よりどりインドネシア

2022年02月08日号 vol.111

往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第35信:『悪魔の奴隷』再考(轟英明)

2022年02月08日 03:12 by Matsui-Glocal

横山裕一様

クリスマスイブに日本からインドネシアへ戻ったのがつい先日だったと思うのですが、すでに春節(中国の旧正月)も過ぎ、数日前には北京冬季五輪が始まりました。インドネシアからは選手団を派遣していないので、北京冬季五輪は巷ではほとんど話題に上っていませんが、中国との緊密な経済関係を見直すよりもさらに深化させようとする動きがインドネシアでは目立つ昨今です。2024年の総選挙が近づくにつれて、対中国関係をどうするかが重要な政治マターになることはおそらく確実で、経済や政治だけでなく文化面からも注意深く見守っていきたいと思います。

ところで、横山さんはギックリ腰になられたそうですが、すでに状態は改善しましたか。私も随分昔に腰を痛めたことがあり、短期間ですが物理療法のために通院したことがありました。幸いすぐに治ったものの、あれは確かに辛かったです。些細な動作をするにも腰痛に繋がるのではないかと一瞬躊躇してしまう、あのビクビク感は本当にイヤなものでした。無理をしないに越したことはないので、どうかお体をご自愛ください。

本題に入る前に、横山さんが第34信で紹介されたグナワン・マルヤント氏について少し言及しておきます。彼の主演作『虚構の科学』(The Science of Fictions / Hiruk-Pikuk Si Al-Kisah)は先日、インドネシアのNetflix で配信開始となったばかりで、私はまだ鑑賞途中ですが、既存の映画界で活躍している人気俳優とは全く違う演技と仕草に魅了されています。彼の経歴を調べてみると、横山さんご指摘のとおり、日本でワークショップをおこなっていたこともあり、またその時の講演録(福岡県立ももち文化センターにて2017年9月2日付)を読むと、インドネシアの現代演劇史を踏まえたうえで、自身の立ち位置に非常に自覚的だったことがよくわかります。

講演録からは彼の真摯な探求心が伺え、それが主演作『言葉にするのはやめておこう』(Istirahatlah Kata-Kata)や『虚構の科学』の物語と役柄に反映されていることは言を俟ちません。日本では、映画作品含めて彼の業績が広く知られているとは言い難く、さらに彼を日本へ紹介する際に媒介者となった日本人通訳のNさんも昨年末に闘病の末亡くなられたことと合わせ、本当に残念です。いまはただグナワン氏とNさんの冥福を祈りながら、『虚構の科学』をじっくり鑑賞したいと思います。

ロカルノ映画祭にてくつろぐグナワン・マルヤント氏。俳優ルクマン・サルディ氏のインスタグラムからの引用。

主に現代演劇で活躍していたグナワン・マルヤント氏に限らず、インドネシア映画界には隣接する分野から参入してきた才能ある芸術家が多数います。それらの分野は、舞踊、伝統演劇、現代美術、現代詩等々多種多様ですが、日本と比較すると、異分野から映画界への参入が比較的容易であるように見え、同時に彼らの作品からは新しい表現を探求する熱意が感じられます。

その先端を走っているのは、前衛的な作品『オペラ・ジャワ』や無声の拡張映画『サタン・ジャワ』を発表している巨匠ガリン・ヌグロホ監督ですが、私にとっては勉強不足で、それらの作品を正面から論じることがまだできません。今年こそはじっくりとこれらの宿題にも取り掛かれればと思っています。

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さて、本題です。今回は前々回第31信の続きということで、1980年代インドネシア映画黄金時代の怪奇映画あるいは「ガドガド・ホラー1.0」が、『悪魔の奴隷』2017年新版に代表される現在の「ガドガト・ホラー2.0」にどのようにバージョンアップされたのか、考えてみます。まずは、横山さんが第32信でおこなった『悪魔の奴隷』新版に対する解釈に対して、再反論を以下試みますので、注意深く読んでいただければと思います。

はじめにお詫びをしておきますと、第31信での私の新版への解釈には、明らかに筆が滑っているところがありました。具体的には、新版ではラストにおいてのみ登場する謎の女性ダルミナとそのパートナーを「執拗に赤狩りを続けるスハルト政権の治安諜報機関の喩え」と明言してしまった箇所です。

ここは横山さんがおっしゃるとおり我田引水とでもいうべき強引な解釈だったと認めざるをえません。それは、論理的には辻褄が合わない、つまり邪教集団≒インドネシア共産党(PKI)を裏から操っているのがスハルト政権であったという解釈はあまりに不自然すぎるためです。この点、横山さんの違和感は私もある程度共有するものです。ただし、そこから先の解釈は異なります。

横山さんはダルミナを「邪教集団を操る悪魔」と確定していますが、実は本人は勿論のこと、物語の中で誰一人彼女を悪魔と認定しておらず、リニたち家族を助ける祖母の友人「何でも知っている」ブディマンですら、彼女の存在に言及しません。なるほど、新版の元になった旧版では、ダルミナは高らかに自分の正体を宣言しながら、世俗的で宗教に帰依しない主人公一家を恐怖に陥れます。旧版において彼女は悪魔の化身に他なりません。

しかし、第31信で明言したとおり、旧版のダルミナはイスラームという正義の教えを際立たせるための敵役以上のものではなく、この点、旧版とは逆にイスラームの敗北を明瞭に描いた新版でも彼女を悪魔と言い切っていいのか、疑問なしとはしません。

ここで重要なことは、確かな事実は何一つ明かされない、この点にあるのではないでしょうか。一体彼女は何者なのか、謎は全く明かされず、全てが宙ぶらりんのまま。思わせぶりと言ってしまえばそれまでなのですが、実のところ、この根本的な謎が明かされない状態で物語が終わってしまうところにこそ、新版の恐怖が凝縮されているのではないでしょうか。

ラストシーンにおいて、謎めいた二人がダンスする場面がなぜあれほど観客を不安にさせ、或いはゾッとさせるのか。横山さんは二人の会話内の「収穫」とは、7歳になった末子イアンを奪ったことを意味し、リニたち家族の虐殺を指していないと結論付けていますが、では、なぜラストシーンがあれほど「怖い」のか、十分に説明しきれてないと思われます。

いや、話のそもそもとして、我々観客、そしてリニたちは祖母の友人だったブディマンの説明に疑問も抱かず、ただ乗っかっているだけですが、ブディマンの持っている情報あるいは物語というのは一体どこまでが真実なのでしょうか。どうして彼は、邪教集団のことにそれほど詳しく、しかも理路整然と説明するにもかかわらず、ダルミナのことにはまるで触れなかったのでしょうか。

こうした疑問に対する一つの回答は、ブディマンがギリシャ悲劇における「機械仕掛けの神」(デウス・エクス・マキナ)に相当するというものです。要はご都合主義を成立させるための登場人物であった、という解釈です。

実際、話の途中まで彼をそのように見なすことは不可能ではなく、彼の助力がなければリニたちが家から脱出できなかった顛末を見てもある程度妥当性はあります。しかし、結局のところ、ラストにおいてこの解釈は破綻せざるを得ません。彼自身のあずかり知らぬところで、さらなる恐怖がリニたち一家を襲うことが示唆されて幕を閉じるのですから。

ここで視点を変えてブディマンの立場を再考してみましょう。ブディマンが邪教集団にある程度詳しいのは、彼自身がかつて邪教集団の一員だったが、今は脱退しているからではないでしょうか。彼が危険を顧みずリニたちと家族を助けるのは、単なる親切心ではなく、かつて同じ集団に属したことがあるという一種の同志愛からなのではないのでしょうか。

恐怖から1年後、リニは親切な隣人ダルミナから食事のおすそ分けをもらうが・・・imdb.com より引用。

一方で、「何でも知っている」ブディマンに対して、「何かを知っているはず」のリニの父は、結局、物語内で何も明かさず何も話しません。リニに問い詰められても言を左右にするだけで、家族を悩ます亡霊となった妻マワルニに対してもなぜか許しを請うだけです。ブディマンと不審死を遂げた祖母の説明が正しいなら、邪教集団との契約はリニの父が妻マワルニに強要したかどうかは不明で、なぜ彼は亡くなった妻に泣いて許しを請わなくてはいけないのでしょうか。

この謎は、次男トニーがもらした疑問と無関係ではないかもしれません。すなわち「僕たち兄弟はみんな似ていない、まるで父親がそれぞれ違うみたいだ」との台詞です。この謎は深く追求されることなく、物語は互いが家族愛を確認し合うことで終わってしまいますが、宙ぶらりんのままには違いありません。

これらの曖昧さ、宙ぶらりんの状態は勿論、ジョコ・アンワル監督が意図的に残した謎に他ならず、結局のところ、邪教集団がPKIの暗喩であるとの私の解釈を100%証明することは困難であると同時に、横山さんの否定論も100%証明することを同様に困難にしています。敢えて言えば、我々はダブルミーニングの罠に引っかかっているのかもしれません。

その上で、第31信では言及しなかった点を二つほど追記しておきます。

(⇒ 第一に、祖母が井戸に落ちて死ぬ一方で・・・)

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