(編集者注)本稿は、2021年7月8日発行の『よりどりインドネシア』第97号に所収の「ロンボクだより(48)」からの続きです。2018年に起きたロンボク地震の記憶をつづります。なお本稿は2021年9月発行の『よりどりインドネシア』第101号に続く予定です。
本震のあと、日本人会の先輩・AさんとAさんの長女、そして私の三人で、津波を逃れられるよう内陸を目指しました。が、すぐに二つの問題にぶち当たりました。
一つは渋滞です。一刻も早くここから逃げたい人ばかりなので、なかなか車の列に入れてもらえません。しかし、のんびり待っているわけにもいかず、グイグイ入りたいアピールをして半ば強引に入れてもらいました。ほとんど動かない車内で、Aさんが「この時間になっても津波がこないなら、もう大丈夫だろう」とやや安心の心持ちで言いました。たしかに。でも逆に津波が来ていたらと思うと、ヒヤリとしました。
もう一つは、行先が決まらないことです。このとき、私たちはまだ震源地も地震の規模もわかっていませんでした。内陸のどこへ行けば安全なんだろう? Aさんが前方の信号を指さして言いました。「あそこ交差点やから、それまでに決めよう。この車の量だったら、どの進路をとっても引き返せないと思うわ」そうはいっても、どうすれば・・・。
そんなとき、ちょうど日本人会から安否確認の連絡網がまわってきました。私たちは今逃げていることを伝え、各地の日本人会の会員さんから情報をいただきました。震源地と一週間前よりも大きな地震であったことがわかり、避難先を絞るのに役立ちました。
結局、私たちは日本人会の会員のBさんのお宅へ行くことに。Bさんのお宅はマタラム市内の比較的内陸のほうにあり、「停電してないよ、大丈夫」と言ってくださいました。またBさんは宿を経営しているため、部屋も準備してくれました。人との繋がりがあってよかった、その一言でした。
道中、あちこちのモスクからコーランを詠む声が響いてきます。それも一人ではなく何人もの人の声が聞こえます。音声テープを流しているのではありません。みな、肉声です。大きな地震があって津波がくるかもしれないというときに、コーランを詠むんだな。この状況でも、いやこの状況だからこそ、身の安全と同列に心の平安を置くんだな。自分のため、皆のため・・・祈りに癒され、祈りが届きますように・・・。
あの日の夜、本震の後、屋外へ避難した人々。(出所)https://www.radarbogor.id/2018/08/06/82-orang-meninggal-akibat-gempa-lombok-7-sr-ribuan-warga-mengungsi/
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