(編集者注)本稿は、2022年10月8日発行の『よりどりインドネシア』第127号に所収の「ロンボクだより(77)」の続きです。2018年に起きたロンボク地震の記憶をつづります。なお本稿は2022年12月発行の『よりどりインドネシア』第131号に続く予定です。
前回のロンボクだより(77)は義援金をなんとか引き出した話でした。今回は、この義援金をどのように使うかを相談し、実際に使った際の記録です。
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80万円ほども集まった義援金。しかし、支援物資を購入して被災地へ持っていくはずだった当初の予定が大幅に狂い、自分たちが被災者になりました。誰の何のために使うのかを再度考え直さないといけません。しかし、私も夫も相談したごく数人もどう使うのが最も効果的なのかがわかりませんでした。
「そうだ、Sさん(仮名)ってどこにいる?」
Sさんは最寄りのモスクのイマーム(金曜の合同礼拝の指導者)で、もともと私が義援金を集めたら一緒に活動しようと思って話をとおしておいた方です(ロンボクだより(44)参照)。本震がきて忘れちゃってたけど、Sさんは今どうしているんだろう?
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目ぼしいところを尋ね回った私たちは、Sさんが警察裏の大規模避難地のまとめ役になっていると聞きました。こりゃあ話が早いぞ!
あれよあれよという間に、礼拝用の白い服と帽子をかぶったSさんと再会。私たちはお互いの安否を確認しあい、いやいや被災者になっちゃったねぇなどとしばらく軽口を叩いたあと、本題に入りました。
以前伝えていたとおり義援金を集めたこと。状況が変化したのでどのように使うべきか迷っていること。
Sさんは、いくら集まったのかと訊きました。
「80万円ほどです」
「え、それだけ?」
それだけってどういうこと? 私は何も言いませんでしたが顔に出ていたのでしょう、Sさんがニコッと目を細めて続けました。
「僕の家も村の人たちの家も建て直せるのかと思ったのになぁ!」
ああ、そうだ、この人もまた被災者なんだったー。
日本から友人知人だけでなく見ず知らずの人々までもが寄付してくれたお金を「それだけ?」だなんて、悲しさを通りこえて腹が立ったけれど・・・。
たしかに崩壊してしまったみんなの家を再建できる金額ではありません。そうだよね、雨季が迫ってきているし、家をどうにかしたいよね。
Sさんはハハハと笑ったあと、「ほなまぁ、考えよか」とでも言うように身を乗り出し、論理的に話し始めました。
- Sさんや私達がお祈りをするモスクの利用世帯数は約800
- 等しく分けるなら1世帯1000円ほど
- いま皆にもれなく喜ばれるのは食べ物だろう
- 食べ物なら保存もできるお米と食用油が良さそう
どうだろうかと私達を見るSさんに、私はお米の生産地だけ確認しました。
Sさんは私の意図をすぐに汲み取ってくださいました。
「北ロンボク産のお米を買って、経済を回そう」
(⇒Sさんはすぐさま携帯で・・・)
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