よりどりインドネシア

2022年02月08日号 vol.111

北カリマンタン州の世界最大のグリーン工業団地 ~中国の一帯一路と大規模開発構想~(松井和久)

2022年02月08日 03:10 by Matsui-Glocal
2022年02月08日 03:10 by Matsui-Glocal

2021年12月21日、ジョコ・ウィドド(通称:ジョコウィ)大統領は北カリマンタン州を訪れ、環境に配慮したグリーンな工業団地の起工式を執り行いました。当初、10月に実施予定だったものが2ヵ月遅れての起工式でした。

この工業団地は、PT. Kalimantan Industrial Park Indonesia(KIPI)とPT. Kawasan Industri Kalimantan Indonesia(KIKI)の2つからなり、現時点での敷地面積は1万6412ヘクタールですが、完成時点までに3万ヘクタールを目指し、世界最大の面積を持つ工業団地としたい意向です。グリーンを標榜しているのは、化石燃料以外の水力、太陽光、天然ガスによるエネルギー供給とし、進出企業にも環境負荷の少ない投資を求めているためです。

起工式に出席したジョコウィ大統領。(出所)https://www.limapagi.id/detail/XqUeh/groundbreaking-jokowi-mulai-pembangunan-kawasan-industri-hijau-kaltara

工業団地建設の総投資額は1,320億ドル(1,848兆ルピア)で、2024年までに建設を完了し、2023年、2024年、2029年と段階的に8年かけて操業していく計画です。もちろん、交通インフラや発電所、港湾、空港、ホテルなどの設備も整備していくことになります。

工業団地が建設される北カリマンタン州ブルンガン県タナ・クニン=マンクパディ地区は、県都タンジュンセロールの南方、マカッサル海峡の海に面した地域です。工業団地建設計画は2015年頃からあったということですが、2018年までは明示的な進展は見られませんでした。2019年、ジョコウィ大統領がアメリカ、ヨーロッパ、アラブ首長国連邦、中国を訪問して宣伝した後、多くの投資家が関心を示したということです。ルフット・パンジャイタン海事投資調整大臣によると、すでに中国などから10社程度が投資を約束しているといます。

工業団地の用地の大半は、PT. Adaro Energy Tbkを所有するガリバルディ・トヒル氏が所有しています。通称でボーイ・トヒルとも呼ばれる彼は、エリック・トヒル国営企業大臣の実兄でもあります。当然、工業団地をめぐる政治エリートとの癒着の問題が取り沙汰されています。

もっとも、土地収用に全く問題がないわけではありません。ジョコウィ大統領の来訪を前にした2021年9月、ブルンガン県のシャルワニ県知事は、工業団地用地のなかに証明書のない土地が含まれており、県土地局に対して早急にマッピングを行うよう指示していました。

他方、2022年1月時点で、工業団地内で投資事業許可済みの企業10社のうち、実際に入居の意思を示しているのは3社しかなく、2022年に許可の切れる4社からは延長申請も何もなく、2021年1月で許可が切れたままになっている企業もあることが分かりました。ブルンガン県は投資事業許可の再評価チームを結成し、調査に取り掛かりました。

このように、大統領も出席してメディア受けする起工式を行なった工業団地ですが、実態はまだまだこれからという状況です。そして、この工業団地建設も、新首都移転を含む近年の傾向と同じく、国家予算を使わず、総投資額1,320億ドルを民間投資で賄うことを基本にしています。

なぜこの場所に、世界最大規模のグリーンな工業団地を建設するのでしょうか。しかも、国家予算を使わずに・・・。インドネシア自身にどのような戦略的意図があるのか、にわかには理解できません。ただ、2012年の北カリマンタン州の東カリマンタン州からの分立は、その遠因として考えられなくはありません。

むしろ、ブルンガン県のこの場所に工業団地を建設するのは、中国による水資源開発が先行していて、そのエネルギー供給先として工業団地が建設される、という流れのように見えます。その工業団地では、豊富な水と電力を大量に利用する工業が立地することになります。その工業はインドネシア企業ではなく、中国企業なのです。

それはどのようなことなのか。北カリマンタン州の工業団地建設は、実質は中国の主導による中国のためのものなのでしょうか。今回は、この点について、少し考えてみます。

工業団地の敷地内にて。(出所)https://rakyatkaltara.prokal.co/read/news/24066-progres-kipi-tanah-kuning-mangkupadi-sudah-dilaporkan-menunggu-keputusan-pusat.html

●北カリマンタン州の分立と開発促進への希求

前述のように、北カリマンタン州は2012年11月、正式に東カリマンタン州から分立しました。北カリマンタン州はタラカン市、ブルンガン県、ヌヌカン県、マリナウ県、タナティドゥン県の1市4県からなり、州都はブルンガン県のタンジュンセロールです。人口は73万8163人(2021年)、面積は7万5467平方キロメートル、人口密度は1平方キロメートル当たり9人となっています。

東カリマンタン州に帰属していた間、同州の北部と南部との開発格差が大きな問題となっていました。南部は油田やガス田が豊富で開発が進み、バリクパパン、サマリンダ、ボンタンなどの都市が大きく発展していきました。他方、北部ではインフラ、教育、その他すべての面で南部よりも大きく遅れており、格差是正の観点から、地方分権化での行政サービスをより受けやすくするために、東カリマンタン州を南北で分割する必要性が1990年代後半から議論され、2000年代に入って北カリマンタン州の東カリマンタン州からの分立の機運が高まってきました。

しかし、北カリマンタン州の分立はすぐには進みませんでした。理由の一つは、財政分権化による石油ガス資源からの歳入分与の問題です。県・市にとっては、資源の豊富な東カリマンタン州内に留まるほうが、資源の相対的に乏しい北カリマンタン州へ分立するよりも、その歳入分与の取り分の多いことが予想されるためです。

もう一つの理由は、歴史的な背景によるものです。北カリマンタン州の領域はもともとスルタンが治めていたブルンガン王国の領域です。ブルンガン王国は1731年に成立、イギリスとオランダが支配域境界を決めた後は、オランダと友好関係を保ちながら、インドネシアが独立を宣言した時点でも、王国のまま維持しました。インドネシアへの帰属は1949年8月7日のマリナウ会議で決定しますが、他地域とは異なり、独立戦争を戦うといった経験はありませんでした。

しかし、インドネシア帰属後、ブルンガン王国はブルンガン県として、東カリマンタン州の1県へ格下げとなりました。また王国が持っていた権益も中央政府へ取られ、地域経済にとって打撃となって、そうした現状への不満が高まりました。当時のスカルノ大統領はマレーシアとの対決政策を打ち出していましたが、マレーシア国境に近いブルンガン県周辺で中央政府への不満が高まり、マレーシアへの帰属を願うような不穏な反政府運動の動きがあると察知していました。そして、スカルノ大統領は軍隊を派遣し、争乱のなか、不穏分子と見なした者たちを殺害しました。ブルンガン県ではこの事件は誤解に基づくものであり、悲劇だとしていますが、実際には、ブルンガン県内で武器を調達して中央政府に対して反乱を起こす動きもあったと言われています。

中央政府に刃向かったとされた過去が、その後も北カリマンタン州の人々の中央に対して微妙な感情を抱かせ続けてきたのではないかと思います。

また、マレーシアとの国境に近いこの地域では、多くの住民がマレーシアから物資を購入していましたし、国境近くではルピアよりもマレーシア・リンギットのほうが流通していたといいます。こうした状況を憂えた国会議員らが、国境地域への行政サービスの向上を目的に、北カリマンタン州の設立を望んだという面もあったようです。

首都ジャカルタからみれば、北カリマンタン州はマレーシア国境という端に立地し、中央からのコントロールをもっと効かせなければならないと思うことでしょう。しかし、北カリマンタン州の人々からみると、地理的により近いのはマレーシアであり、物資もマレーシアからのほうが安くて手に入りやすいならば、当然、ルピアよりもリンギットを使うことでしょう。

北カリマンタン州として自立してみたものの、どうやって開発を進めていけばよいのか。期待と不安の彼らのもとへ入り込んできたのは、中国でした。

(次に続く)

  • 中国による大規模な水力電源開発計画
  • 一帯一路の観点からの中国の戦略
  • カリマンタンは一体どうなってしまうのか
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