(編集者注)本稿は、2021年11月7日発行の『よりどりインドネシア』第105号に所収の「ロンボクだより(56)」の続きです。2018年に起きたロンボク地震の記憶をつづります。なお本稿は2022年1月発行の『よりどりインドネシア』第109号に続く予定です。
男性たちが作ってくれたテントには、壁はないものの、屋根がありました。これで乾季の暑い日差しも防げます。今見ると本当に何もない簡素なテントですが、避難しているときは、これが私たちのすべてでした。
短時間でテントをこさえてくれた男性陣は、この後も洗濯用の物干し竿などを作ってくれ、とても頼りなりました。女性たちはせっせと各家庭からなんとか持ち運んだゴザや毛布をテントに入れ、赤ちゃんや子どもの守りをしました。
同時に、いつの間にかキャンプ用の小さなテントが数個設置されていました。これは地元のボーイスカウトで教えている人とトレッキング/登山ガイドをしている人の私物です。が、赤ちゃんや小さな子どものいる家庭が優先的に使えるように、わざわざ家まで取りに戻って設置してくれました。なんと優しい・・・。
設置されたテント。記事本文の翌朝に撮影。
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日が沈み始め、マグリブ(日没)の礼拝時間が近づいてきました。「千のモスクの島」の異名をもつロンボク島。いつもはあちらこちらのモスクから一斉にアザーンが響く私たちの村も、この日は何も聞こえませんでした。
みんなどこにいるのかな、無事かな。私たちは近隣の礼拝所へ行ける場所にはいなかったので、このまま丘の上でお祈りをすることにしました。
まだ大学生と若いながらも、コーランの暗誦に長けているO君がイマーム(集団でお祈りをするときの先導役)の役割を担ってくれました。小高い丘のてっぺんで、声がよく広がるように右手を口元にかざして、O君がアザーンの文句を唱えると、一人ふたりとお祈りをする人がやってきました。
イマームの役割を担ってくれているO君。
前日の日没と夜のお祈りの間の時間帯に地震が起こったこともあり、お祈りの服とサジャダー(礼拝時に足元に敷くミニ絨毯)だけ持って逃げてきた数名が参加しました。
彼らは、丘を下ったところにある人家の井戸でウドゥー(水で手足顔などを清めること)もしたようで、ズボンの裾がめくられて足が濡れていました。はぁ~、こういうときでもちゃんとウドゥーするんだぁ。
私も含めてお祈りの服のない者は、横で静かにしていました。徐々にあたりが暗くなるなか、いつものお祈りがただ淡々と流れていきます。
皆、藁をもすがるような気持ちで神に祈っているというよりも、「いつものお祈りをいつものように行なっただけ」に見えました。非日常のなかに日常を持ち込んで、ぽつんと置いたかのような心安らぐ時間でした。
何も持たないのに、ひたすら美しい・・・。
(住処を失ったにもかかわらず・・・)
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