(編集者注)本稿は、2022年1月8日発行の『よりどりインドネシア』第109号に所収の「ロンボクだより(60)」の続きです。2018年に起きたロンボク地震の記憶をつづります。なお本稿は2022年3月発行の『よりどりインドネシア』第113号に続く予定です。
本震のあと、今日一日、そしてまた一日・・・となんとか繋ぎながら、またたくまに数日が過ぎました。趣味で畑を耕していた祖母が、一振りまた一振りと鍬で畝を立てていたことが思い出される毎日でした。
被災4日目・水曜日の夕方にちょっとかっこいいテントが作られました。天井(屋根)が高くて腰をかがめなくても楽々テントの中に入れます。この日の夜から、ここがお祈りの場所となりました。そこには皆の荷物を置くことはなく、どうやらモスクがわりにするつもりのようです。
翌朝、いつものように朝から一人ずつがそれぞれの持ち場で活動していました。ふと気づくと、モスクがわりのテントの前にシートを広げています。「これ、何するの?」「今日のアチャラ(イベント)用だよ」「アチャラ?」「うん、J(仮名)の結婚式だろ」
しょえー、結婚式???
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そういえば・・・日曜日、そう地震のあった日の朝早く、私は大通りでマタラム市に向かうバスを待っていました。
そこをJの母親が通りかかり、軽い挨拶のあと「みどりもギリにいこうね」と声を掛けられたのです。
ギリとは離島のことで、私たちの村の北端にある港から公共のボートで25分ほどのところに連なる3つの島を指しています。Jがギリのうちの一つに嫁ぐから、そこで行われる結婚式に参加しよう、と誘われたのでした。
「うん、木曜日ね、インシャアッラー(神が望めば)」 と言ったなぁ、うん、たしかに言ったぞ。あの結婚式を今からこの丘で挙げるの!!?? えー、どうやって?
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にわかに信じられなかったのですが、しばらくすると、本当にギリから新郎側の親戚が連なって丘へやってきました。モスク代わりとなったテントに大人が集まるのを見て、別の場所で遊んでいた子どもたちや私も「行こう!」「行こう!」とテントへ。
男性たちはいつの間にかイスラム教の黒または白の帽子を頭にかぶり、手持ちの服に余裕のある人は、平時の冠婚葬祭のように、シャツとサロン(腰に巻く筒状の布)に着替えていました。もちろん有り合わせの服の人もたくさんいます。
あぐらをかいて円状に座りますが、避難地のみんなが参加しているのでもう円が何重にもなっていました。円の真ん中に新郎新婦が向かい合って座り、その横に村長と結婚式を行うために必要な宗教的な役割の人々が控えています。マイクもスピーカーもその他の装飾も一切ありませんでしたが、普段の結婚式と全く同じように進行しました。
「誓いますか?」「誓います!」― 結婚式のクライマックスシーンを見て、わぁっと歓声があがりました。小さな子どもたちでさえもギューンと興奮して、手を叩いています。
そうだ、そもそも結婚式なんて神の前で結婚を誓えばいいだけなんだ。何もない避難地の丘でも結婚式はできるんだー。
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