よりどりインドネシア

2022年11月07日号 vol.129

いんどねしあ風土記(40):ジャカルタ下町風情と路地裏の人々 ~ジャカルタ首都特別州~(横山裕一)

2022年11月07日 23:22 by Matsui-Glocal
2022年11月07日 23:22 by Matsui-Glocal

高層ビルが立ち並ぶ首都ジャカルタ。しかし、ビル群の裏側には網の目状の狭い路地が張りめぐり、オレンジ色の屋根瓦の住宅街が広がる。多くは経済的には中間層以下の人々が住んでいる。外国人の多くは大通りを車で通り過ぎてしまうそこには、日本の都市部ではなくなりつつある近所付き合いなど住民同士の交流が続き、かつての東京でいえば下町の江戸っ子情緒、いわゆるジャカルタっ子の世界「カンプン」が存在する。

こうした世界を描き、インドネシアの最長寿番組になるほど国民に支持されているテレビドラマがある。撮影は実際の住宅街で日々続けられ、コメディではありながら民俗学的にみても等身大の日常生活、生活事情が生き生きと描かれている。撮影現場やドラマの内容を通して浮かび上がるジャカルタ庶民の下町生活風俗をかいまみる。

●首都ジャカルタの下町、「カンプン」

 

ジャカルタ中心部。高層ビル街の裏には「カンプン」が広がる。

ジャカルタの住宅区域を大別すると、富裕層の高級住宅区域、官庁や国軍、警察、大手企業などが従業員用に設けた比較的高級な住宅区域、中間層が住む居住区域などがあり、さらに河川沿いや海岸近く、線路沿いなど国や自治体、国鉄の土地に不法にバラックが建てられた貧困層のスラム街がある。しかし、これ以外にジャカルタの大部分を占めるのが、貧困層ではないものの中間層以下の低所得者層が居住する「カンプン」とインドネシア語で呼ばれる集落である。

「カンプン」(Kampung)とは日本語の辞書で引くと、「田舎」と第一義に意味が記されたものが多いが、政府発行の公式な『インドネシア語大辞典』(KBBI)によると、綴は同じながら「田舎」の「カンプン」とは別単語としてもう一つ「カンプン」の項目があり、意味は「1.都市の一部の集落(通常、居住者は低所得者)、2. 村、3. ある地域における最小の地区単位、4. 開発の遅れた」とある。つまり、ここでいう「カンプン」はまさに「都市にある低所得者層の集落」を指す。

ジャカルタの「カンプン」は元来のジャカルタ在住者で来訪者との混血を繰り返したブタウィ民族の居住集落であり、その後地方からの移住者による人口増加に伴い、集落にあった空き地を埋めるように小さな家屋が建て続けられ、現在のような密集地「カンプン」が形成された。よって、現在の「カンプン」はブタウィ民族と地方から来た民族が混在する地域でもある。通常「カンプン」は自動車が走るような幅広い通りから細い脇道へと入り、時にはオートバイのみ、徒歩のみ通り抜けられるような細い路地が網の目のように広がる地域である。狭い路地はひしめき合う家屋を縫うように曲がりくねり、行き止まりとなる箇所も多く、初めて訪れる者は迷路のような路地に迷うこともよくある。「カンプン」には一般的に車が通る道路沿いに比較的大きな家屋を有する中間層地区と、入り組んだ路地裏に密集する低所得者層地区とがある。

「カンプン」内の入り組んだ路地と住民(南ジャカルタ)

密集地だけに住民は皆顔なじみとなり、玄関の軒下でコーヒーを飲んでいれば誰が帰ってきたか、出かけたかもわかり、また家の中に居ながらにして周囲の生活音も聞こえる。近所付き合いも親密で主婦らの井戸端会議だけでなく、助け合いなどの交流もある。日本の都市部ではなくなりつつある近所付き合いの下町文化がジャカルタの「カンプン」には今も存在し続けている。開発が進む大都市とはいいながら、ジャカルタの生活圏は大多数を占める低所得者層らの「カンプン」から構成されているともいえそうだ。

こうした「カンプン」の下町文化を背景に制作・放送が続けられ、多くの支持を得ているのがテレビコメディドラマ『オジェック運転手はつらいよ』である。「カンプン」を知る者はリアルさに共感を覚え、外国人など知らない者はジャカルタの下町文化、庶民生活の実態を窺い知ることができるドラマだ。

●アジア最長寿テレビドラマ『オジェック運転手はつらいよ』

テレビドラマ『オジェック運転手はつらいよ』(Tukang Ojek Pengkolan)はMNCメディアグループの民放局RCTIで2015年4月に放送が開始され、サッカー中継など特別編成がない限り、土曜日曜も含めて毎日放送され続けている。一日に2話放送の場合もあり、このため放送回数は2022年11月現在で実に3,430エピソードを超え、インドネシアだけでなくアジアで最長寿テレビドラマとされている。

『オジェック運転手はつらいよ』のインドネシア最長寿ドラマ番組認定を記念した横断幕

放送開始以降、高視聴率を含めた話題性などが評価され、毎年のようにインドネシアテレビアワードで最優秀人気ドラマにノミネートや受賞を重ね、夕方帯から午後帯に放送枠が移行した2021年からは2年連続で最優秀人気ドラマに選ばれている。まさにインドネシア人のテレビ好きならば誰もが知る国民的テレビドラマとして定着している。

ドラマの舞台は、中間層以下の人々が住み、狭い路地に小さな家がひしめき合うように立ち並んだジャカルタのどこにでもあるような下町の住宅街。オジェックと呼ばれるオートバイタクシーの運転手を生業とする3人の主役を中心にそれぞれの家族、近所の人々らが巻き起こす日常生活での様々な出来事がユーモラスに描かれるタウンドラマである。日々の生活費をコツコツと働いて稼ぐ住民たちは一癖も二癖もあるが、実際に身の回りに存在しそうなキャラクターで親しみを覚える。家族喧嘩や家族間でのトラブル、恋愛話に金銭トラブルなど日常よくある出来事の繰り返しだが、この庶民性が視聴者の共感を呼び人気、高視聴率を支え続けている。ドラマというフィクションの世界ではありながら限りなく現実世界に近く、伝統的な下町の庶民風俗に加え、現代社会を反映した庶民生活の実態を記録したものともいえそうだ。

●下町の魅力ある人々、密度の濃い人間関係

東京が地方出身者の集まる都市であれば、首都ジャカルタも地方出身者、多民族が集まる街である。ドラマ『オジェック運転手はつらいよ』の登場人物もジャワ島を中心に多くの民族が登場し、それぞれの特徴が巧みに表現されている。さらに日常よくある口癖や仕草がそれぞれの登場人物に巧みに設定され、コミカルなキャラクターが作り上げられている。

主人公である3人のオジェック(バイクタクシー)運転手の設定も同様である。主役の一人、オジャッはジャカルタ出身でブタウィ民族。生粋のジャカルタっ子らしく一見乱暴な言葉遣いだが面倒見が良く地域の人々に頼られている。べらんめぇ調で話すが人情深い江戸っ子に通じるところがある。中ジャワ州スマラン出身でジャワ民族のプルノモは陽気で、冗談で人をからかうのが好きである。また惚れやすく、近所の下宿などに越してくる女性に次々と恋心を抱く。

オジェック待機所での主役3人。左からオジャッ、ティスナ、プルノモ。

懐かしいスーパーカブでオジェック(バイクタクシー)運転手をするオジャッ。

もう一人の主役、ティスナは西ジャワ州出身のスンダ民族。スンダ語訛りで話すが恐妻家で、いつも気の強い妻にまくし立てられる。控えめだとよくいわれるスンダ民族の性格を反映して気弱な性格で、妻に責められても「何でそんなこと思いつかなかったんだろう」と独り言を言うのが口癖である。妻は保険会社に勤めるが生活費はそれだけでは不十分なため、ティスナが不足分をオジェックで稼ぐ。彼の妻の実家は近所にあり、義母の家は大きく「カンプン」内でも中間層であることが窺える。この義母は上品でしっかり者。2階の空き部屋を下宿にしていて、下宿人や通いのお手伝いさんと暮らしている。ティスナ夫婦が共稼ぎのため日中は彼らの子供を預かっている。

家のテラスで孫の世話をするティスナの義母(左から二人目)とお手伝い(右端)。

「カンプン」の路上でのプルノモとティスナ。撮影中も一般のバイクが通り過ぎる。

オジャッの幼馴染の女性ウユイは娘と年老いた口うるさい父親と3人暮らし。自宅のガレージにアヒル肉料理の屋台を出して家計を支えている。実際の「カンプン」でもよく見かける屋台だ。老父の釣り友達である老人男性バベが頻繁に釣りを誘いにきては、その度に老父と口喧嘩をして一悶着起こす。

玄関の軒先に出しているウユイのアヒル肉料理屋台。

ウユイの老父(右)とバベ老。近所によくいそうな人々だ。

バベ老は小柄に似合わず声は甲高くいつも喧嘩腰の口調で、相手に呆れては首を左右に振るのが癖である。現在は孫と二人暮らしで、孫は大学卒業後も就職先が見つからず、学生時代からのアルバイトだったオンラインのバイクタクシー運転手をしている。孫の両親はかつては同居し、移動式屋台で粥売りをしていたが、現在は親戚の事情で長期帰郷中である。またバベ老は「カンプン」内に賃貸の家屋を持っている。この賃貸家屋に最近入居した若い女性ウィンディに主人公の一人、オジェック運転手のプルノモは入れ込んでいる。

こうした町内の路地をカキリマ(リヤカー状の移動屋台)で練り歩き、伝統料理クトプラック(米粉を蒸したものと野菜や豆腐などをピーナッツソースで和えた料理)を販売するのがジャワ出身のインドロで、ジャワ訛りの話し方に加えて、売り歩く際に「プラッ、トプラッ、クトプラック」と大声で張り上げる独特の売り言葉が馴染みであり滑稽でもある。商売仲間はゼリー状のチェンドルが入った飲み物を売り歩き、「甘くて冷たいチェンドォォォル」が売り文句。

カキリマ(移動式屋台)で働くインドロ(右)と妻で噂好きのユニ。

インドロ家の自宅。玄関入ってすぐの小さな応接間が家族団欒の場である。

インドロの妻ユニが典型的な元気で太ったジャワのおばさんで、バイタリティに溢れ噂話が大好きでおせっかい。移動屋台の野菜売りを主婦らが取り囲む中でも一人噂話を続ける。噂話に自分の見解を加えて皆にジャワ語訛りで「そうでしょう~」(Iya toooh?)と同意を求めるのが口癖。主婦や夫のインドロも呆れるが我関せず噂探しに奔走する。息子のバガスは当初小学生で、毎日の通学には主人公のバイクタクシー運転手オジャッが固定の客としていた。バガスは現在中学生になり、背も数十センチ伸びるほどの成長ぶりだ。

主人公の一人プルノモは息子と母親の3人暮らし。数多くの失恋の末、ようやく意中の女性と結婚し一子を儲けたが、不幸にも新型コロナウィルスの感染で妻を亡くしてしまった。幼い子供を残しては仕事にも出られないため、故郷のスマランから母親が子守に来てくれている。プルノモ家にはかつてレバラン(断食明け大祭)後にジャカルタで働きたいと郷里から上京してきた従兄弟が居候し、伝統菓子(クエ)を大きな容器に入れて担ぎ売り歩いていたこともある。

プルノモの隣家にはボウォ家族が住む。ボウォは失業者で妻エダに早く仕事を見つけるよう小言を言われる毎日。エダは子供が小遣いで5千ルピア(約50円)をせびるたびに頭を悩ませる。仕方なく妻エダは自宅の軒下で毎朝、ブタウィ名物料理のナシ・ウドゥック(ココナッツミルクで炊いたご飯におかずを添えた料理)を販売して家計を支えている。おかずの一部は隣家のプルノモの母親が手伝って自宅で調理している。

玄関前でナシ・ウドゥックを販売するエダ(右)と隣家のプルノモの母親。

エダが失業中の夫ボウォに小言を言う撮影シーン。

前述のように各民族が混在する地域でもあるため、全国的にも認知されたそれぞれの民族言語の一部や訛りが飛び交うのも特徴である。噂好きのジャワ人女性がジャワ語訛りで「そうでしょう~」(iya toooh)と頻繁に話すのをはじめ、スンダ民族出身のオンラインバイクタクシーの若い運転手は遠慮がちでいつも発言する時にスンダ語の「申し訳ないですが」(Punten punten)から話し始める。「カンプン」内で食料や日用雑貨を売る屋台の主人は西スマトラ州のミナンカバウ民族で、インドネシア語で所有格を表す「○○ニャ」(nya)を全てミナンカバウ語調で「○○ニョ」(nyo)と発音する。このほか主人公のオジャッら生粋のジャカルタっ子であるブタウィ民族は否定詞の「ティダッ」(Tidak)ではなく、ブタウィ語の「カガッ」(Kagak)を使っている。対照的にオートバイ洗車場の雇われ店長は日常使われる口語ではなく、教科書に出てくるようなフォーマルなインドネシア語をいつも満面の笑顔で話して笑いを誘っている。

「カンプン」内でよく見かける小さな売店で、ミナンカバウ語調で話す店主。

以上のように一部の登場人物を紹介するだけで、「カンプン」と呼ばれる下町の居住者は多民族が混在し、親戚や友人、仕事仲間だけでなく、近所同士の助け合いや家主と店子、買い物の場を通しての客同士、客と売り手、さらには路上でのバイクタクシー運転手と常連客など、狭い地域内で密度の濃い人間関係が形成されていることがわかる。ドラマはフィクションではあるが、「カンプン」での人間関係や生活の実態はここから大きくは離れていないともいえる。

実際の「カンプン」でよく見かける、屋台や自宅前に集まって井戸端会議をする主婦ら。

こうした密度の濃い人間関係は仲間意識が高く、交友力の高いインドネシア人の特徴からも来ているが、スハルト長期独裁政権時代に強化された政府批判防止のための国民の相互監視を目的とした隣組制度によるところも大きい。1998年のスハルト大統領退陣に伴って民主化の時代が訪れ、政府からの住民相互監視の役割は無くなったが、隣組制度で築かれた近所同士のオープンな付き合いは親族間に限らず維持され続けている。

しかし、民主化、さらには経済危機から立ち直った2010年代の経済成長の時期になると経済格差は増大し、「カンプン」は高層ビルなどの都市開発やモータリゼーションといったジャカルタの近代都市化、経済社会に取り残され始めているのも現状だ。

(以下に続く)

  • 下町の生活感と経済事情
  • 下町での撮影現場と下町の人々
  • 「カンプン」の路地裏にて
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