よりどりインドネシア

2022年11月07日号 vol.129

往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第51信:バタック人一家のコメディドラマ 『ゾクゾクするけどいい気分』はなぜ傑作なのか?(轟英明)

2022年11月07日 23:22 by Matsui-Glocal
2022年11月07日 23:22 by Matsui-Glocal

横山裕一様 

日本に本帰国して早や2ヵ月。こちらはすっかり秋模様、日によっては冬模様とも言いたくなる天気が交互に繰り返している毎日です。目下充電中ながら、なかなか時間が取れず、インドネシア映画を最近あまり見ていないのですが、インドネシア語を忘れてしまうことがないように、毎日欠かさず日刊紙コンパスを読んでいます。インドネシアではもうマスクを外している人が多数派のようで、日本とは随分違いますね。

そうして読んでいた記事の中でとりわけ注目したのは、10月半ばの時点で通年のインドネシア国内の映画興行において、初めて自国映画のシェアが外国映画のそれを上回る見込みとのニュースでした。

Antusiasme Penonton Film Indonesia Melampaui Penonton Film Hollywood: https://www.kompas.id/baca/riset/2022/10/20/antusiasme-penonton-film-indonesia-melampaui-penonton-film-hollywood?utm_source=kompasid&utm_medium=link_shared&utm_content=copy_link&utm_campaign=sharinglink, (Kompas購読者向け有料記事)

今年映画館で公開されたインドネシア映画と外国映画(この場合はハリウッド映画とほぼ同義)のそれぞれの観客動員数ベスト5を比較してみると、インドネシア映画が合計2,710万人なのに対し、外国映画は2,210万人、インドネシア映画を見た観客数のほうがなんと500万人も上回っているではありませんか!

コロナ禍の渦中で書いた第21信の中で、私はインドネシア映画の未来についてかなり悲観的な見方を披露したのですが、結果は全くの大外れ、なんとも嬉しい大誤算と呼ぶほかありません。

そして前回第49信の最後で言及した『ゾクゾクするけどいい気分』(Ngeri-Ngeri Sedap)こそは、大方のインドネシア人の予想を裏切る大ヒットを記録した作品です。現時点でも年間観客動員第4位をキープしています。私が予告したものだから第50信で横山さんに先に論じられてしまいましたが、なんのなんの、たった1回では論じ尽くせないところに本作の魅力があるのです。

ストーリーは横山さんが前回すでに語りつくしてくれたので、私のほうは今回、映画の技法と細部の設定について指摘し、本年度インドネシア映画興行界のダークホースと言ってもいい本作がなぜこれほど大ヒットし、さらには来年の米国アカデミー賞インドネシア代表作品に選ばれるほどの傑作たりえたのかについて論じたいと思います。

なお、前回は日本語タイトルを『ドキドキするけどいい気持ち』と訳したのですが、Ngeri-Ngeri のニュアンスがより正確に伝わるように『ゾクゾクするけどいい気分』(以後『ゾクゾク』)と修正しました。正直なところ、ドンピシャの日本語タイトルがまだ思い浮かばないのですが、ひとまず本稿では『ゾクゾク』でタイトルを統一します。

もし、横山さんがもっと良いタイトルを思いついたら、アイデアをシェアしていただけると助かります。

『ゾクゾクするけどいい気分』(Ngeri-Ngeri Sedap)ポスター。imdb.comから引用。

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『ゾクゾク』という作品を一言で要約するなら、トバ・バタック族(単にバタック族と呼ぶこともあり)の一家族を舞台にした笑いと涙のコメディドラマ、となります。成人した子供たちが故郷を離れてバラバラになっているのが寂しい夫婦。彼らは一芝居打って子供たちを無理やり帰郷させたものの、事態は思わぬ方向へ進んで・・・というのがあらすじです。

詳しいストーリーは前回横山さんが語っているので省略しますが、正直なところ、『ゾクゾク』のプロットそのものに新味は全くありません。とくに映画好きな人でなくとも、どこかで聞いたような話、と感じるでしょうし、実際、予告編だけ見るなら、他のコメディ作品と比べてとくに傑出しているようには感じられないでしょう。

https://youtu.be/gU_PqIRsFLk『ドキドキするけどいい気分』予告編

テンポの良い導入部を経て、物語は誰もが予想するように動き始め、若干の紆余曲折はあるものの、誰もが予想できる展開、すなわち、夫婦二人の芝居がばれて本当に家族がバラバラになります。最終的には和解するものの、実のところ子供たちは夫婦、とくに夫の元々の願いをかなえるわけではありません。一体これほどベタベタのわかりやすい展開でいいのかと勝手に心配するほどのわかりやすさと予定調和が本作の特徴です。

また、この映画にスターは一人も出演していません。主演の父ドムを演じるアルスウェンディ・ベニンスワラ・ナスティオンも、母を演じるティカ・パンガベアンも、共にベテラン俳優として安定した演技を見せてくれます。子供たちを演じる若手4人はコメディアンながら、いずれもバタック族出身だけあって不自然な演技は皆無です。が、いかんせん、全員が全員、地味でやや華やかさに欠けることは否めません。彼らはどちらかと言えば平々凡々な面子と言ってよく、ポスターや予告編だけを見て未知の観客を惹きつけるほどの魅力があるかといえばかなり疑問です。

では、本作の撮影や美術はどうでしょうか?

北スマトラのトバ湖周辺の高原地帯や湖畔を舞台としている割には、風景描写はいたって普通です。何の作為もなく、ただそのまま撮っているだけ、という印象すら観客に抱かせます。監督が望みさえすれば、それこそ超ロングショットの連続で、ここぞとばかりに美しい風景や絶景をより強調することもできたはずなのですが、ドローンによる俯瞰ショットを別とすれば、ショットもモンタージュもそれほど技巧を凝らしているとは言えません。

トバ湖周辺は、同地出身のルフット・ビンサル・パンジャイタン海事・投資担当調整相が旗振り役となって、国際的な観光地として目下インフラ整備が進行中と聞きます。ですから、観光プロモーション的な映画として観光名所を舞台に撮影することも不可能ではなかったはずですが、ストーリーのほとんどは湖畔にあることを除けば何の変哲もないドム夫妻の自宅とその周辺で進みます。オールロケがほとんどで、キャスティング同様、ここでもやや華やかさに欠けている印象を受けます。

室内ショットにしても同様で、平凡なバストショットやミドルショットがほとんどです。会話こそスムーズに進行していくものの、食卓でのやりとりなどは定石をそのままなぞっているだけとも言えますし、室内の美術におカネをかけているようにも見えず、ただ現実にある家を全くアレンジせずそのまま撮っているだけのようです。全般的に素っ気ないといってもいいでしょう。

ここまで読んで、私が『ゾクゾク』を全然褒めてない、むしろけなしているように感じられるかもしれませんが、実は全くの逆です。『ゾクゾク』を成立させている上述の平々凡々な要素、あるいはマイナスと言ってもいいかもしれない要素がかけあわさることで、マイナスとマイナスをかけるとプラスに転じるかの如く、『ゾクゾク』は実に素晴らしい、感動させるコメディになっているのです。

作品を形成するひとつひとつの構成要素としては一見凡庸でありながら、なぜ総体としては観客を感動させるほどの作品になっているかと言えば、それは個々の登場人物一人一人を実に丁寧に細やかに描写し、それぞれの立場を観客に理解させるのみならず共感させることに成功しているからです。

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(⇒ 細かい描写の積み重ねは、後半の家族会議・・・)

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