●顎が外れる以上の驚きって・・・
「天皇陛下、6月にインドネシアをご訪問」
このニュースは私にとって、ここ10年で最も驚きのニュースでした。即位後初の国際親善を目的とした海外訪問。その前に行われた英国チャールズ国王の戴冠式には出席なされなかったのに、インドネシアにはいらっしゃるとは!
そんな大ニュースに続き、
「天皇陛下、ジャカルタとジョグジャカルタをご訪問へ」
とのニュースは、それはもう顎が外れるぐらいのインパクトでした(決して大げさじゃないですよ)。しかもこのニュースから間を開けず、
「皇后雅子様もご同行で調整」
の吉報。顎が外れる以上の驚きって、いったい何が外れるのかわからないけれど、ネットニュースを見ながら画面に向かって声を上げ、拍手までしてしまいました(おばさんあるある)。時期は6月中旬ごろからしいということも報道されました。
ご訪問がテレビや新聞で報道されるようになると、両親、親類、友人、そしてしばらく音信不通だった人からもメールが来ました。「陛下がジョグジャに来られるね!」(そうなんだよ、驚きだよね!)「会えるの?」(それは無理でしょ(笑))ジョグジャに住んでいる私よりも興奮しているような文面でした。
喜び浮かれる気持ちを落ち着かせて冷静に考えてみました。残念ながら私はご訪問が発表されるずいぶん前から、娘の学校の休みに合わせて6月19日ジャカルタ発の一時帰国のチケットを発券してしまっていたので、それを今更キャンセルすることはできない状況にありました。天皇陛下であれば警備も最高レベルに厳重だし、近寄って写真撮ることも難しいし(余談ですが、これまで別件業務で大統領警護隊(Paspampres)と口論したこともあって、あまりいい思い出はないから関わりたくないし・・・)、日本のメディアは雅子様ご同行ということもあって詳細を伝えてくれるだろうから、しっかりテレビで拝見しよう、と決めこんでいました。味の素の調味料Masakoは絶対に民放が報道するよね、と呑気に日々を暮らしながら(←報道されましたね!予想的中)。
ところが、です。ここからいつものドタバタが幕を開けたのでした。
●大使館から「通訳のお手伝い」の依頼
なんと、大使館の方からメールで「通訳のお手伝い」の依頼が。「んへ?」画面に向かって妙な声が口をついて出てしまいました。いやいやいや、ありえないでしょう、やんごとなき方の御公務に民間の通訳の私が関わるって・・・ないでしょ普通。思考回路がバグった瞬間でした。
とりあえず複数の外部の関係者からの情報を組み合わせて大体の日程を把握。私用の一時帰国を数日遅らせればお手伝いできる状態であることが判明したので、新しいスケジュールでのフライトの残席を確認し(ついでにスケジュール変更に係る追加料金額も・・・泣)両親と娘には日程変更の理由を説明して納得してもらい、お手伝いさせていただくことになりました。
さて本格準備(仕込み)開始。各訪問先でどういったことをされるのか、誰と会われるのか、何をご覧になるのかの詳細情報はあまり分からないので、各訪問先の自主勉強を開始し、ご出発前の会見における陛下のお言葉を手持ち資料として全訳し、後日頂いた基本資料と合わせてマイ資料を作成しました。
私の任務は外国メディア(=インドネシアのメディア)に対するブリーフィングの通訳で、これは通常、日本メディアに対するブリーフィングの後に毎日実施されるものでした。内容は、その日の御動静をメディアに説明し、質疑応答を行うという1時間程度のもの。外国メディア向けのブリーフィングは、インドネシア滞在が長い方には懐かしい塩尻元在インドネシア日本大使。今回はスポークスパーソンとして一連の行事に参加しておられ、インドネシアにも大変詳しいレジェンド。五輪真弓の「心の友」を携帯電話にダウンロードしておられたなぁと思い出し、心強く思いました。
(出典)Livedoor news, 日本テレビ
「インドネシアはサプライズであふれている。」
私はそう勝手に思っているのですが、まさか天皇皇后両陛下訪問でそれを目の当たりにするとは思っていませんでした。日本のメディアでも報道されていることですが、少し書いておきたいと思います。
●ボゴール宮殿での大統領との昼食会
当初、6月19日のボゴール宮殿におけるジョコ・ウィドド大統領との昼食会ではお言葉の交換が予定されていました。しかし、インドネシアにご到着後、「親密で打ち解けたものにしたい」という大統領の意向でお言葉の交換がとりやめになり、カートでボゴール植物園(オーキッド・ハウス)を案内することになりました。
このお言葉の交換はメディアにとっては重要な取材ポイントだったので、取りやめが伝えられるとメディアの方々からは驚きの声とため息が。「すでに用意されたお言葉を公表していただくことはできませんか?」と(おそらくダメ元で)お願いする方もいらっしゃいました。
大統領との会見当日、私は朝からホテルでYouTubeの中継を視聴していました。オーキッド・ハウスから出てこられたぐらいのタイミングで画面に映し出されたのはマイクも設置されしっかり準備された二つの演壇。「うわ、やっぱりあるやん!」とまたパソコン画面に向かってツッコミを入れました。
ジョコウィ大統領からの歓迎のあいさつを受け、天皇陛下も即興でお話をされているご様子でしたが、現場(日本側)もその場で知らされたそうです。事情を知らないと平然と対応されていたように映りますが、舞台裏では相当慌てたことと思います。大統領が歓迎の言葉を述べはじめた時、雅子様に同時通訳用のヘッドセットが手渡されておらず、「あーもう、だれか早く渡して差し上げないと!」と再度画面に向かってダメ出しをする私(職業柄、そういうところが気になってしまうのです)。
この一連の出来事は大統領からの「サプライズ」という言葉で否定的な意味合いを入れずに報道されていますが、すみません、インドネシアは「サプライズ」というより「どっきり」「事前準備なし」「聞いてないよ~」が多いんです・・・と申し訳なく思いました。
先に書いた通り、日本から来られたメディアの方は本当によく取材をされ、様々な報道がありました。私からはおそらくあまり報道されていないことをいくつか書きたいと思います。
(以下に続く)
- 天皇陛下が着られたバティックの産地は?
- 天皇陛下がボロブドゥール遺跡で履かれたサンダル
- ジョグジャカルタのホテル出発を見送る沿道の人々
- 今回のドタバタを機内で一人振り返る
読者コメント