先日、用務のため、ジャカルタを出発し、プンチャックを越えてチアンジュールへ向かいました。25年ぶりにこの道を通ったのですが、以前には見かけなかった光景がありました。
プンチャックの手前、サファリパークの入口のチサルア付近の沿道の多数の建物に、アラビア語の表記が見られたのです。しかも、インドネシア語との併記ではなく、アラビア語のみの表記のところも少なくないのでした。
この辺りは、あたかもアラブ世界であるかのような、錯覚を覚える光景でしたが、いったい、どうしてアラビア語があふれているのでしょうか。
道路沿いを見ていると、明らかに中東から来たと思しき顔の人々が道端に佇んでいるのを見かけました。観光客なのか、それとも祖国から逃れた亡命者や避難者なのか。
少し調べてみると、このチサルア付近には、1985年頃から中東から人々が訪れるようになり、徐々に住み着いていったことが分かりました。そして、現在では、チサルア付近よりも、プンチャックを越えたチアンジュール県チパナスのコタ・ブンガの高級別荘地へ、多くの中東からの来訪者が移っていった様子がうかがえます。
本稿では、2016年1月25日付のdetikXでの「プンチャックのアラブ化」という特集記事を参考に、プンチャック付近に集まる中東からの来訪者について、述べてみます。
●増加する中東からの観光客
中東諸国からインドネシアへの観光客数は、2009年の11万3935人から2014年には21万6313人へと、大きく増加してきました。中東からの観光客がプンチャックへ来るようになったのは1985年頃からで、断食明け大祭などの長期休暇に合わせて訪れるようになりました。
彼らは、サウジアラビア、クウェート、イラン、イラク、モロッコなどからの観光客です。彼らは普通、ドバイやマレーシアへ観光に行くのですが、インドネシアのプンチャック付近は涼しく、緑にあふれ、空気が新鮮で、景色がきれいなので、一度来ると「天国のような山」と感じてハマるようなのです。しかも、マレーシアへ行くよりも費用も安く済むと言います。
チサルア付近は、「アラブ村」(Kampung Arab)とか「リトル・アラブ」とか呼ばれるようになります。中東からの来訪者が出入りする通称「缶ワルン」(warung kaleng)と呼ばれる店が増えていったからです。この名称は、当初、それらの店の屋根が簡易なトタン葺きだったことに由来するそうです。
缶ワルンに来るのは中東からの来訪者ばかりで、地元客はほとんど来ないと言います。缶ワルン以外に、中東からの来訪者をターゲットとするヴィラや高級別荘も多数建ちました。その結果、チサルアの地元であるボゴール県は、それらに課される地方税などで年間60億ルピアの歳入を得ることができています。
興味深いことに、中東からの来訪者は、モスク建設へ積極的に寄付を行います。南トゥグ村では、彼らからの寄付により、12棟のモスクが建設されました。彼らは、建設中のモスクではなく、まったくの更地からモスクを建設する際に寄付をするのが特徴です。
●中東からの来訪者による負の影響
中東からの来訪者の落とすお金は、地元経済にとってはプラスになりますが、彼らの存在が地元社会に対して悪影響を及ぼしている面もあります。それは、たとえば、彼らによる契約結婚や売春の横行です。
もともと、西ジャワ州の山間部へは、メイドとして連れていく女性を探すために、サウジアラビアなどから人がよく訪れていました。私が1991年にスカブミのある村を訪問したとき、村には高齢者と子どもしかいませんでした。成人男性は大工としてジャカルタにて住み込みで働き、成人女性はサウジアラビアなどへメイドとして出稼ぎに行っていたからです。
中東からの来訪者が来る以前から、プンチャック付近は、インドネシア有数の売春の場所として有名で、西ジャワ州の貧しい農村女性などが働きに来ていました。中東へ出稼ぎに行った経験者も増え、彼女らのなかには、中東からの来訪者のみを相手にする売春婦も現れました。
売春の場所も、3~4年前以来、以前のチサルア周辺から、プンチャックを越えた、チアンジュール県のコタ・ブンガの高級別荘地へと移ってきています。しかも、客は電話で売春婦に事前にアポを取るのが一般的です。ちなみに、中東からの来訪者の場合の相場は1回で約200万ルピアであり、インドネシア人の場合の30~50万ルピアに比べるとはるかに高いものです。
なかには、8~10人の売春婦を配下に従える元売春婦の手配師もおり、中東からの来訪者のみを顧客とし、場所もコタ・ブンガの高級別荘に限定しています。特集記事で紹介されたケースでは、配下の売春婦は1時間40万ルピアで最低3時間仕事をし、手配師がその売上の25%をピンハネし、一部を彼女らの元締めへ上納する仕組みになっています。コタ・ブンガだけで、元締めは約20人いるということです。
中東からの来訪者は家族で来る者も多いのですが、若い来訪者のなかには、売春を目的にインドネシアへやってくる者も少なくないという話もあります。しかし、近年では、売春から契約結婚へ至るケースは意外に少ないとみられます。
その原因としては、中東からの来訪者が酔っ払い、売春婦に対してすぐに暴力をふるうことがあり、耐えられなくなった売春婦が逃げ出すケースがよくあるとのことです。また、風紀粛清の観点から、地元政府が摘発に乗り出すことも頻繁にあります。もっとも、イスラム教では、契約結婚はご法度であり、もしそれが出身国に知れると、5年間の禁固刑になる、という話もあります。
●中東からの来訪者のビジネス
コタ・ブンガのすぐ近くにある「マルカス・アルジャジーラ」という名前のホテルは、中東風の装飾を施し、中からは中東風の音楽が流れてきます。
このホテルは、複数のハドラマウトと呼ばれるイエメン出身者が建てたもので、ホテルのほかに高級別荘、中東レストラン、旅行会社も建てています。投資総額は5兆ルピアに上ります。
近年増え続ける高級別荘の多くは、表面上の所有者はインドネシア人ですが、実質上は、中東からの来訪者が資金提供して建設し、運営しています。かなりの利益を得られるため、7年前から毎年3回、ジャカルタとメディナを往復するというサウジアラビア出身者もいます。
もちろん、彼らは外国籍なので、インドネシア人と組んでビジネスを行っています。しかし、中東レストランを開いたイエメン出身者のように、内戦の激化を恐れてイエメンでのレストランを閉めて移ってきた者もおり、インドネシアでの定着、国籍取得をも目指します。
チサルアにあるパサール・フェスティバルでは、中東からの来訪者が店を出し、中東料理の材料や日常生活用品などを売買しています。中東出身者が中東のものを買える場所であり、商人の多くはアフガニスタン出身者です。ある商店は、東ジャワ出身のインドネシア人男性とアフガニスタン人女性が一緒に経営しています。彼らは2003年にドバイで知り合い、2004年にアフガニスタンで結婚式を挙げて、2012年からインドネシアへ来たと言います。
アフガニスタンよりもインドネシアのほうが安心して暮らせるから、というのが理由です。プンチャックにて年2,200万ルピアで場所を借り、商売を始めましたが、客のほとんどは国連難民高等弁務官事務所(UNCHR)によるアフガニスタンからの亡命者、とのことです。
●オーストラリアを目指す者も
プンチャック周辺にいる中東からの来訪者のなかには、インドネシアでの定住を目指す者のほか、最終渡航地としてのオーストラリアを目指す者もいます。
UNCHRは、このプンチャックに中東やアフガニスタンやパキスタンからの亡命者や避難者を一時滞在させています。彼らはここで、同じ運命の亡命者や避難者と知り合い、オーストラリアを目指すために、自発的に英語の勉強に余念がありません。
すなわち、プンチャックは中東からの観光客だけでなく、戦災や迫害を逃れた亡命者や避難者の集まる場所でもあったのです。多くの亡命者や避難者は、プンチャック周辺にて自力で部屋を借り、質素な生活を送っています。その多くは、いつかオーストラリアへ渡航できる日を夢見ながら。
(松井和久)
読者コメント
ahmadhito
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