よりどりインドネシア

2022年04月08日号 vol.115

ロンボクだより(65):役割を果たして(岡本みどり)

2022年04月08日 21:53 by Matsui-Glocal

(編集者注)本稿は、2022年2月8日発行の『よりどりインドネシア』第111号に所収の「ロンボクだより(62)」の続きです。2018年に起きたロンボク地震の記憶をつづります。なお本稿は2022年5月発行の『よりどりインドネシア』第117号に続く予定です。

ロンボク島地震被災4日目。

前回の記事と前後しますが、若者の結婚式をあげた前日、初めて食べ物が被災地へやってきました。私たちの村に嫁いできた方の家族や親戚が東ロンボクからたくさんの食材とナシブンクス(お弁当)をもって来てくれたのです。軽トラに何人もの人と食材をいっぱいに積んでやってきたのでビックリしました。

わーい、卵だ、バナナだ、空芯菜だ! ナスもある!

新鮮な食材に心躍りました。

子どもたちも嬉しくておどけながらご飯を食べました。こうやって支えてくださるんだなぁ。ありがたいなぁ。

そして同日、政府からの支援も入るようになりました。

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私たちの避難地は集落の裏手の丘で、乳幼児含めて全部で約150人の小さな避難地でした。が、近くには数千人規模の大きな避難地もありました。警察署の裏に広がる原っぱを開放しており、大通り沿い・広い駐車スペースがある・警察がいる・さらに向かいに村役場があると好立地でした。

なので、政府からの支援はその大型避難地に送られ、各村長によって村民の分を取り分けられ、各世帯へと配布されることになりました。

村長の携帯電話はひっきりなしに鳴っていました。夜、自家発電機で行う充電の時間では、なにはともあれ村長の携帯が最優先されました。電話回線はあまりよくありませんでしたが、地震翌々日あたりから使えるようになったと記憶しています。通信大手企業が被災エリアの通話とSMSを無料にしてくれ、大変助かりました。

時を同じくして、男性陣が山へ竹を切りに行き、橋を作ってくれました。この橋のおかげで避難地の丘から最寄りの民家のお手洗いや井戸へと行きやすくなりました。

少しずつ食べ物と住まいが整ってきて、私達の心にも余裕が出てきました。そうすると、とにかく必死なSOSモードから「よっしゃー、ここで生活するぞー」モードへ。

あらあら、叔父がパラボナアンテナを立て始めましたよ。

叔父はパラボナアンテナを立てるのを仕事にしており、家にある(本来は仕事用の)パラボナアンテナを持ってきて、避難地に設置。夜にみんなでサッカーを見るのだそう。

配線関係は、ふだん村の配線を一手に担っているRさんがやってくれます。Rさんは耳が聞こえず話すこともできませんが、村人とはジェスチャーで意思疎通をしています。

この日から夜にみんなでニュースを見るようになりました。ロンボクの地震がテレビに映っているのも見ました。それから被災7日目の夜にはサッカーのインドネシア=タイ戦で大盛りあがり。アジア大会もみんな一緒に見ましたよ。とても被災地とは思えない明るさ!

(⇒ それから、日頃、地域の保健活動・・・)

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