(編集者注)本稿は、2021年12月7日発行の『よりどりインドネシア』第107号に所収の「ロンボクだより(58)」の続きです。2018年に起きたロンボク地震の記憶をつづります。なお本稿は2022年2月発行の『よりどりインドネシア』第111号に続く予定です。
8月7日。地震のあった夜から二回目の夜が明け、新たな一日がやってきました。
前日電話で連絡のあった『じゃかるた新聞』の女性記者から再度アポがありました。避難地の状況が少し落ち着いてきたことと、村長の許可も得たことから、私は取材を受けることにしました。
ただ、一つだけ「ロンボク島は観光が主産業の一つだから悲惨さや深刻さを前面に出す記事ではなく、どうかみんなが助け合って前向きに生きていることを伝えてほしい。そうでなければ取材は受けません」と約束していただきました。
このあと数社から取材を受けましたが、事前アポありの取材に関してはすべて同じ約束をしてから取材を受けました。
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私と記者はバンサル港で待ち合わせをすることにしました。バンサル港は避難地から1キロ以上あり少し遠かったのですが、この混乱のなかでバンサル港が一番確実に会える場所と思えたからです。
村人のバイクの後ろに乗せてもらい、バンサル港へと出発。私は地震以来はじめて、ゆっくりと村の景色を見ました。地震の翌朝にバスから降りて自宅に向かったときは足元に注意を払っていたので、あまりじっくりと村全体の様子を見渡していませんでした。
と、バンサル港に一番近いモスクの前に人だかりがありました。
「あ、モスクが壊れてる!!」
一階部分の柱が崩れ大きく傾いているモスクが見えました。まわりにはその現場を見ようと、近隣の住民や報道陣が集まっています。私も・・・と、反射的にモスクを写真に収めようとしましたが、どうしてもそれができませんでした。
モスクが崩れるだなんて・・・。心の拠り所であるモスクの崩壊はどれだけ村人たちにショックを与えるかが容易に想像できました。
私がこの写真を撮って何になるんだろう。「こんなんになってるで」って見せてどうするの? この現場をおさえた私の自己承認? モスクの下敷きになった人々がいるかもしれないのに???
私は、一人でも多く無事に救出されてほしいと祈りながら、そこを通り過ぎました。
大きく崩れたモスクの写真は、のちに今回の地震被害の象徴として、ニュースや義援金を募る記事に何度も使用されていました。後日談ですが、取材で出会ったカメラマンから「被災地でもほかのところでも、涙を流している人の写真を撮るのはやはり辛くて・・・」と聞きました。そうだろうな、『報道する』という仕事が与えられたカメラマンや記者とて心があるんだもんな。難しい仕事だなぁ・・・。
中継に来ていたCNNのリポーター。電波状況を確認する間、彼もとても優しい目で娘と接してくれました。
(⇒ 一方、「受けるんじゃなかった」と後悔した取材も・・・)
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