●日本で最後のハンセン病快復者詩人
天の職
おにぎりとのし烏賊と林檎を包んだ唐草模様の紺風呂敷を
しっかりと結んでくれた
親父は掌で涙を拭い低い声で話してくれた
らいは親が望んだ病でもなく
お前が頼んだ病いでもない
らいは天が与えたお前の職だ
長い長い天の職を俺は素直に勤めてきた
呪いながら厭いながらの長い職
今朝も雪の坂道を務めのために登り続ける
終わりの日の喜びのために
この詩は、2011年12月、群馬県草津町の国立ハンセン病療養所栗生楽泉園で87歳の生涯を閉じた桜井哲夫さんが創作した詩です。
桜井哲夫さんは1924年に青森のリンゴ農家に生まれました。13歳の時にハンセン病を発症し、17歳の時に青森からはるばる草津の山深い、療養所とは名ばかりの「強制隔離所」に送られました。
当時の日本では、ハンセン病ではなく、癩病(らいびょう)と呼ばれていました。その癩病患者を摘発し、強制収容させて県内から癩を無くそうという「無癩県運動」が始まり、1931年には「癩予防法」が制定され、患者の隔離収容が強化されました。
桜井さんもその一人で、母親から「すぐに帰れるよ」と言われて別れたものの、その後、親に会うこともなく70年を療養所内で過ごすことになります。
●ハンセン病とは
「ハンセン病」は、らい菌が皮膚や神経を侵す感染症です。1873年に菌を発見したノルウェーの医師・ハンセンにちなんで、ハンセン病という名前が付けられました。
2018年の世界保健機関(WHO)による統計では、世界におけるハンセン病の新規患者総数は年間約21万人となっています。日本では、新規患者は殆どゼロに近く、現在では極めて稀な疾病となっています。
らい菌の感染力は非常に低く、治療法も確立した現代では重篤な後遺症を残すことや感染源になることは無いものの、適切な治療を受けない/受けられない場合、末梢神経が侵されて知覚麻痺や運動障害が生じると快復が困難で、さまざまな後遺症が残ってしまう病気なのです。
したがって、早期発見・早期治療が重要な訳ですが、そこで問題になるのがハンセン病に伴う社会の「スティグマ」です。「スティグマ」(stigma)とは「負の烙印」、「汚名」と訳されますが、この場合、「差別や偏見」を意味します。しかし、単なる差別や偏見ではなく、ハンセン病の場合には『間違った知識や根拠のない認識による差別や偏見』を意味するのです。
●ハンセン病に伴う「スティグマ」
以前の日本では「癩(らい)」、「らい病」とも呼ばれていましたが、現代ではそれらは差別用語であり、歴史的な文脈以外での使用は避けられています。
女優・樹木希林の最後の出演作となった2015年公開の映画『あん』では、樹木希林演じる元ハンセン病患者が素性を隠しながら、どら焼き屋さんでアルバイトを始め、店長に美味しいあんの作り方を伝授するというストーリーですが、後遺症である曲がった指や、肌に残る斑点から元ハンセン病患者だという噂が広まり、客足が途絶えてしまう、という展開になります。その時に店のオーナーが発した言葉が「あの人、『らい』じゃないの?」というものでした。現代の日本でも、そんな差別があるとは大きな驚きです。
映画『あん』でハンセン病快復者を演じる樹木希林。(出所)https://eiga.com/movie/81499/
私の住むインドネシアは、ハンセン病の年間新規患者数が世界で3番目に多い国です。インドネシア政府によると、毎年新たに約17,000人の患者が確認されています。患者数が一番多い国はインド、そして次にブラジルです。国は変われど、ハンセン病患者に付きものなのが『スティグマ』なのです。
ハンセン病患者に対するスティグマには様々な要因がありますが、世界共通なのが「前世の罪業に対する神の罰だ」とか、「宗教的な呪いだ」、また潜伏期間が長いために「遺伝病だ」などという迷信がまことしやかに浸透し、そのためにハンセン病患者は、はるか昔から村八分にされたり、ハンセン病コロニーと呼ばれる療養所や快復者だけがひっそりと暮らす居住区に隔離されたりされてきた歴史があるのです。そして、スティグマは患者本人だけではなく、患者の家族や親戚に対してさえも偏見や差別をもたらします。
重い皮膚病を患った夫と看病する妻を描いた浮世絵。(出所) http://torikai.starfree.jp/research/hansen-bible.html
イエスが重い皮膚病患者を癒やす場面を描いた絵画。(出所) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%B3%E7%97%85
旧約聖書には従来、「らい病」と訳されてきた『ツァーラー』という言葉が出てきますが、現在ではこれがハンセン病とは確定できないということで、『重い皮膚病』に修正されています。日本でも奈良時代に成立した『日本書紀』、「令義解」には、それぞれ「白癩(びゃくらい・しらはたけ)」という言葉が出ており、ハンセン病のことではないかと考察されています。
●私とハンセン病の関わり
皆さんは、「ハンセン病」のことをどのくらいご存知でしょうか。
私は今回、ハンセン病のことを偉そうに書いていますが、2017年まではハンセン病について全く知識がありませんでした。2017年7月に日本財団の会長でいらっしゃる笹川陽平氏の通訳としてインドネシア東部を数回にわたって訪れるまでは・・・。
笹川陽平氏はWHOハンセン病制圧大使、日本政府ハンセン病人権啓発大使でいらっしゃり、約40年にわたって世界15ヵ国でハンセン病制圧の活動を続けていらっしゃいます。
幸運にも、通訳として同行させていただくなかで、私もハンセン病について学びました。
インドネシア語で「ハンセン病」のことを ”Kusta”(クスタ)と言い、快復者のことを ”Orang Yang Pernah Mengalami Kusta (OYPMK)” と総称します。
ハンセン病快復者の中には治療が遅れたために後遺症が残り、手指が曲がっていたり、片足が無かったり、鼻が潰れている人がいたりと、正直、最初はかなり戸惑いました。私の日常生活のなかで、身体が不自由な方と接する機会というのがほとんど無かったからです。
前述のコロニーや地域の保健所等を訪ね、治療中のハンセン病患者さんや快復者の方々のお話を身近に聞き、また笹川さんが快復者の潰瘍の残る足を素手でさすったり、洗ったりされている姿を見るうちに、私の『無知による恐怖感』は薄れていきました。
●インドネシアでの啓蒙活動
インドネシアは、2000年に国レベルでハンセン病の制圧目標(人口1万人当たりの患者数が1人未満)を達成し、現在は州レベルでの制圧を目指して対策を進めています。インドネシア全34州のうち、制圧未達成は8州あります。そのほとんどの州はインドネシア東部に位置しています。
日本財団のチームの方々と共に訪れた訪問先では、州知事や県知事、市長レベルの方々に、笹川さんがハンセン病について説明され、その地域におけるハンセン病の制圧に向けての協力を依頼しました。新規患者が多い地域のリーダーの方々も、ハンセン病について知識のある人はほとんどいないのが現状です。
現地のテレビ局やラジオ局に生出演し、「ハンセン病は簡単には伝染しない」、「神の罰でも呪いでもなければ、遺伝でもない」、「早期発見が大切だから、家族で身体検査しよう」、「白い斑点が出たら、先が尖ったものでつついてみて、何も感じなければ、直ぐに最寄りの保健所や病院に行くように」、「今は完治する病気であり、薬は無料で配布されている」という啓蒙活動を行いました。
現代社会においてもハンセン病患者に対する「スティグマ」が根強く残っているため、医療面だけではなく、社会面でのケアが重要になるからです。
マルク州アンボン市で国営テレビ番組に生出演。(出所) https://blog.canpan.info/sasakawa/archive/6606
ハンセン病快復者と歓談する笹川WHOハンセン病制圧大使。(出所) https://www.jakartashimbun.com/free/detail/32898.html
(以下に続く)
- インドネシアのハンセン病の快復者組織
- 日本人のボランティア活動
- 世界ハンセン病の日
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