よりどりインドネシア

2021年12月22日号 vol.108

往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第32信:日本映画が描いたインドネシア(横山裕一)

2021年12月22日 21:50 by Matsui-Glocal
2021年12月22日 21:50 by Matsui-Glocal

轟(とどろき)英明 様

早くも年末となりました。私も11月初旬から1ヵ月弱所用のため一時帰国し、いい機会なのでワクチン接種も受けました。実は公共交通機関や公共施設の入場など日常活動に制限を受けないため、すでにジャカルタで中国製のワクチン接種を2回済ませていたのですが、ご存知のように、中国製は日本では認められておらず、今後の一時帰国などのことも考え、ファイザー製ワクチンを受けることにした次第です。結果、ワクチン接種4回という珍しい存在になってしまいました。血液中で米中摩擦を起こさないことを祈るばかりです(笑)。

日本入国後の隔離用ホテルで3日間、窓から眺めていた横浜港

ところで、今回分は11月の一時帰国中に書いたものですが、前回轟さんの書簡で感想を求められたので、追伸として末尾に書かせていただきます。

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さて一時帰国した際、タイミングよくインドネシアの東ヌサトゥンガラ州を舞台にした日本人監督によるドキュメンタリー映画『くじらびと』を名古屋の名画座で鑑賞することができました。またネットフリックスでは、インドネシアでは配信されていないバリが舞台の日本映画『神様はバリにいる』を数年ぶりに観ました。そこで今回はインドネシア映画ではありませんが、日本映画が描いたインドネシアについて話してみたいと思います。

映画『くじらびと』ポスター(劇場撮影)

まず『くじらびと』ですが、この作品の舞台は東ヌサトゥンガラ州の諸島群でも最東部に位置する小島のひとつ、ルンバタ島のラマレラ村という小さな村です。この辺境の地に約400年続くとされる伝統的な鯨漁を通して、人間と鯨による双方命を懸けた攻防、村に生きる人々の鯨への感謝や畏敬の念といった精神世界が丹念に描かれています。

とくに鯨漁のシーンは圧巻です。身長の倍以上ある銛を持った漁師が10メートルほどの伝統的な鯨漁船の舳先から鯨めがけて飛び跳ねて銛を打ち込む姿、もんどり打って視界を覆わんばかりに海面上に姿を現す鯨の巨大な尾ビレなど、実際に見たものでないと体感できないほどの迫力を味わえます。さらに波や鯨の衝突で軋む船の音などが臨場感をさらに高めています。鯨漁ではこのように銛打ち手が象徴的な存在で、現地では銛打ち手を「ラマファ」(Lamafa)といい、同作品の外国上映用タイトルにもなっているのは納得いくところです。

さらに同作品で特筆すべきは、マンタ(巨大エイ)漁の際に命を落とした銛打ち手の父親が悲しみを乗り越えて、もう一人の息子に伝統技法を伝授しながら新たな鯨漁船を建造し、再度鯨漁に挑む姿など、ドキュメンタリー映画でありながらまるでシナリオを書いたかのようなドラマが展開し、代々受け継がれてきた鯨漁に対する漁師たちの思い入れが丹念に描かれているところです。

同作品の映画パンフレットによると、石川梵監督はリサーチを含めると足掛け30年に及ぶ地元住民の取材のうえでの制作だったということで、長期にわたる交流を通して村人との信頼関係を構築できたからこその作品であることが窺えます。紀行文『インドネシア34州の旅』(ウェブサイト『+62』所収)執筆者で同地を訪れたことのある鍋山俊雄氏によると、ラマレラ村には多くの外国メディアが訪れるものの、一番有名だったのは村人から「BON」(梵)と呼び親しまれた石川梵監督だったということです。

私ごとですが、かつて長良川河口堰問題に絡んで地元シジミ漁の漁師町を取材した際、1年余り足繁く通い、その後週3回の漁を何ヵ月か撮影し続けてようやく漁師さんから声をかけてもらえるに至った経験があります。その後は「漁のたびに早朝遠くから来るんだったら、空き家があるから使ったらどうだ」「いっそ組合に入ったらどうだ」と話してくれるまで心を開いてくれるようになりました。取材経験上、インドネシアの漁師気質も日本のそれと似ているように感じますが、ましてや外国人である石川監督が現地の漁師たちの信頼を得るようになるまでのご苦労、努力は並々ならぬものだったと察せられます。

作品ではドローンや最新の水中撮影機器を使用して鯨漁が撮影されますが、注目すべきは鯨目線でも撮影、構成されている点です。銛を打ち込まれて瀕死の鯨を助けるため寄り添ってくる仲間鯨、さらに鯨の断末魔や死ぬ際に瞼を閉じるといわれる鯨の瞳など、鯨の最期をある意味冷酷に見つめ続けることで「生」とは何か、またその大切さも強く訴えられています。あえて丹念に浜辺での鯨の解体が描かれているのもこのためと察せられます。

その命の代償に村人たちは生活の継続が保障されます。鯨肉は村人の食料だけでなく、伝統市場での物々交換で主食となる芋や野菜、日用品を得るための貨幣代わりにもなっています。年間10頭鯨が捕れれば、村人1500人を養えると言われていて、必要以上の捕鯨はしない。また鯨が来ず不漁の時は他の魚で耐え忍ぶ。2006年にNHKで同じラマレラ村を描いた番組が放送されていますが(ハイビジョン特集『天涯の地に少年は育つ インドネシア銛一本で生きる』)、番組内では鯨が来ないため、非常時用に木に吊るして保存していた鯨の尾の干し肉を使って行商に出る様子も描かれています。

村人にとって鯨は生活を支える重要な存在だけに、作品では鯨に対する感謝や畏敬の念が船上での祈りなど様々な場所で祈る村人たちの姿を通して紹介されています。時に死者をも出す危険な鯨漁で繰り広げられる人と鯨の命のやりとり、そして鯨、ひいては自然の恩恵への感謝、作品内で村人が発する「鯨漁は聖なるものである」という言葉は、彼らの生業、生き方を端的に表しています。

また作品後半に出てくる、新たな鯨漁船を伝統技法で造る際、息子に技法を伝える父親の言葉、「伝統漁法で鯨を捕ることは、先祖と通じ合うことでもある」も印象的です。食べるため、生きるために命を奪う一方で、相手に感謝、畏敬の念を忘れない。古来より営み続けられたバランスを持った命の恩恵は現代でも同じで、ラマレラ村に限らず世界の人間に共通した命題であるともいえます。

日本で捕鯨といえば和歌山県太地町が有名ですが、ラマレラ村と酷似した伝統療法による鯨漁はかつて日本各地でも行われてきました。そして鯨を祀った鯨塚や神社、寺院が全国各地にあるのもかつての日本人がラマレラ村の人々と同じ営みを続け、自然に対する畏敬や感謝の念を抱いてきた証といえます。

このように本作品はいまだ伝統漁法で鯨漁を続けるラマレラ村というシンプルな生存システムを題材にしながら、人間、ひいては地球上の生き物全ての「生」に対する営みについて、生きるとはどういうことかという普遍的なテーマを改めて投げかけています。ここにこそ外国人ではありながら、同じ捕鯨を営んできた日本人があえてインドネシアの伝統療法を撮影し、日本映画として制作した意義があり、それが見事に表現された作品になっているといえます。

今回、インドネシア人留学生を誘って鑑賞しましたが、この学生は感銘を受けただけでなく、本作品で初めてラマレラ村での鯨漁の存在を知ったようで、「是非インドネシアでも上映してほしい」と話していました。インドネシアでは上記の普遍的なテーマに加えて、自国の開発と残すべきものは何かということを訴える作品にもなり得ることでしょう。欧米で上映された場合、作品内の一部だけを捉えて短絡的に捕鯨反対の材料にされることも懸念されますが、捕鯨の是非以上に大切で本質的なテーマを含んだ作品だといえます。

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次に日本版ネットフリックスで配信中の作品『神様はバリにいる』(2014年作品)ですが、かつて初めて観た際、事前にあまり期待していなかったこともあり、予想以上に面白く良い意味で裏切られた印象が残った作品です。

物語はバリ島で裸一貫から財を成し、地元住民から「兄貴」と親しまれている男性と、日本で事業に失敗して借金を抱えバリに逃げてきた女性を中心に展開するコミカルなドラマです。前半は、地元の事情を知らずいかにも観光者的な日本人目線の女性と一見横暴で自己中心的ながら実は地元のバリの人々の側に立ち活動している兄貴との対比が興味深く、インドネシア人俳優陣を交えながら展開します。

映画『神様はバリにいる』ポスター(公式ツイッターより/ kamibali)

(そして後半、貧しい子供のために・・・)

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