インドネシア人は鶏肉大好き、というのはインドネシアに関わる大多数の人に共感してもらえる認識ではないかと思います。安価で大半の国民の宗教的なタブーにも触れず、また飼育も比較的手軽に始められます。鶏料理の代表格と言っても過言ではないアヤムゴレン(Ayam Goreng: 骨付き鶏肉を香辛料と調味料で煮込んでから揚げる料理)は、レストランで、道端の屋台で、そして家庭で、どこででも出会うことができる遭遇率の高いメニューです。
マクドナルドのような世界的なファーストフードでも、インドネシアではとにかくチキンを中心にしたメニュー展開をしています。みなハンバーガーよりもフライドチキンを食べにくるので、チキンを食べるための白米も必須メニュー。マクドナルドやケンタッキーフライドチキン(以下KFC)に白米がある!というのは、インドネシアに来る日本人旅行者にとって印象的な出来事として語られます。
上述したアヤムゴレンというのは、アヤム=鶏、ゴレン=揚げるという意味の名前で、つまりはフライドチキンなのですが、インドネシア料理としてのアヤムゴレンとファーストフードのフライドチキンは明確に区別されているように思います。全国的なものかはわかりませんが、このあたりでは小麦粉の衣がついたフライドチキンは『ケンタッキー』と呼び、企業の名前というよりは一つの調理法の名前として知られているほどです。
それほど国民の食生活に浸透し、人気のフライドチキン事業には、常に新規企業が参入しています。
実はウォノソボは未だマクドナルドもKFCもない「ファーストフード不毛の地」なのですが、そんな当地をこの2~3年で席巻しているローカル企業が出てきました。大手が進出しない不毛の地で、なぜこれほど急成長しているのか?
外資大手ファーストフードから始まったフライドチキン業界を、ローカルな視点から眺めてみます。
●KFCのパチもん?
ケンタッキーフライドチキン、略してKFC。創業者カーネルサンダースの顔が入ったロゴマークは世界中でお馴染みのものです。インドネシア料理があまり口に合わないという旅行者や滞在者は、あの顔にホッとしたこともあるのではないでしょうか。
そんなKFCのインドネシア進出は、1979年、ジャカルタのムラワイ通り(Jalan Melawai)が初だそうです。マクドナルドの初進出が1991年であることと比べると、随分と早い時期だったのだなとわかります。
その後も順調にインドネシア各地へ広がっていったKFCとともに、次々と外資系ファーストフード店も負けじと展開していきます。それらがインドネシアに「フライドチキン文化」とでもいうべきものを派生させていきました。
こんなものもあちこちで見られるように。
ウォノソボ・フライド・チキン、略してWFC。衣のついた「ケンタッキー」は移動屋台でも売られるようになっているのです。KFCを文字ったナントカFCは各地で各種あるようで、もはや大喜利のようでもあります。これらはもちろんKFCのネームバリューにあやかったものでしょうが、パクリ、パチもんというよりは、フライドチキンが一つの料理として定着していると見るべきではないでしょうか。
家庭で作ることはまだ珍しいものの、スーパーに行けば、から揚げ粉ならぬフライドチキン粉が売っています。お祝い事の仕出し料理などでは「いつものアヤムゴレンよりちょっとオシャレなおかず」として大量注文することも。比較的若い世代に好まれるものの、出されたらお年寄りでもペロリといけてしまう。まさに世代を問わない万人受けする味なのです。
●ファーストフード不毛の地で
と、ここまでフライドチキンこと「ケンタッキー」の人気ぶりをつづりましたが、ウォノソボには大手の外資系ファーストフード店は一切進出していません。KFCもマクドナルドもA&Wもピザハットもダンキンドーナツも、一つも無いのです。
1990年代に、一度マクドナルドが出来たことがある、という話を何人かから聞いたことがあります。ただ確認は取れていません。本当にマクドナルドだったのか、マクドナルドを真似た個人経営の店だったのか・・・。とにかく街中にあり、しかししばらくしたら潰れたとのことです。
その時代のことを考えれば、まぁそうなるだろうなという感想を抱かずにはいられません。そのマクドナルドで食事をしたことがあるという人は、ハンバーガーを食べたあと、パダン料理屋に改めて食事をしに行ったと話していました。「パンは軽食であり食事にはなり得ない、白米やキャッサバご飯などを食べて初めて食事と呼ぶのだ」という感覚は、現在でもみられるものです。洋食がほとんどなかった当時は、さらにそれが顕著だったのでしょう。
また当時の価格はわかりませんが、おそらく屋台や食堂での一般的な外食などより割高だったはずです。食事ではない軽食に、それだけのお金をかけられる、かけようと思える人がどれだけいたのか。それを考えれば、潰れたというのも頷けるものです。
そのマクドナルド撤退があったからなのかどうなのか、それ以後、外資ファーストフードはウォノソボには縁のないものとなりました。
2019年4月、KFCのフードトラックが店を出したことがあります。
郵便局の駐車場にトラックを置いてテントを張り、テイクアウト専用で販売していました。テイクアウトの形ですが、テントにある机で包みを開けて食べることも出来ます。「本物のKFCだ」と一時は沸き立ち、行列も出来ていたのですが、それもやがて客足が落ち着き、閑古鳥が鳴き始め、3ヵ月経った頃にはいつの間にかいなくなっていました。
最初から短期と決めて試験的に店を出していたのかもしれません。しかし今に至るまでちゃんとした店舗が出来る気配がないところをみるに、試した結果はあまり芳しいものではなかったのでしょう。
コロナ禍になり、様々な規制が出された当初は、ジョグジャカルタのピザハットがバイクにピザを載せて移動販売に来たこともありました。こんな遠くまで売りに来るのかと、その頑張りに感心もしたものですが、それも2度、3度で音沙汰がなくなりました。
屋台の「ケンタッキー」は定着しているのに、外資ファーストフードがイマイチ広がらないのはなぜなのか。
ネックとなっているのは、価格だと思います。
日本ではマクドナルドやKFCといえば、ワンコインで食べられる、セットメニューでも1,000円以内というようなお手頃さがウリです。学生のたまり場になりがちなのも、学生の小遣いでも充分楽しめるからです。
しかし、インドネシア、こと地方では少し異なります。
飲み物込みでも10,000ルピア前後で食べられるような食事が溢れているなかで、ファーストフードではその3倍、4倍、あるいは5倍はしてしまいます。単品のサイドメニューなら安いものもありますが、やはり、きちんとお腹が満たされる食事をするとなるとちょっと贅沢なものになってしまうのです。
そうしたことから、ウォノソボ民にとって外資系ファーストフードというのは都会の象徴となっていました。都会へお出掛けした際に、ちょっと贅沢をして店に入り、SNSに写真をアップする。そういう立ち位置のものです。
一定数の需要はある、けれど全体で見たらその割合がそれほど高いものではない。
そうした状況に風穴を開けたのが、インドネシア発のフライドチキン・フランチャイズ企業、ロケットチキン(Rocket Chicken)でした。
出典 : https://rocketchicken.co.id/
●とりこぼした需要を満たす
ロケットチキンは、ヌルル・アティック(Nurul Atik)が2010年2月に興したフライドチキン専門のファーストフード店です。はじめからフランチャイズとしてのビジネスを見込んでスタートし、短期間で業績を伸ばした企業として注目されています。今年ついに1,000を超える店舗と10,000人以上の従業員をインドネシア全国に抱えるようになったと報じられました。破竹の勢いとはまさにこのこと。
これほどの急成長を遂げたロケットチキン、そして創業者ヌルル・アティックとは何者なのでしょうか?
(⇒ヌルルは1966年、中部ジャワ州はジュパラ県に生まれ・・・)
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