よりどりインドネシア

2023年05月22日号 vol.142

【資料】日誌から25年前を振り返る ~1998年5月のスハルト退陣前後で何が起こっていたか~(松井和久)

2023年05月22日 21:47 by Matsui-Glocal
2023年05月22日 21:47 by Matsui-Glocal

今から25年前の1998年5月21日、32年続いたスハルト大統領の時代が終わりました。権威主義体制、開発独裁などと称された「新秩序」(オルデ・バル)体制は、中央集権による国家開発が最優先され、政治や言論の自由が封じられてきました。ポスト・スハルトの時代は民主化の時代と見なされ、「改革」(リフォルマシ)が合言葉となりました。

25年前となれば、現代のインドネシアの若者の多くはまだ生まれていないか、幼児だった頃で、今や、伝聞でしか知らないはずです。25年の間に、事実は風化し、歴史は知らないうちに改変されていく可能性が高まります。当時、スハルト退陣で動いた学生運動のリーダーたちのなかには、現在、政党政治家となった者も少なからずいます。

2024年大統領選挙での大統領候補として、現時点でプラボウォ国防大臣(グリンドラ党党首)がトップになっています。しかし、彼が25年前のジャカルタ暴動の黒幕と見なされ、一時はクーデターのような動きを見せ、軍籍を剥奪された人物であることは、若者たちにほとんど知られていないのではないでしょうか。そのプラボウォを裁く側にはウィラントやユドヨノがいました。また、退陣後のスハルトは、子飼いだったはずの後継のハビビとずっと口をきかない状態でした。なぜ、プラボウォは復活し、スハルトはハビビと没交渉になったのか。

過去の歴史は消えていってしまうのです。プラボウォが復活できた理由です。

今回は、当時の私が残していたメモや以前勤めていたアジア経済研究所の資料などをもとに、日誌として、何が起こったかをざっと書き並べてみました。もちろん、ここでのメモ以外に、膨大なメディア情報もあり、本当はじっくり読み解く必要があります。25年前のスハルト退陣前後の出来事をどのように分析するかは、かなり腰を入れる作業になります。今後の課題としたいと思います。

まずは、読者の皆さんで25年前、スハルト政権が倒れる前後で何が起こっていたのか、下記の日誌資料をじっくり読んでいただければと思います。

1998年5月21日、辞任を表明するスハルト大統領(左)と後継となるハビビ副大統領(右)。(出所)https://news.detik.com/berita/d-5577706/pidato-terakhir-soeharto-saat-lengser-21-mei-1998

●スハルト大統領が再選、ハビビが副大統領に選出

1月6日▼スハルト大統領、1998年度国家予算案を発表。IMFの意向に反し、内容が拡張的だったため、改革への疑念からルピア相場がさらに下落。

1月9日▼ジャカルタで大学生らがスハルト大統領退陣を求める初のデモ。

1月13日▼東ジャワ州の各地で暴動発生。

1月15日▼政府、IMFと経済行動改革で2度目の合意

1月19日▼スハルト大統領、次期大統領選挙への立候補の意向を表明。副大統領にハビビ調査・技術担当国務大臣の起用を示唆。ルピアも株価も下落。

2月11日▼スハルト大統領、ルピアの対米ドル連動制(カレンシー・ボード制)採用の意向を表明。それに消極的だった中銀総裁を2月17日に更迭。

3月1日▼国民協議会(MPR)開会。

3月2日▼モンデール米大統領特使が来訪。

3月6日▼IMF、経済改革の遅れを理由にインドネシアへの第2次融資延期を決定。

3月10日▼スハルト、国民協議会(MPR)で大統領に7選。ハビビ前国務大臣を副大統領に選出。

3月16日▼第7次開発内閣発足。スハルト大統領の長女や大統領に近い実業家が入閣。橋本首相、来訪。

3月18日▼ハビビ副大統領、訪日。

3月19日▼スハルト大統領、ルピアの対米ドル連動制(カレンシー・ボード制)導入を断念。

4月8日▼政府とIMF、経済構造改革で3度目の合意。

4月11日▼ゴルカル傘下の青年団体代表と国軍首脳部の対話集会開催。

4月18日▼政府代表と学生代表による対話集会開催。大統領との直接対話を求めるインドネシア大学、ガジャマダ大学など主要大学の学生は参加を拒否。

4月23日▼メダン工科大学で学生と治安部隊が衝突、発砲により負傷者。

4月27日▼ピウス人民民主連盟議長が会見し、拉致・監禁・拷問の事実を公表。

●公共料金引き上げからジャカルタ暴動へ

5月2日▼各都市の主要大学で一斉に学生デモ。

5月5日▼補助金削減というIMFとの合意に基づき、政府が燃料価格、電気料金、公共料金を引き上げ。それに反対する暴動がメダンなど各地で発生。

5月8日▼米国防総省、米軍によるインドネシア国軍に対する軍事教育訓練を中止し、米兵を帰還させる。

5月9日▼スハルト大統領、カイロでG15首脳会議に出席。

5月10日▼政府と外国銀行との民間債務繰り延べ交渉が決裂。

5月12日▼ジャカルタで警察がスハルト退陣を求めるデモ隊へ発砲。トリサクティ大学の学生ら6人が死亡。

1998年5月12日、トリサクティ大学前での同大学学生のスハルト退陣を要求するデモ行進。(出所)https://seputarlampung.pikiran-rakyat.com/nasional/pr-974456926/apa-itu-tragedi-trisakti-98-pada-12-mei-1998-berikut-ini-sejarah-latar-belakang-dan-kronologinya

5月13日▼ジャカルタで大規模な暴動が発生。暴動はジョグジャカルタ、バンドゥン、ソロなど地方都市への拡大。

5月14日▼ジャカルタ・コタ地区で暴動再発、首都機能は完全にマヒ。各地区で暴徒が略奪、放火。

▼ムハマディアのアミン・ライス議長、反スハルト指導者からなる国民信託協議会(Majelis Amanat Rakyat)を結成。

5月15日▼スハルト大統領、カイロでのG15首脳会議出席の予定を切り上げで急遽帰国。公共料金値上げの見直しを発表。

▼ウィラント国防大臣兼国軍司令官、5月12日のトリサクティ大学でのデモ隊鎮圧で実弾が使用されたことを認め、謝罪。

▼ゴルカル傘下団体の多目的相互扶助協同組合(Kosgoro)がスハルトの退陣を求める声明を発表。

▼中銀、インターバンク取引と外国為替取引の決済業務を停止。商業銀行もすべて営業を停止。

(以下に続く)

  • 暴動後、スハルト退陣への流れ
  • スハルト退陣
  • ハビビ大統領の時代へ
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