大臣も、ジョコウィから予算支出を求められた際、問題を指摘して抵抗した。スリ・ムルヤニ財務大臣は、プラボウォが大臣を務める国防省の中古戦闘機購入のための予算増に対しても強い難色を示した。スリ・ムルヤニ辞任説を吹聴したのは政府批判を繰り返すエコノミストのファイサル・バスリであったためか、メディアの扱いは決して大きくはなかったが、このことが、プラボウォ=ギブラン組の勝利、すなわちポスト・ジョコウィに大きな暗雲を感じさせることになった。

インドネシア経済がほぼコンスタントに5%成長を継続できているのは、インフラ投資や下流産業振興といったジョコウィ政権の目玉政策によるものだけではない。それらが可能なのは、インドネシアのマクロ経済が安定し、通貨ルピアの変動が緩やかに柔軟に対応してきたためである。その指揮を執ってきた一人が、ユドヨノ政権下から財務大臣を務めてきたスリ・ムルヤニ氏であり、彼女の下で育ってきた財務省やインドネシア銀行の優秀な官僚たちである。彼らによるマクロ経済安定へ向けたたゆまぬ努力の結果として、マクロ経済運営が安定的に行われ、国際的な信用を得ながら、経済成長を達成してきたのである。

かつてのスハルト政権内部では、急増した石油収入を基にした野心的な重工業化や戦略産業開発を進めるグループと何よりもマクロ経済安定を重視するグループとの間で政策対立があった。スハルト大統領は時と場合に応じてそれを適切に調整し、1980年代半ばの石油価格暴落を契機とする金融改革や構造調整などを手がけ、1990年代末の金融危機に対処した。それらの厳しい経験を踏まえて、インドネシアの経済官僚は成長し、経常収支や外貨準備高などが急激で不安定な動きをすることもない、安定したマクロ経済運営ができる状態になった。

世銀理事も務め、プロの実務家としてのスリ・ムルヤニ財務大臣の存在こそが、インドネシアの国際的な信用を成り立たせてきた。その彼女は、プラボウォ=ギブランが正副大統領に就任した場合、財務大臣のポストを去ることになるだろう。そして、後任の財務大臣には、プラボウォの意向に沿った、おそらくは政治家出身者が就くことになると予想する。中古戦闘機購入予算に難色を示した財務相を批判するプラボウォは、おそらくマクロ経済安定の重要性を理解できていない可能性が高い。

なお、政権内では、スリ・ムルヤニ財務大臣以外に10数人の閣僚が一斉に辞任するという噂も流れた。それは、あたかも、閣僚が一斉に辞任した後で大統領を辞任したスハルト政権崩壊を想起させる。しかしこれは、大統領選挙絡みであからさまな政治介入を強要されている閣僚が相当数いることを示唆している。

(以下に続く)

  • 大統領も特定候補を支持したり選挙運動したりしてもよい
  • 「プラボウォ大統領」でどうなるのか
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