よりどりインドネシア

2021年09月22日号 vol.102

往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第28信:映画『愛の章句』が描く一夫多妻の姿(横山裕一)

2021年09月22日 21:11 by Matsui-Glocal

轟(とどろき)英明 様

6月から特に深刻化した新型コロナウィルス・デルタ株による感染も、予断は許さないものの落ち着いてきたようです。自室にいると一日中頻繁に聞こえていた救急車のサイレンの音も、9月に入ってからは日に一度あるかどうかにまで減りました。政府による活動制限も徐々に緩和され、近所のカリバタ英雄墓地の一般駐車場では夜だけ開かれる屋台の飲食街が最近ようやく再開し、コロナ禍以前のような賑わいに戻りつつあります。若干賑わいすぎのようでもありますが、住民たちが1年半にわたって感じてきた抑圧感の反動だともいえそうです。

ショッピングモールや公共交通機関の利用にはワクチン接種済み(1回含める)が条件となりますが、ワクチン接種証明を提示できる政府によるスマホ用健康アプリ(PeduliLindungi)は私も重宝しています。同アプリの初期画面には自分の所在場所が表示されますが、8月中旬には赤い同心円でレッドゾーン(感染者多数地域)が示されていましたが、やがてオレンジ、黄色となり、現在では表示は消えています。今後他の変異型など再流行がないことを祈るばかりです。

健康アプリに表示された該当地区の感染危険レベル(2021年8月13日現在)

モール入口で同アプリでQRコードを読み取り、接種証明を提示して入場可能に。

前回、轟さんが紹介してくれた『チナ、チンタ』は意欲的作品のようですね。非常に興味深く、ぜひ機会があれば観てみたいと思います。また前回、映画『疑問符(?)』(Netflix邦題「信じるものは」Tanda Tanya)と『三日月』(Mencari Hilal)について、轟さんなりの見解をいただきました。一点だけ申し上げるならば、『疑問符(?)』を轟さんは「ダッワ(イスラム宣教)もの」と括られていましたが、同作品はそれだけにとどまらない「他宗教間の軋轢と共存」といった要素が強く含まれており、ダッワ要素だけで全てを語れないところに価値があるのだと思います。勿論、映画は観る者の立場や考え方、背景で感じ方が異なるのが当然で、そこに映画作品の魅力があるともいえます。この件の続きはコロナ禍後にでも改めてゆっくりとお茶でもしながらお話ししたいものです。

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さて、轟さんも前回取り上げた作品『愛の章句』(Ayat Ayat Cinta /2008年公開)について、私は主に作品内での鍵の一つともなる一夫多妻制の場面にスポットを当ててみていきたいと思います。轟さんもこの作品は公開当時、「一夫多妻を反対するフェミニストからの反発を買った」と記されていますが、ここでは一夫多妻の是非を言及するのではなく、作品を通して一夫多妻制がどのように描かれ、捉えられているかについて考えてみたいと思います。

『愛の章句』ポスター(左から役名でマリア、ファフリ、アイシャ)。引用:http://filmindonesia.or.id/

同作品を初めて観たのは数年前ですが、直後の個人的な感想としては、宗教要素を抜きにしたとしても非常に美しい恋愛物語だと感じる一方で、どこかしっくりこない感覚が残ったのが正直なところです。何がしっくりこなかったのか、考えると、どうやら論理的には理解できるものの、感情的に物語にリアリティが感じられなかったためです。フィクションであると分かっていても、主要登場人物があまりにも分別があり、「いい人」すぎるためだったことです。

主人公のファフリはイスラム教義に基づき忠実に善業や行動を実践することから友人らに信頼され、4人の女性から好意を受けます。彼はそのうち一人の女性、アイシャと見合いの末結婚しますが、残る3人のうちの一人、マリアは失恋が高じて寝たきりとなってしまいます。生命の危機にまで及んだことを知ったファフリの妻であるアイシャは、マリアを救うためファフリにマリアを第二夫人とすることを進言します。ファフリは「多重婚は簡単にできるものじゃない、多くの責任が生じる。神の名の下に僕が選んだのは君だけだ」と反対しますが、結果的にアイシャの熱意を受け入れます。

イスラム教で認められている一夫多妻制、多重婚は、本来、ムハンマド(マホメット)が神の啓示を受けた当時、戦争が相次いだため多くの女性が頼る先のない未亡人になった社会背景に端を発しているとされています。緊急時の彼女たちに対する救済策として多重婚の容認が伝えられています。

マリアの命の危機を救う唯一の方法が想いを寄せるファフリとの結婚であると考えたアイシャの行動は、まさに困窮者の救済というイスラムの教義に沿った真摯な行動でした。その意味では美しい物語であると理解できるのですが、その一方で、たとえ人助けとはいえ、妻が夫にさらなる結婚を勧めることが実際にありえるだろうかと考えてしまう自分もいました。たとえイスラム社会以外で似た状況が起きたとしても、妻が夫に他の女性を愛せと勧めることは皆無ではないかと思えたのです。意地悪な言い方をすれば、話がうまくできすぎていて素直に受け入れられなかった、ということです。

実際、インドネシア映画の多くに多重婚のシーンは登場しますが、そのほとんどは夫の欲望から本妻が苦しむケースとして描かれています。たとえば、リリ・リザ監督作品の『アティラ』(Athirah /2016年公開)では、主人公の父親が第二夫人を娶り家に不在がちとなったため、母親が女性としてまた家庭を守る母親として葛藤の日々を送る姿が描かれています。多重婚をめぐる夫と本妻、それに新妻らの間に渦巻く感情は単純なものではなく、その意味からも現実的に『愛の章句』のような展開が素直に受け入れ難かったのかもしれません。事実、物語では夫にマリアとの結婚を進言したアイシャも、婚姻の宣誓式が進行する陰で泣いています。後々泣くことになるのがわかっていても、イスラム教義に忠実であるために自分を犠牲にしてここまでの行為はあり得るのだろうか。

『アティラ』ポスター(引用:https://milesfilms.net/filmpanjang/ )

しかし、『愛の章句』は約370万人もの観客動員を記録するヒットとなっています。映画内容から9割以上はイスラム教徒が占めているとみられますが、そこには必ず彼らにとって強い共感を抱かせる要素があるためだと考えられます。

『愛の章句』を観た敬虔なイスラム教徒の友人にこの件で訊いたことがあります。彼は劇場に二度も見に行ったほど泣いて感動したとのことですが、私が抱いてきた疑問に対して一言のもとに明確に答えてくれました。

「こんなこと(映画内の展開)はもちろん実際にはありえない。だからこそ美しく、素晴らしい物語なんだよ」

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