コロナ禍でいろんなことが変わってしまったが、なかには歓迎すべき変化もあった。そのひとつは文芸イベントがオンラインで開催されるようになったことだ。インドネシアでは、小規模なものはインスタグラム・ライブで行われる新刊発売などのプロモーションのための著者インタビューから、ウブッド・ライターズ・アンド・リーダーズ・フェスティバルのような100人を超える作家・芸術家がスピーカーとして登場する大規模な催しまで、さまざまな文芸イベントが盛んに行われている。
先日(2021年9月11日)、Haru出版と文芸イベントグループPatjarmerah 主催のアジア・ブック・フェスティバルの一環で、『夜行観覧車』のインドネシア語版 “Ferris Wheel at Night”(Penerbit Haru, Andry Setiawan訳)の発行を記念して、著者の湊かなえさんのトークイベントが開催された。
インドネシアの読者たちにとっては、日本の人気作家の顔を見て声を聞ける貴重な機会である。オンラインだと海外の作家にも出演してもらいやすいだろうし、視聴者としてもとてもありがたい。今回のイベントにもたくさんの視聴者が参加して、湊かなえさんのお話に熱心に耳を傾けた。「頭が煮詰まったときにはガムを噛むといい」という湊さんからのアドバイスに対しては、チャット欄ではどのメーカーのガムがいいかという話まで出て、おおいに盛り上がった。
私がこれまで参加したり視聴したりしたイベントは、どれもなかなか盛況で、チャット欄にはコメントが飛び交い、視聴者から出演者への質問もたくさん出て、多くの人が楽しんで視聴していることがうかがえる。オンラインイベントでは、自宅にいながら参加できるだけでなく、視聴者はビデオもマイクもオフにするので、他のことをしながらの「ながら聴き」ができる気楽さもいい。
同じ人がいくつものイベントを視聴していると想像できるので、実際どれくらいの数の人がこういった文芸関係の催しに関心を持っているのかはわからないが、とにかくこうして読書という行為を活発に楽しんでいる人たちが一定数いるというのは、それだけで喜ばしいことだ。
●Reading Circle: Timur
2021年6月に開催されたマカッサル・インターナショナル・ライターズ・フェスティバルにも、興味深いプログラムがいろいろあった。“Reading Circle: Timur”もそのひとつだ。インドネシア東部出身の若手作家たち8人が、それぞれ別の作家の作品の抜粋を朗読し合い、感想を話すというプログラムである。
MIWF 2021 “Reading Circle: Timur”のデジタル・ポスター(https://makassarwriters.com/reading-circle-timur/ より)
出演した作家たちは次の通り(上のデジタル・ポスターの写真左から)。
- エミル・アミル(Emil Amir):スラウェシ出身?
- デシー・ティラヨー(Deasy Tirayoh):北スラウェシ州ミナハサ出身。
- フェリックス・K・ネシ(Felix K. Nesi):東ヌサトゥンガラ州西ティモール出身。
- ジェミー・ピラン(Jemmy Piran):マレーシア、サバ州生まれ。東ヌサトゥンガラ州東フローレス在住。
- エルニ・アラジャイ(Erni Aladjai):中スラウェシ州ラボボ島リプラロンゴ村出身。
- エコ・ポチェラトゥ(Eko Poceratu):マルク州セラム島ティフラレ出身。
- イルダ・カルワユ(Ilda Karwayu):西ヌサトゥンガラ州西ロンボク出身。
- ゴディ・ウスナアット(Gody Usnaat):パプア州ファエノノ村出身。
この8人の出身地を地図で追っていくだけで、インドネシアがどれほど広いかを実感させられる。インドネシア東部はスンバワ島までしか行ったことがない私にとっては、そこから先はまったく未知の世界なのでなおさらだ。
このプログラムのために、コーディネイターが、だれがどの作品を朗読するか事前に選定し、それぞれの作家に選定された本を送付したということだが、それも時間がかかってなかなかたいへんだったようだ。たとえば東ヌサトゥンガラ州からパプアに郵便物を送るのは、ジャカルタからパプアに送るよりも難しいという。ズームとユーチューブでのライブ配信時も、パプア出身でジャヤプラから約150キロ南のパプアニューギニアとの国境近くの村で教職に就いている詩人ゴディは、インターネットにアクセスできないため、メルボルンにいるスタッフがゴディに衛星電話をかけ、その音声を流すという形だった。このプログラム後半の質疑応答のセッションでも、インドネシア西部(とくにジャワ島)と東部の、また都市部と地方の不均衡が話題になっていた。
● 暴力に彩られた『オエティムの人々』
上記8人のうちのひとり、フェリックス・K・ネシは西ティモールの中北部ティモール県インサナの出身で、1988年生まれ。今回のセッションで朗読された小説 “Orang-orang Oetimu”(『オエティムの人々』)は、2018年ジャカルタ芸術院小説コンテストで第一席に選ばれている。
『オエティムの人々』は、西ティモールのオエティムという村に関わる人々の物語だ。主な登場人物は、村で唯一の警察官イピと、クパンから来てイピの婚約者となった天才美女のシルヴィ。そのふたりの生い立ちの物語に、イピのポルトガル人の祖父母と母の話、イピの育ての親で、かつて日本軍占領下の労務者キャンプで日本軍人を多数殺してキャンプに火をかけ逃走した英雄アム・シキの話、シルヴィが通っていたクパン沿岸地方の高校の再建者ヨセフ神父と、ヨセフが密かに想い続けていた女性マリアの話が絡む。
その背後で語られるのは、ポルトガル植民地時代から日本軍政期、1975年のティモール民主同盟(UDT)によるクーデター、東ティモール独立革命戦線フレティリン(FRETILIN)による東ティモール民主共和国の独立宣言と、それに続くインドネシア国軍によるディリおよび東ティモールへの侵攻と占領、そして1990年代半ばから1998年にかけてのクパンとオエティムでの出来事だ。
この小説の抜粋を朗読して感想を話したのは、西ロンボク出身の詩人イルダ・カルワユだった。イルダはこの小説の中でさまざまな形の暴力が語られている点を指摘している。イピが虫の居所が悪いときに、たまたまオジェック(バイクタクシー)の溜まり場にいた運転手を意味もなく殴るといった暴力から、軍人による残虐を極める暴力、革命を標榜する男たちの女性に対する容赦ない強姦、国家の大事の名のもとに民間人を轢き殺していく軍用車の列、神父の教え子に対する仕置き、少年に対する割礼師による性的虐待とも取れる行為など、ありとあらゆる暴力が詰め込まれている。
暴力が語られているのは、この小説に限ったことではない。この点については、このセッションの最後に同フェスティバルのプログラム・キュレーターのM.アアン・マンシュル(M. Aan Mansyur)も触れていて、これは東部出身の作家の作品に顕著に見られる傾向なのか、それとも世代的にとらえて、1998年の改革前後またはそれ以降に創作活動を始めた比較的若い世代の傾向として考えるべきなのか、検証する必要があるだろうと指摘している。
Felix K. Nesi “Orang-orang Oetimu”
(以下に続く)
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