よりどりインドネシア

2023年02月23日号 vol.136

往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第57信:東部ジャワ語が心地よい青春バンドもの『ヨウィス・ベン』~再び地方語映画の可能性について~(轟英明)

2023年03月09日 03:29 by Matsui-Glocal
2023年03月09日 03:29 by Matsui-Glocal

横山裕一様

つい先日2023年の新春を迎え、続けて中国旧正月も来たと思ったら、もう2月です。日本で久しぶりに味わう真冬の寒さに震える毎日でしたが、最近は身体が慣れてきたのか、晴天の空の下で清浄な空気に触れながら散歩するのが楽しくなってきました。あと数ヵ月もしたら、今の寒さを懐かしむようになるのかもしれません。

今回取り上げる青春コメディ『ヨウィス・ベン』1作目ポスター。定番中の定番展開ながら元気の良い作品。filmindonesia.or.id より引用。

もっとも、私の場合、懐かしむということでは、やはりインドネシアの映画に勝るものはなく、それだけに前回第56信で横山さんが報告してくれたガリン・ヌグロホ監督の新作『殺すのは、愛の詩』(Puisi Cinta yang Membunuh)を心底観たいと強く思いました。巨匠が手掛ける初のサイコスリラーものというのも興味をそそりますが、何より1週間で上映打ち切りというのは如何にもガリン監督らしいエピソードではないかと思います。何となれば、ガリン監督の作品が国内では全く当たらないのはデビュー当時からのことで、にもかかわらずその後もずっと継続して作品をコンスタントに発表、今やインドネシアを代表する巨匠として国際的には認知されているからです。時に難渋難解と形容するほかない作品を幾度も江湖に問いながら、常に我が道を往くガリン監督にとって、最新作が1週間の上映打ち切りというのはむしろ海外セールスには有利に働くのではないか、そんな気すらします。

『殺すのは、愛の詩』ポスター。主演は歴史大作『人間の大地』(Bumi Manusia)でヒロインのアンネリースを演じたマワル・デ・ヨン。filmindonesia.or.id より引用。

ガリン監督作品の何本かは度々この連載でも言及してきました。第3信で『天使への手紙』(Surat untuk Bidadari)、第15信で『ある詩人』(Puisi Tak Terkuburkan)、第17信で『スギヤ』(Soegija)、第23信で『一度だけキスをしたい』(Aku Ingin Menciummu Sekali Saja)を私はそれぞれ論じました。

また、論じてはいないものの既に観たことのある作品としては、デビュー作の『一切れのパンの愛』(Cinta dalam Sepotong Roti)、東京国際映画祭に出品された『そして月も踊る』(Bulan Tertusuk Ilalang)、岩波ホールで上映されて好評を博した『枕の上の葉』(Daun di Atas Bantal)、イラン児童映画にインスピレーションを得たという『愛と卵について』(Rindu Kami Padamu)、インド洋巨大津波被災地のアチェで撮った『スランビ』(Serambi)、即興性の強い現代劇『アンダー・ザ・ツリー』(Di Bawah Pohon)、前述した『スギヤ』の主題を過去に遡って発展継承させた大作『民族の師 チョクロアミノト』(Guru Bangsa Tjokroaminoto)があります。

残念ながら、評者によっては歴代インドネシア映画のベストワンに挙げる、舞踊家やガムラン演奏家らとの華麗なるコラボレーション『オペラ・ジャワ』(Opera Jawa)、その発展形でもある白黒無声映画『サタン・ジャワ』(Setan Jawa)、また横山さんが既に鑑賞済みの『メモリーズ・オブ・マイ・ボディ』(Kucumbu Tubuh Indahku)など、彼のフィルモグラフィーで最重要と思われる作品群は未見のままです。

ただ、私がこれまで見てきた作品群や予告編など各種資料から判断するに、『殺すのは、愛の詩』は、どちらかと言えば彼の前衛的な作品群の系列に属するようで、高評価と低評価が混在しています。「芸術的に見せているようで実は安っぽいだけ」との評を見かけましたが、なるほど過去作にもそうしたものはありました。物語内の因果関係が必ずしも明確ではなく、ある場面と次の場面の繋がりが唐突だったり、象徴的表現や観客の感覚だけに訴える場面が多かったりすると、どうしても一般観客は置いてけぼりにされてしまいます。横山さんが「これまで観たインドネシアホラー作品の中では一番面白かった作品」と激賞されるのも理解できますが、一方で、上映が打ち切られたのは、ある意味必然だったのでしょう。

ある映画に対する自分自身の評価と、その映画の上映期間の長さにさほど因果関係がないことは、第13信で取り上げた『シティ』で私自身経験しています。インドネシア映画祭で最優秀作品賞受賞という前評判の高さに喜び勇んで映画館へ行ってみたものの、上映開始時間に10分ほど遅れただけなのに映画館スタッフは入場を許してくれません。一体どうして?!と食い下がるも、よくよく聞いてみると、上映開始時の観客がゼロだったので、その日は上映しないと決めたとのこと。心底がっかりしましたが、映画上映が営利事業であり商売である以上、極めて合理的な判断と納得して帰路につくほかありませんでした。果たして後日GoPlayで鑑賞した『シティ』は、観たいと思わせる人をゼロにする程度にはなかなか「過激」な反時代的作品で、個人的には大いに満足しましたが。

横山さんは『殺すのは、愛の詩』におけるレズビアンシーンが観客を遠ざけた、あるいは劇場側が過剰反応して打ち切りにしたかもしれない可能性に言及していますが、「上映打ち切り」の結果として、海外セールスや後日の動画配信に好影響が出るのであれば、ケガの功名かもしれませんね。

なお、「レズビアンシーン」と「レズシーン」という言葉を横山さんは特に区別せず混用していますが、当事者団体からはレズは侮蔑的な響きを伴うので使用を避けて欲しいとの報道ガイドラインが出ているので、理由がないのなら今後はやめたほうが無難かと思います。また、映画本編を見ていない私としては、該当場面が「レズビアンシーン」ではなく、女性版ホモソーシャル的行為の可能性も捨てきれないと思っています。同性愛(ホモセクシュアリティ)と同性同士の強固な絆(ホモソーシャリティ)は、隣接しているものの異なる概念には違いないので、最近流行りの「LGBTQもの」と十把一絡げに粗雑にまとめるのではなく、できるだけ丁寧に見ていきたいと自戒をこめて思います。

『自叙伝』ポスター。2022年の東京フィルメックスでグランプリほか各国の映画祭で受賞多数。主演の一人は『ゾクゾクするけどいい気分』のアルスウェンディ・ベニン・スワラ・ナスティオン。filmindonesia.or.id より引用。

ちなみに、東京フィルメックスをはじめ各国映画祭で激賞されたマクブル・ムバラク監督の長編デビュー作『自叙伝』(Autobiography)は、おそらく『殺すのは、愛の詩』以上に前評判が高く、インドネシアでは1月19日から公開されましたが、観客動員数は33,080人に留まっています。『殺すのは、愛の詩』の観客動員数52,086人を下回っているわけで、これが産業としてみたインドネシア映画興行の現状です。

批評家から高評価を受けた映画が劇場公開してみたら全然ウケないどころか大惨敗というのは古今東西よく聞く話ではありますが、インドネシアの場合、やや極端な形でこうして現れることがあります。インドネシア映画を縦横無尽に、地理感覚も時間軸も行ったり来たりしながら論じるために始めたのがこの連載ですので、興行だけ、内容だけ、のどちらか一方に偏ることなく、むしろ両方を見据える形で今後も論じていきたいところです。

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例によって前振りが長くなってしまいました。さて、ここからは前回からの流れで、近年スマッシュヒットしたコメディ『ヨウィス・ベン』(Yowis Ben)シリーズを論じてみたいと思います。

横山さんは、東ジャワのマランを主な舞台としたこのシリーズを既に鑑賞済みでしょうか。実のところ、私は作品名こそ以前から知ってはいたものの、ありきたりな青春コメディものと判断して、今回の原稿を書くまで見ようとは全然思っていませんでした。端的に言って、もっと論ずるべき重要な作品があるから別に見なくてもかまわないという思い込みです。ですから、今回動画配信サイトVidioにVPNを組み合わせて『ヨウィス・ベン』を、あまり神経を集中させることもなく何となく軽い気持ちで見始めたところ、かなり意表を突かれました。

登場人物たちの台詞が全く聞き取れない、何を言っているのかわからない!

そう、『ヨウィス・ベン』第1作は東ジャワ州第2の都市マラン(市の人口は約84万人)を舞台とするだけでなく、ほぼ全編の台詞も東部ジャワ語を使用していたのでした。マランを舞台としたローカルな話だから、多少はジャワ語も出てくるのだろうくらいに考えていたら、非ジャワ語話者には字幕なしでは何を言っているのか理解できないレベルで話がどんどん進行していきます。非ジャワ語話者には全く手加減なしのスピードと会話内容で、スタービジョンという大手制作会社のコメディものでこれをやるか!と正直驚きました。

これまでたびたび論じてきたように、1998年スハルト政権崩壊以降の民主化の波は映画界にも及び、映画内言語は品行方正な標準インドネシア語でなければならない、というそれまでの不文律が崩れ、多くの作品でスラングや俗語の入り混じった主に首都圏で話されるインドネシア語が当たり前に使用されるようになりました。さらに進んで、地方を舞台にした作品では、地方語を積極的に作品内に取り入れることも珍しくなくなりました。ドキュメンタリーは言うまでもないことでしょうし、また劇映画においても第21信で言及した『見舞い』、『シティ』、『ティモール島アタンブア39℃』などが典型的な作品でしょう。ただ、そうした地方語を一部取り入れた作品または全編地方語の作品は、非商業的公開であったり、海外での公開を前提とした芸術映画だったりして、大規模公開の娯楽作品というのはほとんどなかったのではないでしょうか。ちょっと私は思いつかないのですが、もし横山さんがご存じでしたらご教示ください。

『ヨウィス・ベン』第1作のあらすじというのは、実に他愛ないものです。母の作るペチェル(ジャワのピーナッツソース和えサラダ)を学校で売っていることから「ペチェル・ボーイ」と周囲から軽んじられてパッとさえない男子高校生バユが、誰もが憧れる学園のマドンナ、スーザンのハートを掴むために友人たちとバンドを結成して奮闘するも・・・という青春ものです。マランの街中のロータリーから回想形式で物語は始まり、バユの家の住所が全国的に有名になったKampung Warna Warni(カラフルな昔ながらの集落)に設定されていたり、バユとスーザンがデートする場所がマラン近郊の観光地バトゥにある交通博物館 (Museum Angkut Malang)であったりと、随所にマランらしさを挿入しているのが本作の特徴ですが、やはり何といっても、東部ジャワ語をふんだんに使った会話の妙が本作の肝であり、魅力であることは間違いありません。

Kampung Warn Warni の様子。集落内での写真撮影は基本無料で、まさにインスタ映えする観光地。(いずれも2019年6月、筆者撮影)

基本線はコメディなので、少なくとも第1作では重苦しさとは全く無縁で話は進みます。青春ものの定石どおり、バユの頓珍漢な失敗とバンド結成から成功までの道のりが歯切れよくテンポよく進行し、ちょっと調子に乗りすぎたバユを叔父と友人たちが引き戻して、スーザンとハッピーエンドを迎えます。全くの予定調和的な展開で、先鋭的な新奇さや凝りに凝った映画技法が使われているわけではありません。前回紹介したエルネスト・プラカサ監督作品ほどの、社会批評を伴ったキャラクターの細部の作り込みがされているわけでもありません。

にもかかわらず、『ヨウィス・ベン』が醸し出す面白さというのは実に侮りがたいものがあります。例えば、バンド名を決める場面です。初めての練習でバンド名を係に告げようとするも、銘々が勝手なことを言って紛糾、ついには「もう、いいや!」(Yo Wis)と言い合ってバンド名がYowis Ben(バンドのジャワ語読みがBenでd はなし)と決まってしまうユルさといい加減さに、インドネシア在住者なら「ああ、あるあるこういうの!」と感じるのではないでしょうか。

続けての練習場面ではバユが自作の「ペチェル・ボーイ」を熱唱します。

朝っぱらに起きたら腹が減ってる

腹減った、あー腹減った

あくびしてから外へ走って もう長く使ってない台所へ

腹減って唇尖らしても俺にはカネがない

ふたを開けてもあるのはテンペだけ

朝はペチェル

昼はペチェル

夜も食べるのはペチェル

アドゥー、母ちゃん他のものを頼むよー

要は自虐的なコミックソングなのですが、この場面をノリノリのリズム、東部ジャワ語とインドネシア語の両字幕で見せられると、なんとも頬が緩むのを抑えることができません。

YOWES BEN – PECEL https://youtu.be/jr8CqsQuoJE

この元気とテンポの良さ、良い意味での軽さを、主人公バユを演じるユーチューバー出身のバユ・スカックが主導しているのは確かでしょう。これまで『バジャイ・バジュリ』(Bajaj Bajuri The Movie)や『7/24』(7/24)などを演出してきたファジャル・ヌグロスとの共同監督をシリーズを通して務めています。

(⇒ そして、第1作の成功を受けて翌年公開された第2作は・・・)

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