よりどりインドネシア

2023年06月07日号 vol.143

ラトゥ・キドゥル vs 乙姫(太田りべか)

2023年06月07日 22:40 by Matsui-Glocal
2023年06月07日 22:40 by Matsui-Glocal

南海の女王ラトゥ・キドゥルにまつわる伝説は、ジャワではもっとも広く知られる言い伝えのひとつと言っていいだろう。ジョグジャカルタの南のパラントゥリティス海岸では、緑の服を着て浜辺に行くと、緑を好む女王に海の中に引き込まれてしまうとか、某ホテルには女王とジョグジャカルタ王家の歴代スルタン、またはインドネシア共和国歴代大統領との邂逅のための特別な一室が用意されているとか、さまざまな都市伝説的なものが、ほぼ現在進行形で語り伝えられているようだ。

ジャワ全土の精霊や幽冥界のものたちを統べるというラトゥ・キドゥルとジョグジャカルタを拠点とする王家のスルタンとを結びつける伝説は、16世紀後半にマタラム国が成立してから作られたとする見方が一般的だ。17世紀に原型が成立したと考えられている “Babad Tanah Jawi”(『ジャワ年代記』)では、マタラム国初代スルタンのセノパティがラトゥ・キドゥルと邂逅する場面が描かれている。

だが、南海の女王伝説そのものは、おそらくそれより遥か昔から言い伝えられてきたものと思われる。世界の各地に見られる海底の宮殿とその主である海神にまつわる伝説と同じようなものが、ジャワ島南岸にも昔から語り伝えられていて、マタラム国の宮廷の人々がスルタンの血筋の正統性と神聖性を主張するための手立てのひとつとして、その南海の女王伝説を利用したのだろう。『ジャワ年代記』には、マタラム国草創期に反乱を起こした他勢力の首長が、マタラムの王は百姓の出だと罵る場面がある。おそらくそれに類する話が流布していて、「どこの馬の骨とも知れぬ成り上がり者が王を自称している」という見方も少なくなかったと想像できる。それを払拭するためにも、マラタムの王は輝かしいマジャパヒト王家の流れをくむ正統な血筋で、南海の女王にも認められた神聖性に裏打ちされた存在だということを主張する必要があったに違いない。

ともあれここでは、その原型の南海の女王伝説ではなく、現在よく知られているマラタム以降のラトゥ・キドゥルにまつわる話を少し覗き見てみたい。ラトゥ・キドゥルとイスラム王朝であるマタラム国との結びつきについては、イスラムと土着信仰やジャワの神秘思想との関係から分析する見方もいろいろとあるだろう。日本に仏教が普及し始めたころに、本地垂跡として八百万の神々を仏教に取り込んでいこうとしたのと似たような現象があったのかもしれない。それはそれで興味深いが、ここではそこまでは踏み込まない。

ラトゥ・キドゥル( https://id.wikipedia.org/wiki/Ratu_Laut_Selatan より)

日本の海の宮殿にまつわる伝説と聞いてまず思い浮かぶのは、おそらく浦島太郎の物語だろう。その物語の中では、女王ではないが「乙姫」という女性がいて、陸からやってきた男、浦島太郎と深い仲になる。ジャワの南海に君臨する女王が地上の王と深い仲になるという物語と、スケールは違えど相似形を成している。そこで、ラトゥ・キドゥルを見ていくうえで、比較対照のために乙姫にも登場してもらうことにする。ただし、民俗学など学術的調査に基づく比較対照ではなく、あくまで素人の遊び半分の比べっこだとご承知いただきたい。

●ラトゥ・キドゥルとセノパティ

ジャワの南海の女王ラトゥ・キドゥルには多くの呼び名がある。ムハンマド・ショリキン著の “Kanjeng Ratu Kidul dalam Perspektif Islam Jawa”(『ジャワ・イスラムから見たカンジェン・ラトゥ・キドゥル』(「カンジェン」はジャワの貴族などに対する尊称))に列挙されている呼称は110にのぼる。その中でもっともよく知られているのは、「ラトゥ・キドゥル」と「ニ・ロロ・キドゥル」だ。これを同一の存在の異称とする見方と、別人とする見方があるらしい。別人説では、ニ・ロロ・キドゥルは女王ラトゥ・キドゥルの宰相である、娘である、など、さまざまな説がある。上述のショリキン氏は別人説をとり、マタラム国初代スルタンのセノパティと会ったのは、実は女王その人ではなく、その右腕であるニ・ロロ・キドゥルだった、としている。

ここではラトゥ・キドゥルとニ・ロロ・キドゥルの同一または別人説については深追いしないことにして、まずは『ジャワ年代記』に描かれるラトゥ・キドゥルとセノパティの邂逅の場面を見てみよう。

セノパティ率いるマタラムが、現在のソロ付近を中心に勢力を誇っていたパジャン王国の属国だったころの話である。マタラムは発展著しく、パジャンからの独立を目論むセノパティは、次第にパジャン王国に対して反抗的態度をとるようになる。

あるとき、セノパティが滑らかな岩を見つけてその上で眠っていたところ、星が落ちてきて、椰子の実ほどの大きさに光りながらセノパティの鳩尾の上に止まったのを、相談役のキ・ジュル・マルタニが目撃する。驚いたマルタニに起こされたセノパティに向かって、星は、セノパティがジャワを支配する王となり、マタラム国はその曽孫の代に終焉を迎えるまで栄えるであろうと告げる。キ・ジュル・マルタニは星の予言を喜ぶセノパティを諫めて、異界のものの言葉をただ信じるだけではいけない、実際にパジャン国と戦うことになれば、星が助けてくれるわけではない、と言う。そして、神の意向を知るために、セノパティには南の海へ行き、自分はムラピ山へ行くことを提案する。

そこでセノパティは東へ向かい、川に出ると水に飛び込んで、流れに従って泳いで川を下った。川の中には一尾のエイがいた。かつて、セノパティが別の川で仲間たちと網を打って魚を獲っていたとき、そのエイが網にかかった。見たこともないほど大きなエイだったので、人々はそれを陸へ引き揚げて、セノパティのところへ持って行った。セノパティはたいへん喜び、エイを金で飾りつけ、トゥングル・ウルンと名付けて水中へ放してやった。今、セノパティがひとり川を泳ぎ下って河口まで来たのを見て、エイはそのときのことを思い出し、恩返しにセノパティを背に乗せようとした。ところがセノパティはそれを断り、岸に上がって大洋に向かって立った。

そこでセノパティが神に祈りを捧げると、激しい嵐が起こり、山ほども高い波が立った。海水は煮え立つように熱くなり、たくさんの魚が岩に打ちつけられて死んだ。

南の海を治めるのは比類なく美しい女王で、名をロロ・キドゥルといった。ジャワ全土の精霊や幽冥界のものたちを支配する女王である。女王が宮殿の宝石を散りばめた黄金の寝台で休んでいると、海が激しく荒れ、海水が熱くなったので、不審に思った女王は水上へ出てみた。すると、男がひとり海辺で神に祈っているのが見えた。その男が海に異変を引き起こしたことを悟ると、女王は男の前に姿を現し、男の足もとに跪いて、海のものたちを哀れんで嵐を収めてほしいと頼んだ。そして、セノパティの祈りは神に聞き届けられ、望みどおりに孫の代までジャワに君臨する王となるだろう、と告げた。

セノパティはそれを聞いて喜び、嵐はおさまって死んだ魚たちも生き返った。ロロ・キドゥルはセノパティに拝礼し、思わせぶりな腰つきで海の宮殿へ戻っていった。ロロ・キドゥルの美しさに魅せられたセノパティは、陸上を歩くのと同じように海面を歩いて後を追い、宮殿に着いた。

海の宮殿やロロ・キドゥルの寝台の美しさを褒め称えつつ、セノパティは「何もかもが素晴らしく、もうマタラムへ帰りたくなくなってしまうほどだ。でもひとつだけ足りないものがある。ここに見目麗しい男がいれば完璧なのだが」と言った。ロロ・キドゥルは応えて言う。「ひとりのままがよいのです。女王だけで。何者にも命令されずにすみますもの」

それからふたりは睦み合い、セノパティは海の宮殿で三日三晩を過ごした。その間にロロ・キドゥルは、王として人間や精霊や幽冥界のものたちを統べるための智慧をセノパティに授けた。そしてセノパティが困ったときには女王の配下の異界の軍団を援軍として寄越す、と約束した。

セノパティは女王に別れを告げ、来たときと同じように海面を歩いて陸へ戻った。パラントゥリティス海岸に着くと、そこに高名なイスラム聖者ワリ・ソンゴのひとりスナン・カリジャガがいて、「海の上を歩いて渡るような超常力を見せつけて奢ってはならぬ」とセノパティを嗜め、その後、セノパティとともにマタラムへ行って、建国のための示唆を与えた。

(以下に続く)

  • 浦島伝説と比べてみると
  • ラトゥ・キドゥルの前身譚
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