よりどりインドネシア

2022年04月08日号 vol.115

往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第39信:映画評論家・佐藤忠男さん追悼 ~反日エクスプロイテーション愛国映画『欲望の奴隷』を中心に~(轟英明)

2022年04月08日 21:54 by Matsui-Glocal

横山裕一様

プーチンのロシアによるウクライナ侵攻が始まって早や1ヵ月が過ぎましたが、いまだ停戦の気配は見えず、日々暗い気持ちでニュースを見ています。一方で、コロナ禍はすでに過ぎ去ったかのようにインドネシアでは各種規制が急速に緩和されています。断食月(ラマダン)も始まり、今年のレバランこそは妻の実家であるアチェへ久しぶりに帰省できそうで、期待が高まるものの、さて本当にこれからも大丈夫なのか?という不安と心配がなくもありません。このままコロナウイルスが通常のインフルエンザと同様の存在へとフェイドアウトしてくれればよいのですが・・・。

本題に入る前に、横山さんの前回第38信への返信をはじめに書いておきます。

私が第37信で「当時彼のライバルで民主化の旗手とみられていた政治家たちは国民が期待したほどの成果を挙げられず、むしろ大いに失望させたことが結果としてハビビの株を上げた面があったはず」と書いたことを横山さんは「確実に誤認識」とバッサリ一刀両断されていますが、いやはや私の文章が拙かったようで何とも申し訳ないです。私が第37信で強調したかったのは、愛妻物語としての原作『ハビビとアイヌン』とその映画化が、ハビビのイメージを独裁者スハルト子飼いの政治家というネガティブなものから長年連れ添った妻を死ぬまで愛しぬいた「愛の伝道師」というポジティブなものに結果として(強調のため太字)変えることに成功したという確固たる事実です。政治的評価云々ではなく、あくまでハビビに対する国民のイメージが映画第一作とその後のシリーズ化を通して変わったということです。

誤解されたくないので念のため付言しておくと、私自身の政治家としてのハビビへの評価は昔も今も非常に低いです。理由は、1999年当時インドネシア占領下にあった東ティモールにおいて、絶対に東ティモールを手放したくなかった国軍警察に現地の治安を任せるという非常に無責任かつ拙速な形で住民投票を行い、その後の争乱と住民大量虐殺を全く止めることができなかった法的道義的責任が彼にはあるからです。

ハビビ自身が虐殺を指示したわけではなく、彼が住民投票を決断したからこそ東ティモールは念願の独立を勝ち取ることができた、という理由で彼を擁護する人がいることは充分承知しています。なにより、今なお東ティモールで人気のある政治指導者シャナナ・グスマンが自ら病床のハビビを見舞っており、首都ディリにはハビビの名前を冠した橋があるほどなので、少なくない東ティモール人がハビビに対して悪い感情を持っていないことも理解しているつもりです。

それでもなお、私にはどうしてもハビビのあの無責任さというものが赦せない、決して赦すべきではないという強い感情が心の中で渦巻いています。2003年に東ティモール西南部の町スアイにおいて、神父や住民が民兵によって多数殺害された教会での慰霊行事に犠牲者の家族たちと共に参加した時の悲痛な経験を忘れない限り、多分一生つきまとう感情ではないかと思います。

しかし、そのような個人的感情と映画への評価、そして映画が社会に与えた影響を考察することは別次元の事柄です。ただ、映画『ハビビとアイヌン』がこれからも多くのインドネシア人によって愛される作品であるのなら、ハビビが亡くなった直後に英字紙『ジャカルタポスト』の編集委員コルネリウス・プルバさんが書いた記事の以下の結語のとおりに今後の事態は推移していくのだろうと、今は漠然と予想しています。

Habibie will be remembered with love by future generations. They don’t care whether he was able to realize his vision or not. They find their dream in Habibie.(ハビビは将来の世代では愛と共にあった人物として記憶されるだろう。彼らはハビビが己のビジョンを実現できたかどうかは気にしない。彼ら自身の夢をハビビの中に見つけるのだ)

横山さんへの返信ではもうひとつあります。インドネシア映画の父と呼ばれたウスマル・イスマイル監督作品『血と祈り』(Darah dan Doa)は私も以前鑑賞したことがあり、別媒体に以下に挙げた記事を書いたこともありますが、作品単体としては必ずしも出来が良いとは言えないという微妙な評価です。

https://ahmadhito2017.blogspot.com/2017/12/blog-post_21.html インドネシア映画の過去・現在、そして可能性

『血と祈り』がインドネシア映画史において画期的な作品であることは言を俟ちませんが、率直に言って全盛期のウスマル・イスマイルの素晴らしい作品群と比較すると、水準としてはそれほど高くないと言わざるを得ません。『血と祈り』には後に開花するウスマルの音楽的センスの良さが感じられませんし、観客をうっとり陶酔させる要素も欠けています。メロドラマもアクションもスリルもいずれも中途半端と言わざるを得ないのです。

シリアスな独立革命戦争ものにそうした映画的面白さを求めるのは不謹慎と言われるかもしれませんが、後年に彼が監督した戦争ドラマ『外出禁止令のあとで』(Lewat Djam Malam)や『自由の戦士たち』(Pedjuang)と比較すると、どうにも『血と祈り』の分は悪いです。むしろ『血と祈り』はウスマルの習作と位置付けるのが妥当なように私には思えます。この点、横山さんはウスマルの諸作品をどう評価されているのか、いずれ教えていただければ幸いです。

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さて、今回も前回からの続きで、ガドガド・ホラーことインドネシア製怪奇映画の内容がスハルト政権後の改革期ではどのように変化したか、さらにそれらの作品から伺える宗教意識を明らかにするつもりでした。

しかし、尊敬する映画評論家である佐藤忠男さんの訃報を先日聞き、是非とも追悼文を書かなくてはと思いました。佐藤さんはすでに91歳とご高齢でしたので、いつお亡くなりになってもおかしくはないと数年前から覚悟はしていたものの、やはり実際にお亡くなりになったとの報を聞いた時は呆然としました。

私がインドネシアを含むアジア各国の映画を観るきっかけを与えてくれた著作を何冊も書かれていた佐藤さんの逝去は、ただ悲しいと表現するだけでは足りない、非常に大きな喪失感を私に与えています。オバケは待ってくれても、あるいは映画は待ってくれても、人生は待ってくれないことを今さらながらに感じています。

私が佐藤さんの評論の中で何を一番初めに読んだのか、実はよく覚えてないのですが、おそらくは新聞の映画評だったのではないかと思います。私がアジアに漠然と関心を持ち始めたのは高校生の時でしたが、時代はまさにバブル経済真っ盛りで、香港・台湾・中国の映画が次々と日本の映画館で劇場公開された時期と重なりました。多くの映画ファン同様、ブルース・リーからジャッキー・チェン、さらに香港ノワールへと次から次へと関心が広がり、大学に入った頃にはいっぱしのシネフィル気取りで、いわゆる香港の娯楽映画に留まらず、台湾ニューシネマや中国映画の第五世代や旧世代の作品にも手を伸ばしていました。

そうした時に常に接するのが、佐藤忠男さんの評論であったり、著作であったりしたわけです。かなり難解そうな芸術映画を論ずる時であっても、ほとんど難しい言葉を使うことなしに平明に分かりやすく映画を語り論ずること、それが佐藤さんの評論の特徴だったと思います。それはやたらと背伸びしがちだった当時10代から20代の私にはなにか物足りなく感じたこともあったのですが、しかし論旨が明快でスラスラと読めることはありがたく、新旧含めて著作をかなり乱読した記憶があります。

佐藤忠男さんの著作の一部。『大衆文化の原像』は1950年代後半から60年代初めの評論を集めた「ベリー・ベスト・オブ・佐藤忠男」初期編だが、2022年の今読んでも滅法面白いのが本当に凄い。(轟撮影)

多くの受賞歴のある佐藤さんの業績を今さら私がくどくど述べる必要もないのですが、しかし日本へアジア映画を幅広く紹介した先駆者であり、しかもそれをずっと継続された功績についてはいくら強調してもしきれないと思っています。Netflix などの動画配信サービスで世界同時配信が当たり前になった現在とは全く違い、その国の映画館に行かなければその国の映画が観られなかった時代にアジア各国を精力的に回り、これぞという作品を映画祭での上映やテレビ放送に結びつけました。とりわけ1991年に始まったアジアフォーカス・福岡国際映画祭でディレクターを長年務められ、またNHK教育テレビ(現Eテレ)にて1988年から2002年まで月1回放送の「アジア映画劇場」の解説を担当されていました。紛れもなく日本におけるアジア映画紹介及び評論の第一人者でした。

ところで、佐藤忠男さんは当時の日本人にはほとんど馴染みのなかったアジア映画の紹介になぜあれほど心血を注いだのでしょうか。随分昔に読んだ新聞記事には「任侠の精神ですよ」と受け答えしていたように記憶しています。これはご自身が世に出るきっかけとなった論文「任侠について」とひっかけていると同時に、昔も今も変わらない世界の映画市場におけるハリウッド映画の一人勝ち状況への異議申し立ても含んでいたようです。つまり、ハリウッドの商業大作だけが映画なのではない、日本人の多くが関心を持っていないような小国であっても優れた映画が製作されていることを広く世に知らしめたい、佐藤さんはそう考えていました。

以下、『映画で世界を愛せるか』98頁から99頁までの一部を引用します。

アジアの映画をなぜ見るか

アジアの現実を認識するために、多くのカメラマンやレポーターや研究者がアジアに出かけてゆく。彼らは、アジアの一般の商業映画が映し出して見せるアジアより、もっとその残酷な面を撮ることができるし、もっと冷徹にアジアに内在する矛盾をみせることができる。私はそれを知りたい。しかし私には、もっと知りたいことがある。

それは、アジアの人々が彼ら自身のどういうところを美しいと思い、どういうところを誇りと感じているかということである。現実を分るためだけならともかく、心のまじわりをするにはそれが感じられなければならない。人間には誰にも誇りがある。その誇りと美意識とは不即不離のものである。

(省略)私は南アジアの映画を日本に紹介するのに、南アジアの現実が分るための作品など選びはしなかった。ただ面白ければいいという作品も選ばなかった。選択の基準はただひとつ、彼らの美意識と自尊心のありかが分り、それに共感でき、敬意を抱けるようになるもの、それだけである。そのねらいに合致する映画ばかりを集めることができて私は本当に幸福だった。

上述の「南アジアの映画を日本に紹介」とは、1982年の「国際交流基金映画祭 南アジアの名作を求めて」、通称・南アジア映画祭の時の経験を指します。この時上映されたのがインド・スリランカ・タイ・フィリピン・インドネシアの作品11本でした。全上映作品リストを確認できなかったのですが、1978年の社会派ドラマ『さすらい』(Pengemis dan Tukang Becak) がインドネシア映画としておそらく初めて日本で字幕付きで上映されています。松岡環さんの『アジア・映画の都 香港~インド・ムービーロード』によれば、主演女優のクリスティン・ハキムとウィム・ウィンボ監督が来日、上映後の観客との対話ではラストシーンをめぐって白熱したやりとりが交わされたそうです。

『さすらい』ポスター。1979年のインドネシア映画祭では10部門で最優秀賞受賞。Filmindonesia.or.id より引用。

『さすらい』の日本上映がきっかけとなり、クリスティン・ハキムは小栗康平監督と知遇を経て、後年日本映画『眠る男』に出演し、また東京国際映画祭をはじめとする様々な日本国内の映画祭でインドネシア映画が少しずつ上映されるようになっていきます。ほとんど伝手もないような状況、ほぼゼロから人間関係を作り、現地の言葉が分からないながらも「映画」という共通言語を通して未知の映画群の中から珠玉の作品を見つけ出し、さらにそれらを日本で広く上映するにとどまらず、映画が製作された国の映画人や観客へもフィードバックした佐藤さんの功績は、「井戸を掘った人」と呼ぶのが相応しい、本当に素晴らしいものです。今私がこうしてインドネシア映画についてつらつら書き連ねることができるのも、佐藤さんのような先人たちのおかげに他なりません。

しかしながら、現在ではもはやインドネシアに在住していなくても新旧のインドネシア映画を論じることができるようになりました。技術の進歩とは本当に有難いもので、その恩恵を享受できるおかげでこうしてこの原稿も書けるわけですが、その反動というべきか、手軽に観ることができるぶん、一生ものの体験として映画をじっくり堪能し、それこそ全身全霊でただ観ることに集中するような機会は減りつつあります。佐藤さんがアジア映画を紹介した始めた1980年代初期とは根本的に映画をめぐる環境が異なるのが2022年の現在です。

しかし、未知の映画を観るために文字通り世界を飛び回り、老舗の映画雑誌『キネマ旬報』には約70年にわたって投稿し続け、常に第一線で現役だった佐藤さんの映画への情熱、これは容易に真似できるものではないにせよ、少しでも近づけたらというのが私の今の願いであり目標です。

ところで、前掲書『映画で世界を愛せるか』ではインドネシア映画について言及している箇所がいくつかあります。『セクシーな女中イネム』(Inem Pelayan Sexy)、『ロームシャ』(Romusha)、第37信で触れた『無神論者』(Atheis)、『ママド氏』(Si Mamad)などですが、とりわけストーリーを詳しく紹介しているのがシュマンジャヤ監督作品『欲望のいけにえ』(Budak Nafsu)です。この作品でシュマンジャヤは、自作の常連ヒロインであったイェニー・ラフマンに日本軍の慰安婦にさせられた女性を演じさせています(Budak の日本語訳としては「いけにえ」よりも「奴隷」とした方が適切なので、以下『欲望の奴隷』というタイトルに統一します)。

『欲望の奴隷』(Budak Nafsu) ポスター。Imdb.comより引用。

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『欲望の奴隷』はアジア各国で日本批判映画を普通の日本人よりはたくさん観てきた佐藤忠男さんをして「もっとも強烈だと思った作品のひとつ」と記されるほどの内容であり、この映画を紹介する段落のタイトルは「鬼畜日本を映画で見た」でした。芸術的な完成度はシュマンジャヤの他の作品ほど高くなく、描写も雑だったため、佐藤さんは『欲望の奴隷』を日本の映画祭で紹介することを見送っています。しかし、それでもショッキングな内容ゆえか、佐藤さんはストーリーを詳細に書いているほどなので、私は却って興味が増しました。何とかして『欲望の奴隷』を観る方法はないものか、読了後ずっと機会を待っていたのですが、幸運なことに、ちょうど10年前の2012年3月にジャカルタ芸術学院に併設している映画館で全編を観ることができました。果たして、佐藤さんが書いていた以上の日本兵の鬼畜ぶりには、ストーリーを知っていたはずの私もショックを受けましたが、同時にポルノ要素と愛国主義が一本の作品に共存していたことも鮮烈な印象として心に残りました。日本人を非常に困惑させるタイプの作品で、なかなか評価が一筋縄ではいきませんが、まずはあらすじを紹介してみましょう。

(⇒『欲望の奴隷』は日本軍による蘭印侵攻の場面から・・・)

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