よりどりインドネシア

2022年02月23日号 vol.112

往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第36信:「スッキリ」しないプロパガンダ映画(横山裕一)

2022年02月23日 11:37 by Matsui-Glocal
2022年02月23日 11:37 by Matsui-Glocal

轟(とどろき)英明 様

オミクロン株による新型コロナウィルスの流行再拡大はインドネシアでも同様で、インドネシア人の友人家族も感染してしまいました。感染防止にとても気をつけていた友人だけに、感染力の高さを改めて実感しました。生後半年の赤ちゃんまで39度台の発熱で心配しましたが、全員快方に向かっていてひと安心です。ここ数日の新規感染者数はジャカルタよりも西ジャワ州が上回っています。轟さんもお気をつけください。

最近の映画館内。表示のある座席と前2列が着席禁止

活動制限のレベルが上がっても、映画館は今のところ閉鎖されず、新作が次々と公開されているのはせめてもの救いです。そんななか、先日、ある意味、非常に興味深い作品を鑑賞しました。作品タイトルは『パプア警察官ティカム』(Tikam Polisi Noken)です。原題の「Noken」とはパプア伝統の樹皮で編んだポーチのことで、財布代わりや小物入れ、また大人の男性は嗜好品の一種シリやピナンなどを入れるのに使われ、パプア人のアイデンティティの一つでもあります。

この作品のどこが非常に興味深かったのか。劇場用ポスターの下部に国家警察とパプア州警察本部の紋章があるように、この作品のプロデューサーはパプア州警察本部長で、監督は同警察本部人事局長、出演者にも地元俳優とともに同警察本部の警察官が名を連ねるなど、まさにパプア州警察の手作り映画作品であることです。当然、同警察本部の活動をアピールするものですが、独立運動を含めたパプア州の治安問題だけでなく、若干皮肉的に言えば「警察が制作するとこういう作品になるんだ」と実感できるシーンも随所に見られるなど、様々な観点から考えさせられる作品なのです。

そこで今回は、近年、度々出現するプロパガンダ映画、たとえ物語自体は良くてもその背景や制作意図を考えるとスッキリしない作品をみていきたいと思います。

プロパガンダ映画とは、その名の通り宣伝のために制作される映画で、為政者、政権による存在や政策などの正当化、また政治家など個人の売名、選挙戦略のイメージ向上などを目的に制作されるものです。

インドネシアでは、とくに政治エリートたちにとってメディアの存在はプロパガンダの手段であり、依然として頻繁に利用されていることは残念なことです。2014年の総選挙、大統領選挙がピークでしたが、複数テレビ局のオーナーに政治家が名を連ね、各政党、選挙候補者の過剰な画面露出であからさまに支援するのが目立ちました。このためか、中立なテレビ局のなかには、あえて局のキャッチコピーを「独立公正なテレビ局」としてアピールするところまであります。書籍も話題の現職政治家や時の人の自伝本の出版が盛んで、またそれが売れているのもインドネシアの現状です。これらメディア利用のひとつが映画でもあります。

プロパガンダ映画として有名なものは、共産党系将校によるクーデター未遂事件といわれ、1965年に起きた9・30事件を扱った作品『謀叛殲滅 共産党9・30事件』(Penumpasan Pengkhianatan G30S / PKI)です。4時間30分にもわたる長編です。

映画『謀叛殲滅 共産党9・30事件』DVD(海賊版)ジャケット

1984年にスハルト政権が制作費を支出して制作・劇場公開された同作品では、9・30事件で共産党がいかに卑劣な行為で国家を脅かしたかを強調し、同事件に続く国軍による全国的な共産党狩り名目の国民大虐殺を正当化しています。さらに、9・30事件を鎮圧しこれを契機に権力を握った、後のスハルト大統領の正統性が裏付けられています。

劇場公開後も毎年、事件が発生した9月30日の晩に国営放送局TVRIでテレビ放送され、それはスハルト政権が崩壊する前年の1997年まで続けられました。民放が開局すると、同様にその放送が義務化されています。学校などでも同作品の視聴が推奨されました。雑誌『テンポ』(TEMPO)が2000年に実施した調査によると、1,100人余りの大学生のうち97%が視聴経験があり、87%が2回以上観たことがあるという結果が出ています。

同作品が制作されたのは9・30事件の約20年後。全国各地で起きた虐殺事件の時期を経験した国民がまだ多くいた時期で、映画を繰り返し放送することで国民たちのなかに恐怖の記憶の持続を可能にし、国軍の脅威を背景にした長期スハルト政権への継続的な従属効果が図られてきたといえます。スハルト政権崩壊直後の1998年9月、当時メディアを統制していた情報省のユヌス大臣が同映画の放送義務を解除しました。理由として、同大臣は、同作品が歴史の不正操作とスハルト礼賛が図られているためだとしています。

このように同作品は当時の政権そのものを正統化し、継続させるための典型的なプロパガンダ映画でしたが、スハルト政権崩壊後の民主化、改革の時代となってからも、プロパガンダとみられる作品が何作か制作されているので、以下紹介したいと思います。

●イメージ復権に成功したハビビ元大統領

2012年年末に映画『ハビビ&アイヌン』(Habibie & Ainun)が公開され、観客動員数460万人を超える大ヒットとなりました。現時点でも2007年以降の作品としては第5位の動員記録を維持しています。同作品は2010年に出版された同名のベストセラー小説が原作で、著者はハビビ元大統領本人です。

当時、私は久しぶりにインドネシアに住みだした頃で、約10年ぶりに劇場鑑賞したのが同作品でした。なぜこの作品を選んだかというと、大きな疑問があったからでした。ハビビ元大統領の在任時、取材していた身としてはハビビ本、ハビビ映画が国民の支持を得ていた事実が信じられなかったためです。

映画『ハビビ&アイヌン』DVDジャケット一部より

民主化要求や経済危機で社会混乱となった1998年5月、当時のスハルト大統領が辞任に追い込まれ、後継指名した第3代大統領がハビビ氏です。スハルト政権末期の副大統領であり、スハルト氏の後継だったことから、民主化を求める学生らはハビビ大統領を旧体制の流れを汲む指導者として批判し、1年以上にわたってほぼ毎日退陣要求デモを繰り広げました。

そして1999年10月、初の民主的な手続きによる総選挙を踏まえての大統領選挙(当時は国民協議会(MPR)議員の投票による選出)の前日に、ハビビ大統領の信任投票が国民協議会で行われました。結果は不信任で、同氏は翌日の大統領選挙への出馬を断念します。印象的だったのは信任投票で、一票ずつ読み上げられた開票時の様子です。「不信任」とアナウンスが読み上げると、学生ら数百人が集まった傍聴席から歓声が上がり、「信任」とアナウンスされるたびに「破滅だ!」と叫ばれました。この反応が象徴するようにハビビ大統領は在任期間中、極端に言えば旧体制側で民主化の敵としての評価だったといえます。

そのハビビ元大統領の本や映画がなぜ売れたのか。作品内容はハビビ元大統領とアイヌン夫人の出会いから結婚、死別までの一貫した夫婦愛を描いたもので、恋愛ものとしては楽しく鑑賞できます。映像も奥行きのあるリアルな美しいもので、10年ぶりにインドネシア映画を観た私としては映像技術の飛躍的な向上を感じました。しかし、かつての同元大統領の評判を記憶する者としては、鑑賞後「スッキリ」としなかったのも事実です。

どうやら、時代の流れ、社会の変化が大きな要因だったものと思われます。ハビビ元大統領の在任期は抑圧的なスハルト政権から民主化への過渡期で、政治、社会、経済ともに混迷を極めた時期でした。2000年過ぎから経済の回復とともに政治、社会も落ち着きを取り戻し、年を重ねるごとに住民が暴動の噂に怯える日々も遠い昔のこととなります。歴史区分も民主化前、民主化後と区分されることが多くなって過渡期のイメージが薄らぎ、さらにインターネットの普及で情報量が増大、多様化し、新しい情報が更新されていくなか、ハビビ元大統領の当時のイメージも多くの人々から忘れられていったのが事実のようです。

過去のイメージが薄らいだなか、元大統領としての名前は当然残っているため、「元大統領の夫婦愛の物語」として額面そのものだけが受け入れられる結果になったとみられます。同作品は第3弾まで制作・公開され、第一作には及ばないものの、それぞれ観客動員200万人以上を記録しています。とくに第3弾の公開はハビビ氏の死去3ヵ月後でもあったため、第2弾を超える観客動員でした。

故ハビビ元大統領埋葬に集まった市民(2018年9月ジャカルタ・カリバタ英雄墓地)

ハビビ氏死去後に公開された映画『ハビビ&アイヌン3』(劇場ポスター一部)

科学者として成功し、政敵が多いなかスハルト政権の副大統領に選ばれ、遂には大統領にまで上り詰めたものの、国民からは批判の標的だったハビビ元大統領としては、実権はすでにないものの、小説と映画により自らの手でイメージ復権を果たし溜飲を下げたといえます。あくまでも個人的な名誉回復のためのプロパガンダ映画としては功を奏した例といえますが、同時に大衆の記憶の曖昧さの怖さをも実感させます。これは日本においても時に見受けられる世界共通のものです。

(以下に続く)

  • ジョコウィとアホック
  • 警察が制作する映画とは
  • 追伸:轟さんの『悪魔の奴隷』再考での問いかけについて
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