今回はロンボク島地震の本震について記録を残します。過去に自然災害などで辛い思いをされた方々には刺激を与えるかもしれません。ご注意ください。
我が家の近所のバンサル港近くの田んぼ。本震の前々日に撮ったのどかな風景。
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2018年8月5日(日)、州都マタラム市でイベントがありました。そのイベントでの日本語スピーチコンテストの審査員として、私は会場へ向かいました。
マタラム市は北ロンボクの我が家から南に山を一つ越えたところに位置し、車で片道1時間弱かかります。普段の遠出でしたら娘も連れていくのですが、この日は、途中で娘が飽きてグズったら困ると考え、夫と姑に預けて一人で行きました。
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夕方、イベントは楽しく終了し、私は同じく審査員だった日本人会の先輩Aさん(仮名)宅へお邪魔しました。翌日マタラム市の役所で事務手続きがしたく、市内にあるAさん宅に一泊させてもらうことにしていたのです。
私たちは一緒に夕飯をとり、テレビで流れている日本の番組を横目にAさんと談笑していたころ、ダダダダダと揺れがきました。あ、大きい! 咄嗟にその場に屈むと、テーブルの脚が振動しているのが見えました。大地震というほどでもないけれど、ロンボク島で今まで経験した揺れのなかでは一番大きいと感じました。震度4くらいでしょうか。しかも長い。どれくらい揺れたのか計測できませんでしたが、まだ揺れてる、まだ揺れてると何度も頭の中で繰り返しました。
インドネシアでは地震が来たら建物の外に出るのが鉄則です。Aさん、Aさんの娘さんと私の三人はすぐさまAさん宅の中庭に出ました。「大きかったですね」などと話しました。
もしまた北ロンボクが震源だったら我が家は? 私はすぐに携帯を手にとりました。阪神大震災のとき、東京に単身赴任中だった父が兵庫の実家に何度も電話をしたけど通じなかったと後に聞きました。とにかく早く夫に電話しよう。今ならまだつながるかも。頼む、つながって!二回目で夫が出てくれました。
「どう!?」「semua hancur…hancur dah…(全部壊れた、壊れちゃったよ…)」今まで聞いたことのないほど茫然自失とした夫の声でした。横で娘の泣き声や誰かの叫び声が聞こえていました。「お母さんは?」「わからない。停電で…(見えないんだ)」「そう…。どこにいるの?」「僕とプットリ(娘)は家の門の前。お母さんは家の中でテレビ見てたはず」「わかった。落ち着いてね」。家が壊れたらしいこと、夫と娘は無事なこと、義母の様子がわからないこと。この3点が把握できました。状況的にはマタラムよりもかなり酷そうです。
それからすぐに実家に電話をしました。日本は21時(現地20時)かぁ。こんな時間に電話をしたら驚くし、その内容に不安が募ることでしょう。でもあとからニュースで事態を知るより、今電話で私の声を聞いたほうがずっといいはずです。電話口で母が息を呑んでいる気配を感じましたが、無事であることは伝えられました。母と話したとき、私は自分が震えていることに気がつきました。強い負荷がかかっていたんだと思います。
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