よりどりインドネシア

2021年12月08日号 vol.107

往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第31信:イスラームと怪奇映画の深くて怖い関係 ~誰がガドガド・ホラーを恐れるか?~(轟英明)

2022年02月06日 21:26 by Matsui-Glocal
2022年02月06日 21:26 by Matsui-Glocal

横山裕一様

前回は日本でのワクチン接種などの私事が重なり連載を休ませていただきました。早いもので、一時帰国して3週間が経過、数ヵ月前までは日本でもインドネシアでもコロナウイルスが猛威を振るっていたものの、現在両国では表面上鎮静化したようです。感染者数が激減した理由がいまいちはっきりしないため、何か腑に落ちない気分は残っているのですが、ひとまずホッと一安心。

さて、3年ぶりの日本なので映画でも観に行こうかなと思っていたのですが、話題の東京国際映画祭は開催時期が自主隔離期間と重なったため、前回冒頭で言及したエドウィン監督最新作『復讐のごとく、恋慕は完遂されるべし』(原題Seperti Dendam, Rindu Harus Dibayar Tuntas、映画祭での上映タイトルは『復讐は神にまかせて』)は残念ながら見逃しました。が、かつて一緒にエドウィン監督にインタビューしたこともある旧知の友人曰く、鑑賞後、あまりの作品の素晴らしさに席を立てなくなるほど良かったとのこと。つい先日はジャカルタでもプレミア上映会が開催、インドネシア本国での一般公開は12月2日からで、予想どおりというべきか成人指定となっています。

『復讐のごとく、恋慕は完遂されるべし』予告編 Seperti Dendam, Rindu Harus Dibayar Tuntas | Trailer Resmi - Di Bioskop 2 Desember 2021 (18+) https://youtu.be/fqvWIaGo3Y4

ほとんど実験映画に近かった長編デビュー作『空を飛びたい盲目の豚』(Babi Buta Yang Ingin Terbang)と二作目『動物園からのポストカード』(Kebun Binatang)ではセックスと暴力の直接的な描写も厭わないエドウィン監督でしたが、商業映画に転向した三作目『ひとりじめ』(Posesif)と四作目『アルナとその好物』(Aruna & Lidahnya)ではそうした場面を一応封印していました。それでも、『ひとりじめ』と『アルナとその好物』では所々に観客が予期せぬ形での登場人物たちの暴力性とセクシャリティの噴出が散見され、実にエドウィン監督らしいと思いましたが、『復讐のごとく、恋慕は完遂されるべし』においては原作者にして脚本も担当したエカ・クルニアワンのブラックユーモアも加わり、予告編や各種動画を見るだけで期待が高まる一方です。ああ早く観たい!

『復讐のごとく、恋慕は完遂されるべし』製作裏話シリーズ。この回には撮影監督を務めた芦澤明子さんが出演。DI ANTARA RINDU DAN DENDAM EPISODE 1: EDWIN DAN AKIKO ASHIZAWA https://youtu.be/H4vxe_P5kzo

その他、こちらも前評判の高いカミラ・アンディニ監督作『ユニ』(Yuni)は12月9日から、先日のインドネシア映画祭(FFI)では12部門受賞の快挙を成し遂げた『コピー屋』(Penyalin Cahaya)は来年1月からネットフリックスでの配信が決まっています。

『コピー屋』(Penyalin Cahaya)のポスター。光を複製する者という意味の原題が素晴らしい。filmindonesia.or.id より引用。

コロナ禍で停滞していたインドネシア映画界がコロナ禍収束と時を同じくして復活しつつあるように見えるのは、それらの作品がコロナ禍以前から準備と撮影が行われてきた事実から考えて、偶然なのでしょうが、しかし嬉しいことには違いありません。横山さんは上記新作3本のうち、どの作品に一番期待しているか、次回教えていただければと思います。

前回第30信で横山さんはインドネシア映画における性表現という視点から『アバウト・ア・ウーマン』(About a Woman)と『モアンマル・エムカのジャカルタ・アンダーカバー』(Moammar Emka’s Jakarta Undercover)を取り上げてくれました。インドネシア映画における性表現を論じるうえで欠かせないのは検閲の存在ですが、日本と違い、公的機関によるものと社会的規範によるもの双方からのアプローチで論じる必要があると考えます。突き詰めると、インドネシアにおける表現の自由とは何か、「わいせつ」と「芸術」の違いは何か、インドネシアの現在の憲法は果たして表現の自由を保障しているのかという大きな問題を考えざるを得ず、正直私の手に余ると思い、あまり深く考察できていません。ただ、検閲の基準がその時代の風潮と政権の意思によって融通無碍に変化してきた歴史的経緯は指摘しておきたく、「インドネシアは性的表現を忌避するムスリムが多数派の国だから表現の自由は抑圧されている」という言説への反論または補足説明は具体例を挙げていずれ行いたいと思います。

なお、『アバウト・ア・ウーマン』は私もNetflixで観ましたが、インドネシアではジャンルとしては成立していない、老人を主人公にした非常に珍しい映画で、ミニマルなスタイルで老女の欲望と孤独を語っていたことに軽く驚きました。テディ・スリアアトマジャ監督は非常に過激な描写を含む『ラブリーマン』(Lovely Man)をこの作品の前に撮っており、いやはや攻めているなあと素直に感心しました。彼は初期作品から性的欲望をテーマにした作品を、登場人物を老若男女問わずに撮ってきました。『ラブリーマン』よりも前、日本軍政期の描写もある『マイダの家』(Ruma Maida)は過去と現在を交錯させる意慾的な試みがものの見事に失敗した作品でしたが、作家論を書きたいと思わせるキャリアと演出力のある監督ですね。

同じくNetflixで見られる最新作の『帰郷』(Pulang / Affliction)は中部ジャワの田舎を舞台にしているにもかかわらず土着性の薄いホラー、あるいは現代的スリラーで、ある意味「老人介護もの」でもあるのですが、主人公を『アバウト・ア・ウーマン』同様、ベテラン女優のトゥティ・キラナが演じています。彼女の演技には安定感があって、一挙一動をただ見ているだけで満足してしまうくらい、私は好きです。『よりどりインドネシア』寄稿者の神道有子さんのご友人が出演(撮影はウォノソボ周辺の模様)、またインドネシアにおいて家族の形が変貌しつつあることも的確に描写されていて実に見ごたえのある作品でした。もし横山さんが未見でしたら是非どうぞ。いつか神道さんも交えて、地元視点からの『帰郷』批評会をワイワイガヤガヤやってみたいものです。

『帰郷』(Pulang / Affliction)ポスター。ミー・オンクロックほかウォノソボ郷土料理も(隠れた)見どころの一つ。filmindonesia.or.idより引用。

**********

例によって前置きが長くなってしまいましたが、いよいよ本題です。前回に続き、インドネシア映画を宗教の視点から分析するシリーズの4回目、本丸とも言うべきホラーものを今回は取り上げます。

ただ、これはあくまで私の個人的趣味なのですが、東南アジアで膨大に制作されてきたホラー映画を詳細に分析した先行者である四方田犬彦さんの研究書『怪奇映画天国アジア』に敬意を表して、以後、敢えて古風な「怪奇映画」という呼称を主に使用させてください。私の映画観と映画の論じ方は四方田さんの書物に多くを負っており、なかでも今回の分析の枠組みは同書のほとんど援用だからです。

『怪奇映画天国アジア』四方田犬彦著(白水社)。タイとインドネシアの怪奇映画が主に論じられています。四方田さんは映画研究者ではあっても地域研究者ではないためケアレスミスや誤記が散見されますが、今もって他に類書がほぼないユニークな著作。

実は、インドネシアの怪奇映画については別の媒体で3回にわたって論じたことがあり、現在は自分のブログにそれらを掲載しております。

上記の記事は3年前に書いたもので、さらに四方田さんの前掲書は2009年に出版された本です。私の記事の論調を訂正する必要はないと考えていますが、このわずか数年の間にインドネシア製怪奇映画に対する世間一般の評価は大きく変化しました。それは観客動員数上位の作品で怪奇ものの占める割合が増えたというだけでなく、昨年の米アカデミー国際長編映画賞インドネシア代表にジョコ・アンワル監督の怪奇映画の傑作『呪いの地の女』(Perempuan Tanah Jahanam)が選出されたという事実が何よりの証左でしょう。かつては低俗で荒唐無稽で真面目に論じるには全く値しないジャンルと見られ、映画人からも露骨に馬鹿にされていたB級の怪奇映画が、気づいたらA級に昇格している現状には戸惑いも若干覚えるものの、慶賀すべきことと前向きに捉えたいと思います。ただ、最近公開された個々の作品を別個に論じているだけでは、ジャンルとしての歴史をそれなりにもつインドネシア製怪奇映画の総体を把握することは困難です。インドネシア製怪奇映画のことを私は「ガドガド・ホラー」と呼称することがありますが、ガドガド・ホラー1.0がどのように2.0になったのか、その格好のサンプルとして『悪魔の奴隷』(Pengabdi Setan)の1980年旧版と2017年新版を今回は比較して論じてみたいと思います。

前掲の私のブログ記事「映画『悪魔の奴隷』が描く恐怖とは何か」(https://ahmadhito2017.blogspot.com/2018/02/5.html)を書いた時には、新版で脚本と監督を務めたジョコ・アンワルが作品に込めた意図を半分程度しか理解していなかったため、本稿では横山さんや『よりどりインドネシア』の読者が同記事を読まれているという前提、同記事への追記という形で以下文章を進めます。映画の細かいディテールや結末にも触れざるをえませんので、その点は何卒ご了承ください。

『悪魔の奴隷』(Pengabdi Setan)1980年旧版チラシ。filmindonesia.or.idより引用。

旧版がイスラーム擁護、イスラーム推しの映画であるとすれば、新版は反イスラーム、イスラーム下げの映画であることは誰がどう見ても明瞭で、同じタイトルでありプロットも大筋では変わらないにもかかわらず、これほどメッセージが正反対の作品は珍しいかもしれません。以下作品のメッセージを規定しているラストの展開を比較してみましょう。

この続きは1ヶ月無料のお試し購読すると
読むことができます。

関連記事

往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第47信:ジョコ・アンワル作品試論(その3)~神をも恐れぬ映画作家の望みは何か?~(轟英明)

2022年08月08日号 vol.123

Cantik Itu Luka の20年(太田りべか)

2022年07月23日号 vol.122

往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第46信:本家韓国映画をこえるか!? インドネシアリメイク版 ~『猟奇的な彼女』と『サニー』より~(横山裕一)

2022年07月23日号 vol.122

読者コメント

コメントはまだありません。記者に感想や質問を送ってみましょう。

バックナンバー(もっと見る)