よりどりインドネシア

2022年01月22日号 vol.110

往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第34信:ジョグジャのある名優を偲んで(横山裕一)

2022年01月22日 18:24 by Matsui-Glocal
2022年01月22日 18:24 by Matsui-Glocal

轟(とどろき)英明 様

2022年となり早くも半月余りが過ぎました。インドネシアではジョコ・ウィドド大統領の第2期政権も折り返しを迎えることになります。新年早々、石炭の禁輸措置や撤回騒動、また大統領の息子の汚職疑惑告発なども起きていますが、パンデミックのなか、同大統領が残り任期で社会安定、経済回復を進められるか、あるいは前大統領のようにレイムダックを起こすか、次期大統領選挙へ向けた動き、「政治の季節」とあわせて注視したいところです。

一方、私事では、情けないことに数日前久々にぎっくり腰となってしまいました。ぎっくり腰とは20代前半からの付き合いで2~3年に一度なっていたのが、ここ5年余りなく油断していたためかもしれません。地震や火山噴火など自然災害同様、常に備えを怠ってはならないと新年早々改めて実感した次第です。

ぎっくり腰とは実に厄介なもので、体の中心に激痛が走るため当初は何もできなくなります。ズボンを履くことさえ体を屈められないため大作業となります。必要に駆られ、仕方なく痛みに耐えながら歩くにしても体の重心をスムーズに移せないため、ゆっくり、ふわふわとしたような歩みしかできなくなります。

我ながら情けないと思いながら歩を進めていた時、ふとあるインドネシア映画作品と主演俳優を思い出しました。

ある作品とは2020年のインドネシア映画祭で10部門ノミネートされた『サイエンス・オブ・フィクション ある男の騒動記』(The Science of Fictions Hiruk-Pikuk Si Al-Kisah)で、主演男優は芸術の街・ジョグジャカルタで活躍する演劇界の中心人物の一人だったグナワン・マルヤント(Gunawan Maryanto)氏です。

同作品の詳細は後述しますが、主人公を演じたグナワン氏は劇中、終始宇宙飛行士のようにゆっくりとした動作を続けます。このため、ぎっくり腰のため同じような動作をした私が思い出した次第ですが、非常に残念なことにグナワン・マルヤント氏は2021年10月上旬、45歳という若さで急逝しています。おそらく日本ではほとんど存在さえ知られていかと思われますが、彼が遺した主演映画2作品とともに彼の演技は特筆すべきものがあるため、今回は演劇人・名優であったグナワン・マルヤント氏について話したいと思います。

故グナワン・マルヤント氏(享年45歳)(引用:http://teatergarasi.org/?lang=en

グナワン・マルヤント氏は芸術の街としても知られる古都・ジョグジャカルタで活動する劇団『ガレージシアター』(Teater Garasi)での演劇監督、役者をはじめ、詩人、作家としても高評価を受けている、インドネシアで一般に「スニマン」(Seniman)と呼ばれる芸術家です。

彼が映画界で名を馳せたのが、初の主演作品である2017年公開の『言葉にするのはやめておこう』(Istirahatlah Kata-Kata)です。この作品は1998年に起きた人権侵害事件「民主活動家13人行方不明事件」の被害者の一人で、民主活動家の詩人、ウィジ・トゥクル(Wiji Thukul)を描いたものです。グナワン氏はウィジ・トゥクルを演じています。

民主活動を弾圧するスハルト独裁政権下で、国軍諜報員から追われ逃亡生活を余儀なくされるウィジ・トゥクル。言葉にしたい~政府批判の詩を詠みたい~ものの、追手に見つかってしまうため言葉にできないジレンマ、執拗なまでの追手に対する恐怖、一方で募る家族への想い。こうしたさまざまな感情をグナワン氏は巧みに演じ、国内外で高い評価を受けました。

映画『言葉にするのはやめておこう』でウィジ・トゥクルを演じるグナワン氏。(引用:https://www.tabloidbintang.com/film-tv-musik/ulasan/read/59095/resensi-film-istirahatlah-katakata-biarlah-gambargambar-yang-berbicara

インドネシアで最も信頼される総合雑誌『テンポ』(TEMPO:2017年1月2~8日号)によりますと、グナワン氏は演技にあたって、ウィジ・トゥクルに関する資料や関係者からの聞き取りでウィジ・トゥクルの考え方や仕草などを研究したということです。さらに偶然人相が似ていることに加えて、入れ歯を使用して出歯まで似せたことから、ウィジ・トゥクルの一部発音が舌足らずだったところまで酷似したとのことです。

しかし、グナワン氏の演技が高評価を得た背景には、こうした「本人に似せた」ことだけでなく、グナワン氏とウィジ・トゥクルのバックボーンがほぼ同じだったことが挙げられるものと考えられます。ウィジ・トゥクルは中ジャワ州ソロ出身ですが、グナワン氏と同じようにジョグジャカルタの劇団で活動し、その舞台などで政府批判を含めた民衆困窮を訴える詩を披露していました。同じ舞台人で詩人であるグナワン氏にとって、詩を詠めない苦しみ、再び口にできる喜びを理解し、表現するには最も相応しい演技者だったといえそうです。

動画サイトでのインタビュー番組でグナワン氏は「演じること」について次のように語っています。

「演者にとって役柄は恋人みたいなものです。ピッタリとはまる役に出会えるのは稀だが、完全に演じきろうと試みる中で最適な役柄になれる時がある。ウィジ・トゥクルの役がそれだったと感じます」

(動画番組『mojokdotco』:https://www.youtube.com/watch?v=bqw4NkFCX7E

まさに初主演の同作品にして、グナワン氏は恋人ともいえるハマリ役に巡り合ったといえます。同作品の制作当時、グナワン氏は40歳、映画の主演俳優としては遅咲きですが、彼は花開くべき生い立ちと長きにわたる演劇人としての経歴、実績を持っています。

(⇒ 大衆演劇役者の祖父、父親を持つグナワン氏は、)

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