横山裕一様
早いもので2022年も残り1ヵ月を切りました。私が住んでいるあたりではここ数日グッと気温が下がり、インドネシアではなかなか味わえない、肌が緊張するほどの冷たい空気を日々全身で感じています。空気も時間も規範も、何事もユルいインドネシアが懐かしいなあと思わないでもない毎日です。
『となりの店をチェックしろ』(Cek Toko Sebelah)インドネシア版ポスター。今回紹介するイチオシのコメディです。
ところで、去る11月22日に2022年度インドネシア映画祭の授賞式がおこなわれました。今年はコロナ禍によって上映や製作が延期されてきた作品が一気に堰を切るかのように公開されたからなのか、いずれも甲乙つけがたく、主要部門を独占する作品は多分ないだろうと私は予想していました。
最優秀作品候補作だけでも、日本でも劇場公開された『復讐は私にまかせて』(Seperti Dendam, Rindu Harus Dibayar Tuntas)、インドネシアでは珍しい泥棒もの『ラデン・サレーを盗め』(Mencuri Raden Saleh)、ベルリン国際映画祭受賞作『ナナ』(Before, Now & Then)、前回私が論じた『ゾクゾクするけどいい気分』(Ngeri-Ngeri Sedap)、今年の東京フィルメックスで最優秀作品賞を受賞した『自叙伝』(Autobiography)と、いずれ劣らぬ力作問題作ぞろい、しかもバラエティに富んでいます。この多様性こそが今のインドネシア映画界の活気を象徴しているのでしょう。
そして今回もというべきなのか、私の予想はまたもや外れ、『復讐は私にまかせて』が監督・主演男優・主演女優・脚色・衣装の5部門で、『ナナ』が作品・撮影・編集・音楽・美術の5部門で、それぞれ受賞したのでした。
Malam Anugerah Piala Citra Festival Film Indonesia. https://youtu.be/CC6CKTRBaW4
『復讐は私にまかせて』は日本帰国前にインドネシアのNetflixで観ましたが、いやはや、インドネシアでは稀なアダルト描写があるうえに、ジャンル映画の体裁をとった非常に政治的かつ神話的な内容でもあったので、鑑賞直後の感想は「なんじゃこりゃ!」でした。「これはどういう意図?」という困惑と、「こういう繋ぎ方と終わらせ方をするか?!」という驚きが入り混じった、端的に言って久しぶりに脳が刺激されるタイプの作品です。マジメだけどフザケている、なんとも人を食ったかのようなエドウィン監督の語り口に私は痺れてしまいました。彼の過去作をすでに観て評論も読んでいただけに、『復讐は私にまかせて』への期待は鑑賞前からもともと高かったのですが、こちらの予想を遥かに上回る出来栄えにはただただ賛辞あるのみです。来年は是非ともエドウィン監督論をこの連載の場を借りて書き上げたいと思います。この問題作を真っ当に評価したインドネシア映画界の未来は前途洋々に違いありません。
もう一方の『ナナ』ですが、こちらは今も未見です。日本では先日の東京フィルメックスで上映されたのですが、私は都合が合わず見逃してしまいました。すでに観られた方の感想は若干割れているようで、賞賛一色というわけでもないようですが、全編の台詞はほぼスンダ語のみ、かなり政治的含意がある内容とのこと。インドネシアではAmazon Prime Video で観られるそうなので、横山さんがすでに観られたのでしたら感想を後日教えていただければ幸いです。同じAmazon Prime Videoでも日本の方では観られない模様。ああ、残念!
なお、今年のインドネシア映画祭では前回私が論じた『ゾクゾクするけどいい気分』(以下『ゾクゾク』)も作品賞を含む5部門でノミネートされましたが、残念ながら無冠でした。ただ、こうした賞レースでは、コメディ作品はシリアスな作品と比較されると分が悪いものです。コメディゆえに軽んじられている、正当に評価されていない面もあるのでしょう。しかし、『ゾクゾク』の場合、作品の完成度が低い、あるいは作品そのものに大きな瑕疵があるとは言えません。むしろ、前回私がその魅力を語りつくしたように、一見して平々凡々なキャストと設定のようでありながら、驚くべき面白さと感動を観客に与えてくれる、シチュエーション・コメディの傑作と断言できます。
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今回取り上げる『となりの店をチェックしろ』(原題:Cek Toko Sebelah、以下『となり』)も、ポスターや予告編から受ける印象は、ジャカルタを舞台にしたありきたりな家族コメディものといったところでしょうが、『ゾクゾク』同様、実は緻密に練られたシチュエーション・コメディの傑作です。インドネシア華人を主人公とした作品群、いわゆる華人ものとしても突出した完成度でしょう。
こうした作品は論より証拠で実際に観てもらうのが一番手っ取り早いので、インドネシア在住読者の方にはVidio やDisney Plus Hotstar などの各種動画配信サービスで是非観てもらえればと思います。Netflixでは現在第2期テレビシリーズしか観られないようですが、これは私が日本在住であるためかもしれないので、横山さんが視聴可能であれば確認してもらえると助かります。
以下、導入部を手短に紹介してみます。
物語はジャカルタの下町で生活雑貨品の個人商店を営む華人コー・アフック(コーは中国語で年長の男性に対する敬称)の朝の様子を描くところから始まります。すでに初老のコー・アフックは妻を亡くしていますが、従業員数人を雇い、隣人ナンダル氏が経営している、となりの雑貨屋よりも大きな店をやりくりしています。
コー・アフックの次男エルウィンは、ジャカルタ都心の大企業で働くエリートビジネスマン。シンガポール駐在の東南アジア地域統括営業マネージャーに近々昇進する見込みを恋人ナタリーに打ち明けています。順風満帆そのものの人生です。
一方、長男ヨハンは寝起きに妻アユの自家製菓子ナスタルの緑茶味を味見させられますが、なんかヘンでしかめっ面。二人でバイクにて移動中もタクシーにぶつけられそうになり、ついていません。
エリートビジネスマンのエルウィンと対照的に、フリーランスの写真家として生計を立てているヨハンはお金の前借りを父にお願いします。承知するコー・アフックですが、アユに対する態度を含めて、どこかよそよそしい感じです。その直後、エルウィンから電話が入り笑顔を見せるのですが、シンガポールで昇進のための最終面接があるのでクリスマスディナーには行けないと告げるエルウィンの言葉にがっかりする父。横で聴いている、複雑な表情のヨハン。
自宅でのクリスマスディナーにてヨハン夫婦とぎこちない会話をしながら食事するコー・アフックですが、突然倒れて病院へ担ぎこまれます。ただの過労と分かったものの、年齢的に引退することを決め、長男ヨハンではなく、次男エルウィンに店を継いでほしいことを告げます。
ヨハンは失望を隠せず、エルウィンはせっかくのシンガポール栄転がふいになるので及び腰。とにかく1ヵ月だけでも試しに店を切り盛りしてほしいとの父の懇願を受け、会社を休職して店に立つことになるエルウィン。店を継ぐことはちゃんと断ってね、とプレッシャーをかける恋人ナタリー。
ヨハンは自分のことを認めてくれない父への不満を妻アユの前で爆発させています。亡くなった母さんの世話をしたのは豪州留学中だったエルウィンじゃなくて俺なのに!
一方で、不動産開発会社のロバート社長は地区再開発のために店と土地を売るようにコー・アフックにアプローチしていました。
コー・アフックの店を継ぐのは果たして誰か、それともロバート社長に思い出の店と土地は買われてしまうのか?
引退を決意したコー・アフックは次男エルウィンに店を継がせようとするが・・・。マレーシア出身のチュー・キンワー(周堅華)がインドネシア華人の喜怒哀楽を見事に好演。imdb.comより引用。
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ここまでが『となり』の導入部です。この後のストーリー展開は未見の方のために伏せますが、これだけでは本作がなぜ傑作なのかピンと来ないでしょうから、見どころを3つに絞って解説してみましょう。
見どころその1は、多種多彩で個性豊かな脇役たちが織りなすギャグの数々です。ひとつひとつのギャグは小ネタと言ってよいもので、大爆笑というよりは思わずニヤニヤしてしまうタイプの笑いなのですが、そうしたギャグが主人公中心ではなく脇役一人一人によって間断なく続くのが本作の特徴です。実のところ、主人公であるコー・アフック一家の家業継承問題に関わる描写よりも、バラエティに富んだ脇役たちが大真面目にボケをかましたり、頓珍漢な会話を繰り広げたりする描写のほうが面白いくらいです。
一癖どころか二癖も三癖もある店員たち、隣の店の天然ボケのムスリム女性店員とコー・アフックにライバル心を燃やすナンダル氏、自転車曳きのパン屋、おしゃべり好きなエルウィンの上司、深刻なことをさらっと話す医師、ヨハンのトランプ仲間たち、写真の出来不出来に一喜一憂する新郎新婦、商品販促の担当者たち、改名した店名の看板のことでエルウィンたちと揉める業者、ヨハンとエルウィンの兄弟喧嘩をなぜか隣で聞く役目を命じられる警備員、セルフィーに夢中な不動産開発企業の受付嬢などなど。彼らの台詞や喋り方、会話の掛け合い、些細なしぐさなど、ひとつひとつの要素が実に細かく計算され尽くして観客の笑いを誘います。一言でいえば、脇役全員のキャラが立っているのです。
これはジャカルタという巨大都市に生きるインドネシア人が種族・宗教・人種・階層において我々が想像する以上にバラバラである現実を反映した結果でもあると思いますが、こうした現実を敢えて意図的にぼかしたり明確には描いたりしない作品も少なくないなかで、『となり』ほど多彩な脇役の一挙一動に焦点を当てて笑わせる作品はかなり珍しいように思えます。
(⇒ 脚本・監督のエルネスト・プラカサは・・・)
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